開高健記念会

茅ヶ崎市 開高健記念館「開高健の美味礼讃」

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企画展:開高健の美味礼讃

美味礼賛

中国人は辛、酸、苦、甘、鹹を"五味"と呼んだけれど、それらを駆使してできあがった料理の性格そのものについては、鮮、美、淡、清、爽、滑、甘、香、脆、肥、濃、軟、嫩などの語を考えだした。これだけを自由に順列して組合わせてもその二語、三語、四語のヴォキャブラリーは莫大な数になるだろう。
しかし、語の叢林はとめどないのだから、そのおびただしさにたじろいでいては、とても一杯の清水の真価を論ずる資格はないものと覚悟しなければなるまい。

● 表現への挑戦

随筆『白いページ』原稿と刊行本
陸キャビア・トンブリについて書かれている

● 陸キャビア・トンブリ

ところでわが国に、“陸キャビア”があるのをごぞんじだろうか。東北出身の人にはなつかしいものの一つだと思う。キャビアはチョウザメの卵だけれど、これはホウキ草というものの実である。仁丹ぐらいの大きさだが、小粒のキャビアそっくりの色をしている。この小さな草の実に水が入っている。味も香りも、とりたてていうほどのものは何もない。けれどこれをヒリヒリするような辛い大根おろしにまぜ、ちょっと醤油をかけてから、熱あつの御飯にのせ、ハフ、ハフといいながら頬張ってごらんなさい。かわいい草の実が歯にあたってプチン、プチンとはじけ、水がとびだし、おろしの痛烈な爽快とまじって、思わず微笑がこぼれおちる。


「この男は食いしん坊のためにわざわざフランス語と中国語を学んだというほどの狼疾ぶりである」と自ら評した作家は、逗留先ですらすらと漢詩を訳すほど中国語にも堪能になった。

● 遺筆

先生の絶筆は『珠玉』であるが、これは小説家のそれである。生前に書かれた最後の文字は別にある。入院中のベッドの上で、見舞いの人の手帳に、中国の鶏の名を書いた。元気だったころの力強い、筆圧のある文字からは考えられない弱々しさで、やっと書きつけたかのような印象を受ける。

「おい、元気になってここを退院したら、なにを置いても真っ先に中国料理屋に駆け込んでナ、もうエエわというほど食うんャ。だからその前に、いま手帳に書いた鶏の料理が食べられる店を捜して欲しいんャ。エエか。頼んだデ。金は惜しまんでいい。うまい!といえるところにして欲しいんャ」 と熱心に頼んでいたそうである。

1989年11月21日の夜、病室での話である。その後、意識は二度と戻ることなく、鶏料理も食べることはなかった。

高橋昇『旅人 開高健』

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