開高健記念会

茅ヶ崎市 開高健記念館開高健とパリ展

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企画展:開高健とパリ

開高文学とパリ

しかし彼はその後も『嘔吐』を読み続け、中年を過ぎてからやっと読むのは「もういい」と思うようになる。実はその頃から潜伏していたサルトルの影響がじわじわと表に出るようになる。その最も顕著な成果が開高健の代表作と言われる『夏の闇』である。彼は現代のめまぐるしく変貌する政治にその都度反応して小説が書けなくなったサルトルには批判的だったが、『嘔吐』は青春文学の一変型で、自分の『夏の闇』もまた青春の墓碑銘であり、両作に共通するのは求心力に徹した作品であると言う。

(『開高健のサルトル体験』開高健記念会会長 坂本忠雄)

『夏の闇』

『嘔吐』の主人公アントワーヌ・ロカンタンは世界中を旅した後、北フランスの港町に滞在し日記をしたためるが、最も有名なマロニエの根を眺める場面で、「実存はふいにヴェールを剥がれた。すべてが消え失せた。怖ろしい淫猥な裸形の塊だけが残った。」という体験をし、やがてそれは「実存とは、そこから人間が離れることができない充実したもの」という発見につながる。これは『夏の闇』での一組の男女がひたすらに交わり眠り食べるという、生の営みを元素にまで還元した姿に通底している。後期の開高文学はここから始まったが、サルトルの一冊の本との出合いがいかに彼にここまで影響を及ぼし、そこからさらに脱皮して彼の独自性を成熟させ、豊かな作品世界をもたらしたかが証されている。

開高健のサルトル体験

『夏の闇』特別愛蔵版 直筆原稿 平成20年(2008)年12月9日(開高健記念会)

『夏の闇』の主人公と女が10年振りに会った舞台になったと思われるパリ北駅。

セシリア・瀬川・シーグルさんとの往復書簡:『夏の闇』の翻訳をきっかけに始まったアメリカ在住の瀬川さんとの書簡は、1972年から85年まで130通に及んだ。同年配の瀬川さんに気を許したのか、自作について率直に語っている。

アラゴン

1968(昭和43)年6月、文藝春秋の臨時特派員として、動乱のパリ視察に出発し、東西ドイツ、サイゴンを経て、10月に帰国。

 コミュニスト詩人、アラゴンは老来ますます公式左翼のご用作家となり果ててシュールレアリスムを社会主義レアリスムにおきかえるトリックにふけり、“無残な老醜”をさらけだしている。『エルザの瞳』はシュールとは無縁である。では社会主義レアリスムか。そうでもない。“シュールレアリスムの手法で、社会主義レアリスムを描く”というが果してそうだろうか。マヤコフスキーの詩も社会主義やレアリスムといったものとはいえまい。詩における社会主義レアリスムとは何だろう。シュールとアラゴンの関係の真実はどこにあるのだろ。

 イズムは作品を指導しようとしていつも作品にほおをうたれる。愚作、傑作、いずれの場合にもそうであるらしい。この種の議論はわが国ではとっくに水脈を失ったが、もっと論じられていい。

(針の穴)

初出紙:昭和43年2月23日『朝日新聞』夕刊「標的」『言葉の落葉』Ⅳ(冨山房)収録

ルイ・アラゴンの詩をアテネ・フランセで書き写した生原稿

「文学室」昭和27年(1952)年7月号 第47号 ルイ・アラゴンの訳詞「新断腸詩集抄」掲載

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