生死を賭けたルポ『ベトナム戦記』から『輝ける闇』『夏の闇』へ
- 1964(昭和39)年 【34歳】
- 5月 『ずばり東京(上)』、12月『ずばり東京(下)』を朝日新聞社より刊行。 11月 朝日新聞社臨時海外特派員としてベトナムへ出発。
- 1965(昭和40)年 【35歳】
- 1〜3月 『南ヴェトナム報告』を「週刊朝日」に連載。
- 2月14日 南ベトナム戦地取材のため従軍中、ベトコンに包囲されるが、死地を脱出。24日ベトナムより帰国。
- 3月 『ベトナム戦 記』を朝日新聞社より刊行。
- 4月 衆議院外務委員会で特別参考人としてベトナム問題を説明。 5月 “「ベトナムに平和を!」市民文化団体連合”の日本側集会呼びかけ人となり、「ニューヨーク・タイムス」にベトナム戦争反対の広告を載せる企画を提案、11月16日に掲載される。
- 1966(昭和41)年 【36歳】
- 10月 サルトルとボーヴォワールを迎えて「ベトナム戦争と平和の原理」の集会に主催者の一人として出席。
- 1968(昭和43)年 【38歳】
- 4月 『輝ける闇』を新潮社より刊行し、11月第22回毎日出版文化賞を受賞。
- 6月 文藝春秋の臨時特派員として、動乱のパリ視察に出発し、東西ドイツ、サイゴンを経て、10月に帰国。
- 1969(昭和44)年 【39歳】
- 1月 『青い月曜日』を文藝春秋より、3月『七つの短い小説』を新潮社より、6月『私の釣魚大全』を文藝春秋より刊行。
- 6〜10月 朝日新聞社臨時海外特派員として『フィッシュ・オン』の旅に出発し、ビアフラ戦争、中東戦争を視察して帰国。
- 1970(昭和45)年 【40歳】
- 3月 「人間として」の編集同人となる。
- 6〜8月 新潟県北魚沼郡湯之谷村銀山平に籠る。
- 10月 『人とこの世界』を河出書房新社より刊行。
- 1971(昭和46)年 【41歳】
- 2月 『フィッシュ・オン』を朝日新聞社より刊行。
- 1972(昭和47)年 【42歳】
- 3月 『夏の闇』を新潮社より刊行、文部大臣賞を打診されたが辞退。
- 3月 『紙の中の戦争』を文藝春秋より刊行。
- 1973(昭和48)年 【43歳】
- 2月 「文藝春秋」「週刊朝日」特派員としてベトナムを訪問、第一次和平調印の直後から第二次和平調印まで150日滞在し、6月に帰国。
- 8月 『眼ある花々』を中央公論社より、11月『サイゴンの十字架』を文藝春秋より刊行。











