
写真出典『オーパ、オーパ!! アラスカ至上篇』
荒野の川を朝早く遡っていくと、何十羽となくハクチョウが飛びたつ。パーキーが、おっとり、スワンという。ビーヴァーが岸沿いに泳いでいると、ダム・ビルダーという。カワウソのおっ母さんは水面に仰向けに寝転び、ずんぐりむっくりのおなかに赤ン坊をのせて、ゆうゆうと流れていく。私たちとすれちがっても、おっ母さんは丸い頭をひねってちらとこちらを一瞥するだけ。ゆうゆうと枕のように流れていく。パーキーは、おっとり、オターという。
(『アラスカ点描』昭和50年5月1日「小説新潮」29巻5号)
開高健のアラスカ地図

開高健の作品に登場するアラスカの地を示す地図
アラスカはおそらく川と湖と海に魚があふれかえっているくらい豊穣な土地で、私たちが回生できる文字通りの“最後の開拓地”であるが――そこに住む人は荒廃するかもしれないが――自然は透明な法できびしく管理されている。(略)
私は規則書を読み、またパーキーから禁令の数かずを教えられているうち、一種の新鮮な闘志がわいてくるのをおぼえた。それは、こういうこまごました規則をやぶってひそかに大物を仕止めてやろうという快感よりは、何もかもすべてを守ったうえでしかもゴールインしてやろうという衝動であった。つまり、スポーツマンシップというものである。むらむらと旺盛になってきた。
昭和46年2月『フィッシュ・オン』(朝日新聞社)
アラスカの魚

真夏のアラスカだが、一度雨が降ると、真冬の風景となる。(ティクチク湖)
『もっと遠く!』より
学者の推定ではこの海域で操業するアメリカ、カナダ、ソヴィエト、日本などの漁船団がとる魚類が総計四〇〇万トン、いっぽうオットセイやトドなどの海獣類は六〇〇万トンの魚介を食べているだろうとのことである。これだけの魚、貝、海獣、海鳥、人間をベーリング海は養っているのだから、荒天、強風、濃霧、氷雨だけを見て何事かを判断し、断定してはいけないのである。
昭和62年2月オーパ、オーパ!! 『王様と私』(集英社)
父と子
もうひとつ。いい光景は、小舟に乗った父と子である。二十キロ、三十キロもあるサケをかけた子が竿にしがみついて、よろよろしている。それを父がよこからああしろ、こうしろと口はだすけれど、けっして手をだそうとはせずに、ただボート操作だけに終始しつつ、河を下っていくのを見ることがある。(中略)
私に息子があればここにつれてきてこうしてやりたいとおもう。私も子供だった頃に父にこうしてもらえていたら……とおもうこともしばしばである。じつに、しばしばである。
昭和62年2月『王様と私』オーパ オーパ アラスカ至上篇(集英社)
『丸太小屋(キャビン)の爆発』自筆原稿
ブリザードの氷寒地獄。
いまだに“アラスカ”と聞けば反射的にそういうイメージを思いうかべる人が多いと聞かされる。“冬”と見られる季節が一年に5ヵ月か、場所によっては6ヵ月もある国なので、やむを得ないことかもしれないが、ちょっと残念なことである。そういう人には、たとえば、ファイヤ・ウィードの咲きほこる原野を見せてあげたい。














