開高健記念会

開高健記念会ニュース

このNEWSページでは、開高健記念会の活動の現況を中心に、開高健関連のさまざまな情報もお知らせしていきます。

12月9日(水)「開高健とボージョレーヌーボーの会」が開かれました

 

2009年の12月9日は、開高健の20回目の命日にあたりました。親しい方々にお集まりいただき、ボージョレ・ヌーヴォーを飲みながら、一夜、開高健を語り合いました(日比谷・日本プレスセンタービル内「アラスカ」にて)。

お話しする柴田さん

会に先立ち、作家が愛した紅茶にちなんで、開高健にまつわるお話をしていただく「紅茶会」講演会を催しました、今年は作家の柴田翔さんに講師をお願いしました。1970年から期間3年限定で刊行された雑誌「人間として」。小田実、高橋和己、柴田翔、真継伸彦といった編集人のなかに開高健が加わった経緯、同人活動での開高健にまつわるエピソード、未完の小説「花終る闇」に登場する女性についての感想など、1時間半にわたって講演されました。

パー ティ冒頭には、記念会の坂本忠雄会長の挨拶と会の活動報告、 羅臼から来てくださっている阿部満晴さんによる献杯のあと、「インパラの朝」で第7回開高健ノンフィクション賞(主催:集英社)受賞者である中村安希さんへ、記念会より、作家愛用のモンブ ラン 万年筆(開高健のサインロゴ入り)が贈呈されました。

会場であるレストラン「アラスカ」には、茅ヶ崎の記念館で2003年から連続して行っています「企画展」全12回分のポスターが展示され、参加者の目を引いていました。ご出席の方々には、できたばかりの紅茶会講演集「ごぞんじ開高健 Ⅴ」がおみやげに配布されました。

過去の企画展のテーマ、期間は以下のとおりです。

カテゴリ:イベント 紅茶会 2009-12-17

7月26日、『輝ける闇』『夏の闇』翻訳秘話をめぐる特別紅茶会が行われました

開高健が全面的に信頼し、代表作『輝ける闇』『夏の闇』の英訳をゆだねた翻訳者がいました。セシリア・瀬川・シーグル氏。米国在住の彼女との文通は、作家の亡くなる間際まで続けられました。生前、自作について語ることの少なかった開高健が、翻訳者の質問に答えるかたちで書いた貴重なやりとりです。瀬川氏の来日にあわせ、下記のように「それぞれの開高健を語る」特別紅茶会が催されました。

日時:2009年7月26日(日) 午後2時~

場所:茅ヶ崎市役所 分庁舎 5階 「AB会議室」

出演:セシリア・瀬川・シーグル(翻訳者)、坂本忠雄(開高健記念会会長・「夏の闇」担当編集者)

*当日は、記念館での開高健作品朗読会でもおなじみの野崎美子氏(女優・演出家)による『夏の闇』の朗読も企画しております。

なお、次回の「朗読会」は9月27日(日)午後2時から、いつものように茅ヶ崎の開高健記念館にて。「戦場の博物誌」のなかからを予定しております。

カテゴリ:イベント 朗読会 紅茶会 2009-06-11

開高健を語る 講演集「ごぞんじ開高健 Ⅳ」 刊行のお知らせ

「紅茶会」講演集「ごぞんじ 開高健 Ⅳ」が出来上がりました。A5判264ページ、2段組。

日曜日の午後、開高さんが愛した紅茶を飲みながら、それぞれにとっての開高健を語る「紅茶会」。すでに刊行している講演集「ごぞんじ 開高健 Ⅲ」(A5判272ページ)もあわせてご覧ください。

●「ごぞんじ 開高健 Ⅳ」(2008年12月9日刊行)収録分

「シェ・ルネ」と開高健 細谷 弘
開高先生と水泳 林 正則
『最後の晩餐』と最後の原稿 雨宮秀樹
銀山平の開高さん 佐藤 進・常見 忠
開高健 釣りエッセイの修辞学 菊谷匡祐
気恥ずかしがりやの開高さん 南川三治郎
横方回転の王様 体操部同級生の開高健 作花済夫
異国で読む開高健 角田光代
食と想像力 川又良一
ノブレス・オブリージュ 開高健とダンディズム 藤森益弘

