1964年2月14日、取材従軍中の南ベトナム軍がDゾーンのジャングルでベトコンの一斉攻撃を受ける。5時間に及ぶ猛攻の下で、生き残ったのは200名の部隊中僅か17名。直後に秋元カメラマンと一枚ずつ写真を撮りあい「遺影のつもり」と記す。翌日に週刊朝日編集長にあてた電話送稿を録音したテープには生々しくその様子が語られている。
● Dゾーンにて
Dゾーンのジャングルこの写真をとった直後に襲われる。 Dゾーンの位置は地図と年表のページよりご覧ください。 |
ベトコンの掘った地下道「Dゾーンとは南ベトナムでもっとも危険度の高い地帯で、ここ広漠としたジャングルの地下にはクモの網のようにトンネルが走っている。」 |
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双眼鏡、水筒、ヘルメットヘルメットには、200名の部隊のうち僅か17名が生還したことを表現した17/200と、英語で「Dゾーンを忘れるな2月14日」と書かれている。 |
写真スクラップブック開高健と秋元啓一。生還直後、互いに写真を撮りあった。「遺影のつもり」と書き込まれている。 |
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…はたせるかな、ジャングル奥深く進んだわれわれは周囲から猛烈な攻撃をうけた。弾丸はありとあらゆる方向から飛んでくる。開高さんは倒木の影でこちらをにらんでいた。後ろから撃たれない保障ははないが、私は、大きなアリ塚を枕に仰向けに寝て、写真を撮っていた。恐怖感がなかったというのはうそになるが、自分のキャラバンシューズ越しに、いろいろな光景を撮った。負傷兵が続出した。十数人がジャングルの小径を逃げ出した。隊長も一緒なので、われわれも後についた。
その時が一番恐ろしかったと思う。逃げるという気持ちが、いかに人の心を弱くするかを私は知った。われわれのグループは17人になってしまっていた。ジャングルの底に横になりながら小便もした。開高さんも、その時、体力、精神力とも、ほぼ限界に達していたという。
秋元啓一
● 報道
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サイゴンから週刊朝日編集長への電話送稿を記録した録音テープベトコンに急襲され、生還直後の2月15日、16日のもの。「頭上を弾丸が飛び交っている」「戦争に勝者はいない」と伝える、開高健のナマナマしい声が収録されている。 |
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上:朝日新聞 昭和40年2月16日「開高氏ら命からがら逃げる」 ベトコンに急襲され、その安否が報道された 上:朝日新聞 昭和40年2月25日「“ユウレイやないで”」 ベトナムからの帰国が報道された左:朝日新聞 昭和40年2月17日「ベトコンの猛攻下に5時間」恐怖の体験が生々しくつづられている |
連載の週刊朝日2月14日の模様がつづられている |
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