開高健記念会

来館者のノートから

このNEWSページでは、開高健記念会の活動の現況を中心に、開高健関連のさまざまな情報もお知らせしていきます。

来館者のノートから(5-6月編)

開高健記念館を訪れた方々が書きつづってきたノートから、その月々の言葉をふりかえります。(お名前はイニシャルで、難読文字は●で表記させて頂きました)

*  *

 ◆青年時代の私にとって、開高さんはただ面白い文章を書く作家というだけの人でしたが、壮年から初老になるにつれ、開高さんは私の心の中でますます 重みを増し、ついには心の師匠と呼ぶべき存在になりました。私は現在79歳に手が届きそうな引退町医者ですが、現在の私にとって、開高さんの文章は唯一無 二のかけがいのない文章家です。開高さんの文章の前では、小林秀雄も谷崎潤一郎も、いや森鴎外でさえ、その光の大半を失って了うようです。男は晩節をかん ばしゅうせなアカン。何と凄い言葉じゃありませんか。こんなありふれた言葉に凄味をもたせることができる人など、そう滅多にあるものではありますまい。改 めて、開高の偉大さを偲ぶ。(2015.5   萩原朔太郎の小学校以来の後輩生 M・T)

 ◆13年ぶりに来ました。Kindleで本を読めるようになり、いつも開高さんの本を持ち歩けるようになりうれしく思っております。いつも心の人として私の中にいます。(2015.5 K・H)

◆一昨年の秋に来て以来になります。その時も同じですが、サイゴンへの旅から無事に帰ったので開高さんの家を訪ねたかったのです。今回旅行はフンパツしてマジェスティックに泊まりました。103に泊まることはできませんでしたが、私は力を得て灼熱のサイゴンの街を歩き廻っては夕方に戻ってバーでカクテルをなめておりました。そんな日々を無事に過ごして帰国できたのは開高さんのおかげと思っています。お庭をながめつつ、今ほっとしています。どうやら私もベトナム・サイゴンにとりつかれたようです。またあの地へ行きます。そして無事に帰ってまたおじゃまします。(2015.5.17  東京・武蔵村山 T・T)

 shou_tetugaku.jpg 哲学の小径を降りる

◆ベトナムから来ましたターイと申します。「ベトナム戦記」を読んだきっかけに、ミュージアム に来ました。今回「ベトナム戦記」展が見えて、開高さんとベトナム当時の写真が見えて、感動しました。この展をより●友に知ってもらいたいと思います。(2015.5.17  ベトナム・ホーチミン市 D・K・T)

◆開高健のいない時代しか知らない。そう思って書を追うのみでしたが、今日、ちらっとお会いできた気がします。梅雨のあい間の、さわやかな良い日に。(2015.6.13  Y・●)

◆当方、来月からアメリカ・ニューヨークに勤務します。若いころ、先生が活写されたニューヨーク、アメリカ。漠然とした憧れはありましたが、そこで働く日が来るとは思っていませんでした。アメリカでまた読もうと、先生の作品を持参するつもりです。精神の安定剤、ビタミンとして、味わって読もうと思っています。”オールド”●●のルーキーですが、いろんな経験ができそうで楽しみにしています。遠くから見守って下さい。帰国した折にはまた参上します。では、行って参ります。(2015.6.19  横浜市 S拝)

◆中学生で先生の本と出会い、高校、大学と読みふけり、大学生の時、先生の訃報を知り、年を重ねるごとに文章の奥深さを感じさせていただきました。48歳の今、この4月に単身赴任で初めての関東生活が始まり、やっと記念館を訪れることが出来ました。悠々として急げるよう、日々を送れますように。何とか楽しんでいます。(2015.6.21  大阪府富田林市 N・K)

 (*以前の「来館者のノートから」は記念会トップページ「来館者のメッセージ」でご覧いただけます)

 

カテゴリ:来館者のノートから 2015-06-14

来館者のノートから(4-5月編)

◆生きて、生きて、行きて、行く       (2014.4  H 67歳)

◆オーパを若い時に読み、途中で止めることが出来なかった。グイグイひかれていって一気に読み切った。現場体験をした人の言葉には迫力がある。高齢 者になっても好奇心を失わず、常に現場体験を! 生きる力になることがよく理解できたひとときだった。(2014.4  A・H 76歳)