ご希望の方には開高健記念館(茅ヶ崎)にて1500円で配布しております。(部数限定です。申し訳ありませんが「Ⅰ」「Ⅱ」はすでに売り切れております)。

「ごぞんじ開高健」のバックナンバーの内容はこちらをごらんください。

http://kaiko.jp/wp/?cat=5&paged=2

カテゴリ:紅茶会 2008-12-22

講演集「ごぞんじ開高健」の記録(Ⅰ~Ⅴ)

毎月・最終・日曜日、午後2時から、茅ケ崎の開高健記念館で講演者に「それぞれの開高健」を語っていただく講演会「紅茶会」、第62回は2009年7月26日、茅ヶ崎市市庁舎内会議室での開催。「輝ける闇」など開高健作品の英訳者であるセシリア・瀬川・シーグルさん(フィラデルフィア在住)を招き、「夏の闇」の編集者だった坂本忠雄・開高健記念会会長がお話しを訊きました。

「紅茶会」は講演会資料集「ごぞんじ開高健」としてまとめられております。内訳は以下の通りです。

●「ごぞんじ 開高健 Ⅴ」(2009年12月9日刊行)収録分

開高先生と越前ガニ 長谷政志
開高健の招待状 ――出会いとベトナムの記憶 阿奈井文彦
ベトナムと開高健 石川文洋
開高健・映像の裏側 東條忠義
開高健と山口瞳 石井 昂
大日本落胆派 小畑祐三郎
開高健 モンゴルを駆けた夢 高橋 曻
開高健とパイプ 青羽芳裕
耳の人・開高健 豊田健次
『ずばり東京』連載のころ 永山義高
開高さんと高橋さん 菊池治男
ウイスキーと北極イワナ C・W・ニコル
対談 『夏の闇』翻訳秘話を語る セシリア・瀬川・シーグル、坂本忠雄

●「ごぞんじ 開高健 Ⅳ」(2008年12月9日刊行)収録分

「シェ・ルネ」と開高健 細谷 弘
開高先生と水泳 林 正則
『最後の晩餐』と最後の原稿 雨宮秀樹
銀山平の開高さん 佐藤 進・常見 忠
開高健 釣りエッセイの修辞学 菊谷匡祐
気恥ずかしがりやの開高さん 南川三治郎
横方回転の王様 体操部同級生の開高健 作花済夫
異国で読む開高健 角田光代
食と想像力 川又良一
ノブレス・オブリージュ 開高健とダンディズム 藤森益弘

●「ごぞんじ 開高健 Ⅲ」(2007年12月9日刊行)収録分

開高健記念館開館にむけて 吉澤一成
『洋酒天国』のころ 柳原良平
よれよれの開高です 藤本和延
開高さんがいた職場 小玉 武
ベトナムと開高健を思う チャン・バン・トアン
開高健とベトナム戦争 戦争の魔力について 永山義高
わたしが体験したベトナム 菅野 徹
ベトナム戦争を報道した人々 福島申二
記録文学『ベトナム戦記』を巡って 吉岡 忍
開高さんの道東での釣り紀行 阿部満晴
心に通じる道は胃袋を通る Ⅱ 谷口博之

●「ごぞんじ 開高健 Ⅱ」(2006年12月9日刊行)収録分

『オーパ!』をつくる 山崎隆芳
虚無と絶対の求道者 開高健 大岡 玲
開高健の本づくり 三村 淳
続『オーパ!』を語る 高橋 曻
開高健・旅人の横顔 菊池治男
開高健と酒 吉澤一成
断想・開高健 背戸逸夫
「書いた? 書けん!」 森啓次郎
開高さんの遊び心 島地勝彦
開高健さんの眼 桐原良光
開高先生とドキュメンタリー 岩切靖治
開高さんが好きだったもの 湯川 豊

●「ごぞんじ 開高健 Ⅰ」(2005年12月9日刊行)収録分

開高健 ルポと文学の舞台裏 永山義高
開高健の魅力 栗坪良樹
開高健のいる風景 菊谷匡祐
開高健さんのドン・ペリニョン 塩谷 紘
『夏の闇』の書かれ方 坂本忠雄
釣り師・開高健さんとわたし 常見 忠
ベトナムと開高さん 白川浩司
開高健と同甘同苦 高橋曻・菊池治男
アドマン開高健 ゆたか・せん
モンゴルでの開高健 鯉渕信一
心に通じる道は胃を通る 谷口博之
開高健観 佐藤嘉尚

ご希望の方には開高健記念館(茅ヶ崎)にて1500円で配布しております。(部数限定です。申し訳ありませんが「Ⅰ」はすでに売り切れております)。

カテゴリ:紅茶会 2008-12-10

紅茶会の記録(第1回~第62回分)

