開高健記念会

茅ヶ崎市 開高健記念館「開高健『一言半句の戦場』」

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企画展:開高健『一言半句の戦場』

一言半句の精神

他人さまの作品を判断するボクの基準は、実に簡単です。とくに新人賞、芥川賞の選考のときもそうだけど、ボクは作品中に一言半句、鮮烈な文句があればもう充分だというのが私の説やね。一言半句でいいんだ。ところが、これが実にない。数万語費して一言半句でいいんだ。その人の将来性、賞をもらって修練すれば、獲得されるだろう魅力、あるいは修練しなくても、それ以前のもう手のつけようのない才能の鉱脈、こういうものはその一言半句に現われているものです。……

1979年(昭和54年)5月8日「週刊プレイボーイ」

ノンフィクションベスト5

まあ、乱読の途中で、一度有名なノンフィクションものを読んでみたらいい。ベスト5を挙げるとすれば、ジョン・リードの『世界をゆるがした十日間』、それからT・ヘイエルダールの『コン・ティキ号探検記』とかS・ヘディンの旅行記『さまよえる湖』。あと2つは何がいいかなあ。そうクリストファー・イシャウッドのベルリン物語(邦題『ベルリンよ、さらば』)、映画の『キャバレー』の原作ね。もうひとつは、そうだな、最近のものからT・カポーティの『冷血』。これなんか、彼自身の自分の文体との闘争そのもの。非常にいいねぇ。

1979年(昭和54年)5月8日「週刊プレイボーイ」

オーパ!

(何事であれブラジル人は驚いたり感嘆したりするとき「オーパ!」という)
開高健が原稿に記入した、連載タイトルの指示

中国革命からヴェトナム戦争へ

(私は自分の中国旅行記の中で、毛沢東たちの運動の全貌と本質が、本来なら日本人によってとらえられるべきはずのことであったのにアメリカ人によって完全無垢にとらえられた事実についての、いささか調子の高すぎる反省と嘆きを書いてしまったが、いま思いかえすと、はずかしい。自国の歩みについての反省が肉の中にしみていなかった。ほんとに、はずかしい。旅行中の感傷におぼれて、ついつい私は、おごそかでおろかしい批評家になってしまったのだ。)

1963年(昭和38年)6月5日 武田泰淳著『わが中国抄』(普通社)解説

バーチェットの報道したゲリラ戦のさまざまな創意工夫の実態は私の興味をひき、敬意を起させられたが、私の抱いているいくつかの点についての疑問に彼は何ひとつとしてふれていないし、むしろふれることを避けようとしているかのように私には思えたのである。そこで、サイゴン政府軍とアメリカ軍の実態については誰でも、いつでも、好むままに取材できるのだから、私は未知なるものへの情熱から、解放戦線にぜひ従軍したかったのだ。ひそかに私は延安へ赴いた若いスノーを自分に擬していた。

1966年(昭和41年)7月25日『現代世界ノンフィクション全書18』(筑摩書房)解説




撮影:秋元啓一
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