開高健記念会

茅ヶ崎市 開高健記念館「開高健の大阪」

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企画展:開高健の大阪

大阪での創作と大阪を語る著作

開高健は、大学卒業後、壽屋(現サントリー)に入社。コピーライターとしてその才能を宣伝部で発揮するかたわら、1957(昭和32)年、小説『パニック』を「新日本文学」に発表し、一躍新人作家として注目されます。翌1958(昭和33)年、『裸の王様』で第38回芥川賞を受賞し、住まいを東京都杉並区矢頭町に移し、1959(昭和34年)に『日本三文オペラ』を文藝春秋から刊行します。

● 小説『パニック』の自筆原稿

開高健が世に出るきっかけとなった小説の自筆原稿。壽屋のPR誌「洋酒天国」用に作られた200字詰め原稿用紙に書かれている。その所在がわからなかったが、1995年の暮れに39年ぶりに見つかり話題を提供した。関西大学図書館に所蔵されていて、今回、同図書館の好意で出展が実現した。

「パニック」自筆原稿。 タイトルを「大いなる幻影」から書き換えたあとが見られる。


パニック初刊本

原稿発見を伝える新聞記事

● 初期の制作活動

Sherwood Andersonの「冒険」の訳

同人誌「えんぴつ」と「文学室」


左上:北尾書店時代
右 :寿屋(現:サントリー)宣伝部時代

開高健が原稿執筆時に使っていた卓袱台。この卓袱台だけを持って牧羊子宅に転がり込んだ。

● 大阪を語る著作

原風景、戦中戦後の大阪は開高作品のそこかしこに顔を出す。

「消えた故郷」 自筆原稿 旧制高校時代(天王寺中学校)にふれている。

「新しい天体」 1974年

「ドテ焼きについていうと、西のドテ焼き、東の煮込みちゅうところやね。ドテ焼きは牛の腱や屑肉を串に刺して鉄の浅鍋で味噌をひたひたにしたのへつけて、こう、グツグツと煮たもんやけど、煮込みちゅうのはこうやないね。モツのいろいろなパーツをこまぎれにして味噌で煮たものや。ネギをかけたり、トウガラシをかけたりして食べる。ここらあたりをさぐってみたら何ぞ東西の気質 のちがいちゅうようなモンがわかるのンと違うやろか」

「日本三文オペラ」 1959年
大阪ジャンジャン横丁にて

ジャンジャン横町というのは大阪の「新世界」という場末の歓楽街にあるせまい路地である。…新世界そのものは、美術館のある丘のしたにひろがった、むらむらとした濕疹部、または手のつけようもなくドタリとよこたわった胃袋とでもいえるようなところだから、ジャンジャン横町はそれにつづく腸管みたいなものである。フクスケはその腸管のなかを流れる青い夕靄の川のなかにただよっていた。

ここ二、三日、彼はなにも食つていなかった。彼のねぐらは胃袋の入口にあたるような、動物園の植込みのかげにあった。そんなところに寝起きしながら干されるというのはすこし妙な氣がするが、事實であった。軒なみ何十軒と數知れぬ飲食店をまえにしても、また、そこにウンカのような通行人の群れがあっても、一度なにかが狂いだすと豆一粒食えぬというのはしばしばありがちなことだ。恐慌の氣配をかぎつけると、フクスケは何度となくねぐらからでて新世界へ入っていき、ジャンジャン横町へもぐりこんでみた。塵芥箱、残飯山、哀訴、門附け。胃袋から腸へ、腸から胃袋へと、内側をつたってだめなら外側へまわり、外側がだめなら東西に歩いてみる。

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