「紅茶会」は、開高さんが愛した紅茶を飲みながら、日曜日の午後、開高さんが居を構えた茅ヶ崎で文学や釣りや世相を語るサロンです。月に1回、友人として、文学の同士として、編集者として親交のあった人たちが「開高健」を語っています。

今までにお話をされた方は、以下の皆様です。

開催年月日 お話 テーマ
第1回 平成14年6月22日 永山 義高 氏 開高健 ルポと文学の舞台裏
第2回 平成14年7月28日 栗坪 良樹 氏 開高健の魅力
第3回 平成14年8月25日 菊谷 匡祐 氏 開高健のいる風景
第4回 平成14年9月29日 塩谷 紘 氏 開高さんのドン・ぺりニョン
第5回 平成14年10月27日 坂本 忠雄 氏 『夏の闇』の書かれ方
第6回 平成14年11月24日 常見 忠 氏 釣り師・開高健さんとわたし
第7回 平成15年4月27日 白川 浩司 氏 ベトナムと開高さん
第8回 平成15年5月25日 高橋 曻氏・菊池 治男 氏 開高健と同甘同苦
第9回 平成15年6月28日 藤本 和延 氏 よれよれの開高です
第10回 平成15年7月27日 せん・ゆたか(鈴木豊) 氏 アドマン開高健
第11回 平成15年8月31日 鯉渕 信一 氏 モンゴルでの開高健
第12回 平成15年9月28日 谷口 博之 氏 心を通じる道は胃袋を通る
第13回 平成15年10月26日 佐藤 嘉尚 氏 開高健観
第14回 平成15年11月30日 山崎 隆芳 氏 『オーパ!』をつくる
第15回 平成15年12月9日 大岡 玲 氏 虚無と絶対の求道者 開高健
第16回 平成16年1月25日 三村 淳 氏 開高健の本づくり
第17回 平成16年2月29日 高橋 曻 氏 続『オーパ!』を語る
第18回 平成16年3月28日 菊池 治男 氏 開高健・旅人の横顔
第19回 平成16年4月25日 吉澤 一成 氏 開高健と酒
第20回 平成16年5月30日 背戸 逸夫 氏 断想・開高健
第21回 平成16年6月27日 森 啓次郎 氏 「書いた? 書けん!」
第22回 平成16年7月25日 島地 勝彦 氏 開高さんの遊び心
第23回 平成16年8月29日 桐原 良光 氏 開高健さんの眼
第24回 平成16年9月26日 岩切 靖治 氏 開高先生とのドキュメンタリー
第25回 平成16年10月30日 湯川 豊 氏 開高さんが好きだったもの
第26回 平成16年11月28日 吉澤 一成 氏 開高健記念館の開館にむけて
第27回 平成16年12月9日 柳原 良平 氏 「洋酒天国」のころ
第28回 平成17年1月30日 長谷 政志 氏 開高先生と越前ガニ
第29回 平成17年2月27日 藤本 和延 氏 よれよれの開高です
第30回 平成17年3月27日 小玉 武 氏 開高さんがいた職場
第31回 平成17年4月24日 阿奈井 文彦 氏 開高健の紹介状――出会いとベトナムの記憶
第32回 平成17年5月29日 チャン・バン・トアン 氏 ベトナムと開高健を想う
第33回 平成17年6月26日 永山 義高 氏 開高健とベトナム戦争――戦争の魔力について
第34回 平成17年7月31日 菅野 徹 氏 私が体験したベトナム
第35回 平成17年8月28日 福島 申二 氏 ベトナム戦争を報道した人々
第36回 平成17年9月25日 吉岡 忍 氏 記録文学の原点『ベトナム戦記』を巡って
第37回 平成17年10月30日 阿部 満晴 氏 開高さんの道東での釣り紀行
第38回 平成17年11月27日 谷口 博之 氏 心に通じる道は胃袋を通る―その2
第39回 平成17年12月9日 石川 文洋 氏 ベトナムと開高健
第40回 平成18年1月29日 細谷 弘 氏 「シェ ルネ」と開高健
第41回 平成18年2月26日 林 正則 氏 開高先生と水泳
第42回 平成18年3月26日 雨宮 秀樹 氏 『最後の晩餐』と最後の原稿
第43回 平成18年4月30日 佐藤 進 氏 銀山平の開高さん
第44回 平成18年5月28日 背戸 逸夫 氏 嬬婦岩での開高さん
第45回 平成18年6月25日 東條 忠義 氏 開高健・映像の裏側
第46回 平成18年7月30日 石井 昂 氏 開高健と山口瞳
第47回 平成18年8月27日 菊谷 匡祐 氏 開高健 釣りエッセイの修辞学
第48回 平成18年9月24日 小畑 祐三郎 氏 大日本落胆派
第49回 平成18年10月29日 南川 三治郎 氏 気はずかしがりやの開高健さん
第50回 平成18年11月26日 作花 済夫 氏 横方回転の王様:体操部同級生の開高健
第51回 平成18年12月8日 角田 光代 氏 異国で読む開高健
第52回 平成19年2月25日 川又 良一 氏 食と想像力
第53回 平成19年3月25日 藤本 和延 氏 普段着の開高さん
第54回 平成19年4月29日 高橋 曻 氏 開高健――モンゴルを駆けた夢
第55回 平成19年5月27日 藤森 益弘 氏 ノブリス・オブリージュ――開高健とダンディズム
第56回 平成19年6月24日 青羽 芳裕 氏 開高健とパイプ
第57回 平成19年8月26日 豊田 健次 氏 耳の人・開高健
第58回 平成19年10月28日 永山 義高 氏 『ずばり東京』連載の頃
第59回 平成19年11月25日 菊池 治男 氏 開高さんと高橋さん
第60回 平成19年12月7日 椎名 誠 氏 旅から見たもの
第61回 平成20年12月9日 C・W・ニコル氏 ウイスキーと北極イワナ
第62回 平成21年7月26日 セシリア・瀬川・シーグル氏、坂本忠雄氏 『夏の闇』翻訳秘話を語る