◆雲の切れ間からさし込む日ざしを何というか? 「天使のハシゴ」? グッドネーミングは開高先生の「レンブラント光線」、最高です。このネーミングを知ったとき、開高先生の読者でいて良かったと痛感しました。今年も釣りに行きます。(2014.4)

◆先生に恋した中学生の女の子は、今、四十肩で手があがりません。理想の男性は相変わらず先生です。若い頃は先生の恋人になりたかったけど、今は男 性に生まれ変わって、先生の親友になりたいです。初恋が開高健というのは、女としては少々生き辛かったです。先生にもう少し生きていて欲しかったな。 (2014.4)

shou_note.jpg 書き継がれている「来館者のノート」

◆何年前になるのでしょうか、先生のお名前を知ったのは。フィッシングという釣りの本のルアー特集に小さく「奥只見のイワナを守る会」の報告があり、会長に先生がつかれたとの記事でした。その後、中学、高校と先生の本を読みあさり、私が大学生の時に、遠くに釣りに出かけてしまいました。今、家には多数の先生の本がありますが、中学になった息子が盛んに読みだしています。親子2代で初めて来館でき、感ひとしおです。(2015.4 N・H)

◆ 主人は近くに実家がありながら本日初めての訪館です。悔しくも母の49日の法事のため福岡県からやって来ました。妻の私は3度目です。静かな所で風を感じながら、午後の日ざしを満喫しています。ふと、となりに母がいたらと思いながら……。(H&Y・K)

◆青年時代の私にとって、開高さんはただ面白い文章を書く作家というだけの人でしたが、壮年から初老になるにつれ、開高さんは私の心の中でますます重みを増し、ついには心の師匠と呼ぶべき存在になりました。私は現在79歳に手が届きそうな引退町医者ですが、現在の私にとって、開高さんの文章は唯一無二のかけがいのない文章家です。開高さんの文章の前では、小林秀雄も谷崎潤一郎も、いや森鴎外でさえ、その光の大半を失って了うようです。男は晩節をかんばしゅうせなアカン。何と凄い言葉じゃありませんか。こんなありふれた言葉に凄味をもたせることができる人など、そう滅多にあるものではありますまい。改めて、開高の偉大さを偲ぶ。(2015.5   萩原朔太郎の小学校以来の後輩生 M・T)

 ◆13年ぶりに来ました。Kindleで本を読めるようになり、いつも開高さんの本を持ち歩けるようになりうれしく思っております。いつも心の人として私の中にいます。(2015.5 K・H)

 (*以前の「来館者のノートから」は記念会トップページ「来館者のメッセージ」でご覧いただけます)

 

カテゴリ:来館者のノートから 2015-05-14

来館者のノートから(3-4月編)

開高健記念館を訪れた方々が書きつづってきたノートから、その月々の言葉をふりかえります。(お名前はイニシャルで、難読文字は●で表記させて頂きました)

*  *

◆あれから約2ヶ月。無事大学に合格し、ここへまたやってきました。もしあの時、ココに行かないで大学を受けていたらダメだったかもしれません。そ れは“危険の中に遊びがあり、遊びの中に危険あり”という開高さんそのものの言葉に支えられたからだと思います。書斎や小道。どこからかふっと開高さんが 出てきそうなオーラを肌で感じました。この感覚を大人になっても忘れたくはありません。……(2014.3  O・K)

◆茅ヶ崎の静かな趣のある居宅は想像どうりでした。これから彼の足跡を追って、すばらしい作品を読んでいきたいと思います。桜が例年より早く咲いた春。遠方より来たかいがありました。(2014.3)

◆ 学生時代の恩師が開高先生の著書をコッソリと愛読していました。奇しくも同じ年に亡くなった恩師を思い出しつつ、輝ける闇を再読しました。(2015.3 千葉 ●・M 55歳)

shou_lure-2.jpg  常見忠特製ルアー(記念館で販売中)

◆生きて、生きて、行きて、行く       (2014.4  半澤 67歳)

