開高健記念会

茅ヶ崎市 開高健記念館「開高健『一言半句の戦場』」

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企画展:開高健『一言半句の戦場』

一言半句の交友

やっぱり、食いもの、飲みもの、音楽などというものは文化ですな。まア、文化と文明はどう違うかというのは、いろいろ定義の仕方があるんですけど、私は、文化というのはその土地に固有なものであって、他の文化圏にもっていっても容易に伝達することができないか、もしくは伝達不可能なものを指すんじゃないかと思うんです。だからでかけていくんですが(笑い)。

(1984年(昭和59年)7月「Rack Ace」椎名誠との対談)

開高家のアルバム


開高家のアルバムから…文人との交友

わが家には娘が一人いる。慶応高校二年生だ。近ごろの少女の特質として、丈夫一式、栄養満点。肩も、胸も、腰も、モモも、ふくらみにふくらみ、プリプリとしていて、うっかりついたら、こちらのほうがツキユビしそうである。
たまたま夕方おそく、テーブルにもたれて酒を飲んでいると、それが素っ裸になってふろ場へかけだすのを見る。まるでボナールの“浴室の女”が走るようである。“ドイタ、ドイタ” と叫びつつそれが走り、すれちがいざまにちょいとひじでつかれると、
「……オッ」
ぐらぐらとなり、目をみはるというよりは、グラスの酒がひっくりかえりそうになって、うろたえてしまう。

1969年(昭和44年)4月16日「毎日新聞」

サイゴンからの手紙

対談などから

内藤陳

開高
スパイ小説というのは、新聞の欄外余白に書かれたニュース、解説なんだな。だから母体である新聞そのものの成熟度と、スパイ小説の成長は密接な関係があるんで、スパイ小説のいい、悪いでその国の新聞の程度がわかるといっても過言ではないんです。
わが国のように長く、社会主義にいちゃもんつけたらあかんデ、そういう原稿はボツにするデというふうなエセ進歩主義がはびこっていたら、欄外余白なんてとてもあるわけない。昨今、ようやくボロボロになって破産しましたけどね、エセ進歩主義も。
内藤
そうでしょうね。戦後の――ぼく、深いことはわからないけど、感覚でもってそういうものを信じないようにしてる。嘘つきはわかるんです。

1983年(昭和58年)11月25日「週刊プレイボーイ」

吉行淳之介

開高
ニューヨークで魚釣りに行ったとき、ブルーフィッシュという魚を狙って行ったんですが、何日かかっても釣れない。あるとき、子供のときに防空壕の中で古伍長に教えてもらったことを思いついて。大陸前線に行くときにお守りに女の大事な毛を持っていく。それを思い出しましてね。ぼくは夜中にホテルを抜け出して、レキシントンアベニューのセックスバーの暇そうな女の子の一人に、ヨチヨチとした英語で、実はあした魚釣りたい、あなたの毛をいただきたいと切り出したら、変質者かと思われた(笑い)。いや違うの、これはアジアの偉大な言い伝えなのと言ったわけ。
吉行
偉大なってとこがいいね(笑い)。
開高
それを持って、ロングアイランドの先っちょのモントークというとこへ行って釣り出したの。パンパン釣れた(笑い)。それで気をよくして、次の日もう一ぺん繰り出したの。一匹も釣れない。きのうとおんなじ方法、おんなじ……。結局、あの女の子はヒステリー気質なんじゃないかということにしたんだけどね。わからんね、魚釣りは。
吉行
呪術的な要素が全部吸いとられたんだ。前の日に。

1982年(昭和57年)1月1日「銀座百点」 吉行淳之介、円地文子、小田島雄志との対談より

開高家のアルバムから

木村尚三郎

木村
外国へ行くと一番困るのは、歯がズキンズキン痛いとか、シクシク痛いとかそういうことを表現できない。外国では強く痛いか弱く痛いかですよね。
開高
日本人は確かに音に弱いんだが、ネバネバとかヨチヨチとかギンギラギンにさりげなくとか、これだけ日常会話から抽象世界にまで擬音語が入ってくる。これはプリミティブでそれゆえの強力さがあって精神が健康なのか。それとも植物化しちゃっているのか。そこのところがよく分からないのよね。ある時は大変強力だと思う。しかし、いかにも幼稚ではないか、自然に対して自分を反措定として立てる姿勢がないのとちゃうやろかとも考えたりする。

1987年(昭和62年)1月1日「新潟日報」他

武田泰淳

とにかく彼のあらゆる悪徳と美徳とにかかわらず、私は彼の作品が好きであった。“潔癖”という美の偏見のためにやせ衰えて見る影もなくなった、けちくさい、せせこましい、卑屈でわずらわしいだけの貧血症におちこんだ日本文学に、彼はそれまでにかつてなかった、視野と思考と論理の豊饒さをあたえてくれた。彼は私を昂奮させ、感嘆させ、しばしば呆れさせたが、結局のところ、いつも忘れることのできない作家であった。

1963年(昭和38年)6月5日 武田泰淳著『わが中国抄』(普通社)解説

開高家のアルバムから

C・W・ニコル

ニコル
アイスランドでは、いまでもゴンドウクジラとか、とっています。でも、ああいう小さな島は、あまり叩かれないんです。なぜかというと、反捕鯨のヒッピーたちが来たとしても、歓迎されないから。
開高
そうでしょう、当然。だから、問題はインドネシア人が同じように鯨をとってるとしたら、どのように拒否されるだろうか。それから、ヨーロッパ人でいえば、切手で食ってるリヒテンシュタイン人が鯨をとりに行って、日本人と同じようなことをやったとしてもですよ、排撃されるかどうかというと、この人は「ノーだ」と。日本人だから叩かれるんだ、出る杭は打たれる、この論理だと、こうおっしゃるわけ。

1984年(昭和59年)6月20日「ライトアップ」

立木義浩

わざと粗暴な口のききかたをしたり、
関西ヤクザの口真似をしたり、
私がおかしなことを口走るとすかさず“殿、御乱心を”などとはさんだりするのは、
関西知識人に特有の含羞からくるものと察しられますが、
感じやすさや傷つきやすさを防衛するためのものかも知れません。
また被写体になる人物をほぐし、
くつろがせ、
自由に泳がせていい瞬間を分泌させるための心の工夫であるのかも知れません。
――中略――
スリのことをアメリカ英語では“ピッカー(つまみ屋)”と呼ぶそうですが、
この人は瞬間の名狩人であり、魂の名ピッカーであるようです。

1985年(昭和60年)10月25日 立木義浩著『花気色』(集英社文庫)解説

写真提供:立木義浩

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