会場は、第1回から第6回は茅ヶ崎市の図書館で開催、第7回からは開高健記念館の開館によって同館で、第8回は、初めての試みですが、記念館から歩いてすぐの菱沼海岸で行いました。なお、15回、27回、39回、51回、60回、61回は毎年12月開高健の命日前後に催されている「開高健とボージョレーヌーヴォーの会」会場、62回は茅ヶ崎市庁舎会議室で行われました。

カテゴリ:紅茶会 2008-03-09

第60回紅茶会、講師は椎名誠氏

東京・日比谷の日本プレスセンター8Fにあるレストラン「アラスカ」で、2007年12月7日、「開高健とヌーボーの会」に先立って行われました「紅茶会」講演。講師は旅行家としても知られる作家・椎名誠氏。

開高健さんが亡くなったあと、チンギスハー ンの陵墓を探すというプロジェクトをお手伝いすることになった。しかし、じつを言えば、他の国の英雄のお墓をあばくというのはどうかという気もあって、見 つからなくってよかったという気持ちもあった。開高さんには生前、一度だけ会ったことがある。インタ ビューとも対談ともつかぬシチュエーションで、二時間ほど、なにをしゃべったか、覚えていない。あちこち、辺境といわれる土地も旅してきたが、開高さんの 旅への憧れもあった。

エスキモーの住む地域を旅すると、森林限界というのが高度差だけでなく、緯度によっても生じることがわかる。森林限界を過ぎた自然のなかでエスキ モーの人たちは知恵をしぼって、いろいろなものを食べて暮らしている。アザラシを倒してよく食べるが、すぐ皮をはぐと、皮と筋肉のあいだにころころした 寄生虫がいることがある。アザラシと共生しているわけだ。これなんかは、エスキモーにとっては、重要な栄養源、あるいはサプリメントといったところだ。い ろいろなところで虫やなんかを食べると、ゲテモノ食いだとか言われるが、現地の人が必要あって食べているものを、われわれも頂くのであって、ゲテモノ食い とはちがう。

アマゾンでは、アナコンダ(巨大な水蛇)に興味があり、現地のひとにたずねると、「大きさ自慢」がはじまることがある。どこそこのひとは15 メートルの蛇を捕まえた、とか、20メートルのものを見た、とか。そういう事情を日本の子どもたちに説明するときに、極大と極小の話をするとよくわかって もら えるのだが、蛇で言えば、1キロの蛇がいたとする。で、尻尾のほうで何か、誰かにかじられるとかの異変が起きると、その信号は神経細胞を通じて伝達されて 脳へ向かう。ある本によると、1キロ離れた脳にその信号が伝わるのに、90秒かかる。「ヤバいから尻尾を動かそう」という信号が、折り返し尻尾に届く ま でに、また90秒。これでは、とっくに尻尾は食われてしまう。現実には1キロの蛇というのは、神経伝達の面からも生物の限界を超えているわけだ。
極小で例をあげると、地球を直径1メートルの球とする。これが東京駅にあったとすると、太陽系でいえば、火星は東海道線・大崎あたり、一番遠い冥王星は姫 路あたりにある、ということになる。こういうと、子どもたちも、へえ、ということになる。極小にするとわかりやすくなる例だ。

