開高健記念会

茅ヶ崎市 開高健記念館河は呼んでいる「開高健とアラスカ」展

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企画展:河は呼んでいる「開高健とアラスカ」


写真:水村 孝

釣り人・開高健

秘技として我等にその技を伝授した 然るに我等の釣技一向に進歩せず 心境も後退して何等名教の見るべきところもない
蘭童の厚情を無にするに近い 依って釣技日進月歩の境地にある開高健に蘭童開発の技を秘かに囁きたい
幸ひ君の竿頭須らく童心宿るべしと念ずる次第である。

(井伏鱒二『福田蘭童開発 鮎餌釣技法』)

開高健の釣り道具

リール

スウェーデンABU社の創立50周年を記念してつくられたリール。わが国では開高健を含め3人の釣り人に贈られた。

ルアー


夏のアラスカの神器のルアー
愛用のラインカッターとヤスリ

ドラドがルアーに引っかかって大ジャンプをして、黄金の水しぶきをあげるという燦爛)たる光景に出会って、私はこの一瞬のために地球を半周してきたのだなあという感じに襲われました(笑)。わが貧困なる生涯の中での幸せな一瞬のひとつです(笑)。

1981年(昭和56年)8月20日「朝日新聞」


愛用の傷ついたルアー

傷ついたルアー

ルアーについた傷もうれしいものである。(中略)
夜ふけにチクチクと眺め入ることにしてある。これは香水や、酒や、料理などと同じように、記憶の喚起剤として最高の事物である。(中略)
川の瀬音や、魚の跳躍の閃きや、ブレーキを突破して糸の走る悲鳴などが、つぎからつぎへと、春の枝の芽のようにとめどなく顔をだして、花ひらき、消えていく。(中略)
筆や、硯や、紙だけでなく、このような事物もまた 独居の文房の清玩といえるはず。

昭和59年10月『生き物としての静物』(集英社)

釣竿

小説家は長らくABU、後期はフェンウィック社製の釣竿を愛用した

伝授される


老師井伏鱒二から授けられた『福田蘭童開発 鮎餌釣技法』の巻物(複製)

遠くの岸にうずくまってひとりの老釣師が静かに穂先を凝視してる。井伏鱒二師である。師は本日はルアーでもなく、フライでもなく、古式のままイクラを餌に、浮子をつけ、ヤマメ竿で釣っていらっしゃるのである。ほんの岸よりなのだが、そんな思いがけないところにいい穴場を発見されたらしく、さきほどたずねてみると尺マスの入食だとのことであった。昨日は糸を浮子ごと切ってもっていかれるということもあって、昨夜と今朝、師は仕掛けをどれくらいの強さにしたものかと思いめぐらしてソワソワしていらっしゃる様子であった。その作戦が効を奏したのであろう。

尺マスの入食いとはさすがである。そもそもこの湖のことだ。ことごとく野生のニジなのだから、さぞ竿は武者ぶるいしていることであろうと思われる。昨日は手がふるえてイクラを鈎につけるのがむつかしかったと老師は笑っていらっしゃったが、今晩は乾杯また乾杯ということになるのであろう。

(昭和53年6月『完本白いページ』(潮出版社))

開高健・釣行年表

開高健釣行
昭和43年(37歳)雑誌「旅」に国内の釣行を連載。
昭和44年(38歳)『フィッシュ・オン』の取材でアラスカ他、10数カ国を廻る釣魚の旅を敢行。
昭和52年(45歳)『オーパ!』の連載に向けアマゾン、パンタナルを周遊する。
昭和54年(48歳)南北アメリカを縦断してアラスカへ。
昭和57年(51歳)オヒョウを釣りにベーリング海へ発つ。
昭和58年(52歳)チョウザメを釣りにカリフォルニアからカナダへ。
昭和59年(53歳)アラスカでキングサーモンを釣る。
昭和60年(54歳)中米コスタリカで大魚ターボンを釣る。
昭和61年(55歳)モンゴルへイトウ釣りに。翌年も再訪。
昭和63年(57歳)スコットランド他でマス釣りに挑戦。
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