開高健記念会

茅ヶ崎市 開高健記念館「開高健 自筆原稿」

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企画展:開高健 自筆原稿

文壇登場

鮮烈な文壇デビューを飾った『パニック』の記念碑的原稿から、芥川賞受賞後、後のルポ文学につながる『日本三文オペラ』までの自筆原稿。細く丁寧で繊細な筆致から浮かび上がる初期の作家の姿。

パニック

ネズミの異常大量発生によって人間社会に引き起こすパニックを主題とした内容の小説。これによって開高健が世に出ることとなる記念碑的原稿。すなわち、まだ無名の作家が書いたこの作品を雑誌で目にした平野謙が、毎日新聞で読者の人気を得ていた自身の連載「今月の小説ベスト・3」で大絶賛し開高健の名を一躍世に知らしめた。この一日にして文壇に躍り出た現象を谷沢永一は、「百年に一度の大事件であり奇跡であったと評価してよかろう」(『開高健一言半句の戦場』)と記し、永井荷風の絶賛によって谷崎潤一郎がたちまち文壇に躍り出た例になぞらえている。

原稿用紙にあるインクで消した最初のタイトルは『大いなる幻影』と読める。戦後開高健が観たフランス映画と同名である。

初出:「新日本文学」1957(昭和32)年8月/27歳

『パニック』自筆原稿。関西大学図書館所蔵。左の拡大部をみると、開高健が編集長を努めていた壽屋のPR誌「洋酒天国」の原稿用紙を使っていたことが分かる。

巨人と玩具

キャラメル売り上げの伸びなやみに頭を痛める製菓会社。原因は宣伝効果の不足にあると考え、他社のまねのできないような宣伝を考えろ、と会社は宣伝課にハッパをかける。これは50年ぶりに発見された生原稿。雑誌掲載の翌年、監督増村保造、主演川口浩、野添ひとみらで大映が映画化している。

1957年開高健は、8月に『パニック』、10月に『巨人と玩具』、12月には『裸の王様』をたてつづけに発表している。このころは、昼は寿屋宣伝課で仕事をこなし遅い帰宅ののち、東京・杉並にあった寿屋所有の自宅で執筆に励むという過酷な日課をこなしていた。谷沢永一は「『文学界』十月号には「巨人と玩具」を掲載したものの、期待が大きすぎたゆえもあって必ずしも好評ではなく決定打とならなかった」と書いている(「開高健の強運」『開高健の一言半句の戦場』)。

初出:「文学界」1957(昭和32)年10月/27歳

『巨人と玩具』自筆原稿。開高健記念会所蔵

日本三文オペラ

芥川賞受賞後、必死に作品の題材を探していた開高健は詩人で作家の富士正晴から聞かされた大阪のアパッチ族の話に飛びついた。敗戦直前B29の爆撃によって壊滅した兵器工場跡地から鉄材を掘り起こして売りはらい生計をたてていた朝鮮人集落の人々と国有財産を守ろうとする警察機動隊との戦いの物語である。

彼らはみずからをアパッチ族と称し全国に勇名をはせていた。谷沢永一や新聞記者などの協力により敗戦直後の朝鮮人集落に入り込んでの困難な取材を敢行して書かれた。後に作家になった梁石日(ヤンソギル)は当時そのアパッチ族の一員として「活躍」しており、彼は「開高健展パンフレット(神奈川近代文学館・1999年)に寄せた文章「『日本三文オペラ』について」のなかで、アパッチ族壊滅後逮捕を逃れた自分と、これまた後に詩人になった金時鐘のところへ開高健が取材に来たことを述べ、取材のあとお礼に、といって金時鐘の奥さんに当時流行った七色パンティを持ってきたことを付け加えている。

初出:「文学界」1959(昭和34)年1月~7月/29歳

『日本三文オペラ』自筆原稿と書籍。手稿は神奈川近代文学館所蔵

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