そのほか、地球のいまおかれている危機的な状況、なかでも危ない日本のある姿を、大自然の奥深く旅してきた視点から、印象深く話されました。

カテゴリ:紅茶会 2008-02-28

第59回紅茶会、講師は菊池治男氏

釣魚紀行『オーパ!』シリーズで知られ、開高健記念会理事でもあり、2007年9月3日に急逝された写真家の高橋曻さん。開高健と高橋さんとの思い出を、同シリーズでふたりの取材に同行した編集者・菊池治男氏が語りました。

開高先生と高橋曻さんは年齢で19歳離れて いた。高橋さんの追悼をかねて思い出を話せということだったので、師とも父とも慕い、風貌が似てきたと言われることを喜んでもいた高橋さんと、開高さんと を、あえて比較しながら話したい。ふたりから「なんやて、比べんといてんか!」と文句が来そうだけれど……。
ふたりの旺盛な食欲、気持ちいいまでの大食らいぶり。アマゾンやニューヨークでのエピソード。弟子に厳しかった高橋さんと、新人の賞で厳しい基準で臨んで いた開高さん。開高さんは「賞はその人の人生を変える。慎重にならないわけにはいかないんや」という。これも優しさのかたちであり、あるいはご自身の芥川 賞受 賞前後の体験が影響しているのかもしれない。高橋さんは、厳しく鍛えた多くの弟子たちから慕われた。また、涙もろかった高橋さんと、たった一度だけ眼 にしたように思った開高健の涙のこと。アマゾンの河の上でにわか助手をしながら見た、カメラマンという職業のすごさと、小説家の、ノンフィクションを書く うえでのモノの見方との共通点など。

ふたりの傑出した表現者の現場に、世界のあちこちでじかに接する機会のあったことに感謝したい、と結ばれました。

カテゴリ:紅茶会 2008-02-05

第58回紅茶会 講師は永山義高氏

企画展示「ずばり東京」展に因んで、元朝日新聞役員で週刊朝日で「ずばり東京」「ベトナム戦記」などの連載を担当された永山義高氏が「ずばり東京」のころの関連年譜や連載当時の58回分の目次などのコピーを資料に講演されました。

まず、この3月に亡くなった茅ヶ崎在住の城山三郎さんが、亡くなる直前に娘さんとこの開 高健記念館に来たことを娘さんの著書で知って、感慨深かった。ルポと文学の舞台裏、戦争の魔力への興味など、二人の共通点を思った。
「ずばり東京」の連載は東京オリンピックの前の年、昭和38年10月4日号から始まっ た。当時の芦田編集長の「若い作家で元気のいいルポを!」という一言で始まった。自分は後半の3分の1を担当した。タイトルは当初「ずぶり東京」(当時の 副編集長の案)だったが、開高さんが「ずぶり、はどうも」というので「ずばり」に落ち着いた。東京の人口はこの年1000万人を超えた(現在は1270万 人)。山手線の初乗り10円、公衆浴場23円の時代。オリンピックによる国威発揚の舞台となる、変わり行く東京を描くこの連載は、大変好評だった。「東京 というものを主人公に物語を書きたい」と言っていた開高さんだったが、連載が終わって3週間後に旅立ったベトナムで、その文学のコースが変わったといえ る。
ベトナムの連載でも、一晩で1回分を書き上げる。締め切りは守っ た。ノンフィクションについて、文春文庫「ずばり東京」の「後白」に「ノン・フィクションといっても、目撃したり感知したりしたすべてのイメージを言葉に おきかえることはできないのだから、それはイメージや言葉の選択行為であるという一点、根本的な一点で、フィクションとまったく異なるところがない」とあ る。思えば一つの「転機」の時代だった。ノンフィクションにおける文体の自由化は、開高さんから始まった。

