美味、珍味、奇味、怪味、媚味、
魔味、幻味、幼味、妖味、天味。
(『小説家のメニュー』
TBSブリタニカ刊 1990年)
● 日本各地に美味を求めて
● 一滴の光に変えてくれる水
昭和四十五年の六月、七月、八月、私は仕事をしようと思って新潟県の山奥の銀山湖畔で暮らした。ここは水道も、ガスも、電気もなく、一年の半分近くが雪に埋もれるので、年賀状が五月に配達されるというような聖域である。……ここで私は超一流品と呼べるような水を飲んだ。……ピリピリひきしまり、鋭く輝き、磨きに磨かれ、一滴の暗い芯に澄明さがたたえられている。のどから腹へ急転直下、はらわたのすみずみまでしみこむ。脂肪のよどみや、蛋白の濁りが一瞬に全身から霧消し、一滴の光に化したような気がしてくる。
● 鮭
たしかにそれは記憶に深くきざみこまれるような味であった。豊潤なのにくどさがなく、ゆたかな蛋白さとでもいうべきもので、ふつうの塩ザケでは失われている、気品の高い香りがほろほろと肉が歯のあいだでくずれるたびに口いっぱいにたちのぼってくるのである。その香りはさしあたって気品が高いとしかいいようがないのではずかしいことだが、ゆたかで、あたたかく、潤美の深い、ひらいた気品なのだと書いておきたい。
| サケの大動脈をとりだして塩辛にした「めふん」。メスよりもオスがうまいとされ、1匹のサケから1本しかとれない、珍中の珍。 | ![]() |
● 越前ガニ
赤い、大きな足をとりあげて殻をパチンと割ると、なかからいよいよ肉がでてくる。それは冷たいけれど白く豊満で、清淡なあぶらがとろりとのり、赤と白が霜降りの繊鋭な模様となって膚に刷かれてあり、肉をひとくち頬ばると甘い滋味が、冷たい海の果汁が、口いっぱいにひろがる。これを高級料亭のようにおちょぼ口でやってはいけない。食べたくて食べたくてムズムズしてくるのをジッと耐えながらどんぶり鉢に一本ずつ落していき、やがていっぱいになったところで、箸いっぱいにはさみ、アア、ウンといって大口あけて頬ばるのである。
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「越前ガニ」が掲載された『サントリー・グルメ』第1号と、炊きたてのご飯の上にセイコガニ(越前ガニのメス)の脚肉、ミソ、内子など7杯分をどんとのせ、ミソと殻をスープにしてかけた、福井県の旅館こばせの名物「開高丼」。 |
● 食材を通じた出会い
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| 雲丹への礼をしたためた原稿用紙と、その礼状をそのまま包装にした地酒「ごぞんじ」(上) 滞在した宿でかいた色紙(下) |
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● 美食メニュー
作家曰く「よく煮られてダシのしみこんだサエズリの味を文字に変えるのはたいそうむつかしく、ほとんど不可能を感じさせられる―すべての“味”や“香り”がそうであるが―。」その困難に挑戦し、美味をとらえ、綴った言葉の数々。
● 《!》《・》のフォア・グラ・フレ・ナチュラル
《!》と同時に《・》までうちたくなるのにはまだお目にかかっていないのである。けれどこの夜の食卓にでてきたフォア・グラはみごとであった。食いだおれでは底なし天井知らずのパリのことだからもっと凄いのがほかにあるかもしれないけれど、私としては《!》といっしょに《・》をうちたいところであった。
● 舌の上で花火のように炸けたハーシー
私は飢えきっていたし、枯れきっていたけれど、それゆえ五感がいっさい未使用のまま研ぎ澄まされているのであった。兵隊のインスタント・ランチのなかに入っていたひとかけらのハーシーを口にした瞬間、何かが炸裂したように感じられた。ヴァニラ。バター。カカオ・ビーンズ。砂糖。脂肪。蛋白。それらが舌の上で花火のように炸け、一瞬に全身へ沁みわたっていった。まるで音楽であった。
● 煮込み
一杯五十エンのギュウのモツの煮込みの皿をまえにしてくたびれきった人物たちが熱い酒の匂いにまみれて放心したり、もつれあったり、濡れたりしている。灯が輝き、大鍋が嘆息をつき、バケツのなかの内臓は血にまみれている。ほのぼのする優しさと親しさが、放埓や、不潔や、貧しさや、活力のなかに漂っている。
● 松阪牛
濡れ濡れとした血紅色の薔薇のなかに白い脂肪が無数に精妙に枝わかれして走り、くねり、しみこみ、ふるえ、すみずみまで、核心まで、あますところなくレース模様を編んでいる。それは繁茂した樹を眺めるようであり、大河の河口地帯を上空から眺めるようであり、葉脈図を眺めるようであり、血管図を眺めるようである。


