カテゴリ:紅茶会 2007-11-06

第57回紅茶会 講師は豊田健次氏

文芸編集者として30余年。多くの作家・文人たちと交流を持ってこられた元文藝春秋社の豊田健次(開高健さんらによる愛称は“豊健”)さんを講師に迎えて、8月26日(日)開高健記念館で行われました。

自己紹介を兼ねて略歴にそって申し上げると、昭和34年に早稲田の文科を卒業し、文藝春秋に入った。週刊文春の創刊にあたり、すぐ出版局に配属され、村松剛さんや佐伯彰一さんと酒場へ行ったおりに開高さんと知り合った。開高健体験はそれに遡る昭和32年、「文学界」に載った芥川賞受賞作を学生の間で回し読みしたとき。大江健三郎さんの作品も同時掲載で、新しい文学の時代の到来を感じた。しかし、開高さんの作品には生意気ながら予定調和的なものを感じ、個人的には大江さんのほうを評価した。

受賞第一作「なまけもの」はショックだった。受賞もむベなるかな、という感想を持った。それから遡って「パニック」を読み、感動、賛嘆。当時流行の「組織と文学」とは違う、生き生きとした、新しい人間観察があると思った。

時々さっそうと文春に現れては、当時出版局長だった池島信平とノンフィクション論を展開していたが、小説誌の編集者としては、「文学界」にも書いてくださいよ、と言いたかったのを覚えている。

「青い月曜日」の連載を、中断のあとから担当した。各回を、自分から大日本印刷の出張校正室にカンヅメになって書き上げていたのを思い出す。昭和46年「文学界」へ移り、「ロマネ・コンティ・1935」をいただいた。昭和49年「オール読物」へ。昭和51年「文学界」編集長になった。丸谷才一さんのプランで始めた対談時評は、開高さんが 第1回だった。また、「日本でいちばん尊敬する作家。『山月記』ではなく『わが西遊記』」と、中島敦というマイナーポエットを梶井基次郎とともに評価していた。

安岡章太郎さんによると「なんでも知ってる開高」、吉行淳之介さんによると「ヘンなやっちゃ」が開高健評だった。安岡、開高はシャンソンの達人だったが、開高さんは歌詞の2番、3番まで知っていた。耳のいい方ではないか。昭和42年か43年、野坂昭如さん登場で、「文学界」で「われら焼跡闇市派」という対談をやった。これは私の命名だが、焼跡闇市派という言葉が一人歩きした。

茅ヶ崎の家(現在の開高健記念館)で編集者を集めて、ハモ尽しで白ワインを飲んだ。ここへ来ると、あの時のハモの梅肉あえの味を思い出す、と結ばれました。

カテゴリ:紅茶会 2007-09-25

第56回紅茶会 講師は青羽芳裕氏

日本パイプスモーカークラブ世話人・日本葉巻愛好家協会副会長で、読売新聞社の青羽芳裕さんが、パイプ愛好家としての開高健と、そのタバコ関係のコレクションについて語りました。

マイクを手にお話される青羽芳裕さん

予備校に通っていたころ、開高健の記念講演を聴いたのが、開高さんを見かけた最初だった。上体にくらべて足がスマートだなというのが印象だった。サントリーの入社試験を受けると雑誌の「洋酒天国」がもらえると聞きつけて、友人と受けに行って、もらって帰ったこともあった。読売では広告の仕事をしていて、担当していたTBSブリタニカで初めてご挨拶した。

パイプがこんなに似合う作家は他にいない。パイプクラブ・オブ・ジャパン(PCJ)の「ベストパイプスモーカー賞」というのを、開高さんにもらって頂いた。開高さんからは「キャプテン・ブラック」という作家愛用のパイプタバコを頂いた。

最後にお目にかかったのは病気をされてから。「ジンギスカンの墓あばきをするんや」というような言い方をあえてされていた。

記念館にあるジッポやダンヒルのライター類――これらはすべて作家の愛用したものだったが――を取り上げて、ひとつひとつ由来や解説を加える。オーストリア製のイムコ。ダンヒルの軍用ライター……。

ダンヒルの「Author(著者)」というパイプを愛用されていたが、ブランドへの憧れと同時に、この名前にも惹かれていただろう。ただ、最も愛したパイプはデンマークのゲルト・ホルベックが作ったパイプだったのではないかと思う。記念館にもあるが、この細身のパイプは、ほんとうに飽きのこないものだ。開高さんは、こうしたもののコレクターではなく、「使う人」だった。

カテゴリ:紅茶会 2007-09-01
« 前ページへ