◆オーパを若い時に読み、途中で止めることが出来なかった。グイグイひかれていって一気に読み切った。現場体験をした人の言葉には迫力がある。高齢者になっても好奇心を失わず、常に現場体験を! 生きる力になることがよく理解できたひとときだった。(2014.4  A・H 76歳)

◆雲の切れ間からさし込む日ざしを何というか? 「天使のハシゴ」? グッドネーミングは開高先生の「レンブラント光線」、最高です。このネーミングを知ったとき、開高先生の読者でいて良かったと痛感しました。今年も釣りに行きます。(2014.4)

◆先生に恋した中学生の女の子は、今、四十肩で手があがりません。理想の男性は相変わらず先生です。若い頃は先生の恋人になりたかったけど、今は男 性に生まれ変わって、先生の親友になりたいです。初恋が開高健というのは、女としては少々生き辛かったです。先生にもう少し生きていて欲しかったな。(2014.4)

 

 (*以前の「来館者のノートから」は記念会トップページ「来館者のメッセージ」でご覧いただけます)

 

カテゴリ:来館者のノートから 2015-04-14

来館者のノートから(2-3月編)

開高健記念館を訪れた方々が書きつづってきたノートから、その月々の言葉をふりかえります。(お名前はイニシャルで、難読文字は●で表記させて頂きました)

*  *

 ◆こんにちは。先日は大変お世話になりました。開高さんの本に最初に出会ったのは1981年に、ある本だなにあったの を偶然手にとったのがきっかけです。「夏の闇」でした。本当にあのときは衝撃的でした。全く違う世界なのにものすごいなつかしさを覚える文章でした。時間 が流れ私の人生もうつりかわり、しかし若い日いつも近くに開高さんの本がありました。かげになり日なたになり、私をささえてくれていた存在だと思っていま す。感謝しています。(2015.1  ハガキ S・S)

◆昨年八月以来の二度目の来館。ここに来る時は必ず何か大きな漠とした不安を抱えているのですが、開高健と湘南の海に触れると一気に解け去ります。あと二月ほどで神戸に帰るので、それ迄に又一度来たいと思います。(2015.1 神戸出身銀座在住  S・H)

shou_mikan.jpg

◆開高さんの作品は高校の頃から随分読みました。今、48歳ですが初めて記念館にお邪魔した次第です。いいお家ですね。 亡くなられてから随分経ちますが、「ちょっと早すぎやしないのか。」と思った当時の心境がありありとよみがえりました。また、久しぶりに「輝ける闇」を (もう20回目位になるでしょうか)読み直してみたいと思います。(2015.1  藤沢市 M・E)

◆私・平野栄久は『開高健~闇をはせる光芒』(オリジン出版センター) を書いた者です。開高さんが晩年を過ごした開高宅が静かで美しいことろなので嬉しかった。私の開高論は開高さんの死後の発表であったが、牧羊子さんには差 し上げておりました。当時は好評をいただいた本です。(2015.2  H・E)

◆長年、開高さんの本を読んできました。一語一語が鋭く、心に響いてきます。私は理系の人間なので、開高さんは正反対に 位置する、輝ける星です。それも、ガイドしてくれる、優しく香しい光を放つ星です。ここに来れて良かったと思います。少し開高さんとお話しできた感じがし ました。ありがとうございました。(2015.2  S・K)

◆雨催いの湘南海岸、世界中を見つめ語った人の顔、とても感覚的にうらやましいやら、惜しいやら、こんな方が日本人の中に何人いるだろう。(2015.2  川崎 A・M 84歳)

 学生時代の恩師が開高先生の著書をコッソリと愛読していました。奇しくも同じ年に亡くなった恩師を思い出しつつ、輝ける闇を再読しました。(2015.3 千葉 ●・M 55歳)

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カテゴリ:来館者のノートから 2015-03-14

来館者のノートから(1-2月編)

開高健記念館を訪れた方々が書きつづってきたノートから、その月々の言葉をふりかえります。(お名前はイニシャルで、難読文字は●で表記させて頂きました)

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 ◆こんにちは。先日は大変お世話になりました。開高さんの本に最初に出会ったのは1981年に、ある本だなにあったの を偶然手にとったのがきっかけです。「夏の闇」でした。本当にあのときは衝撃的でした。全く違う世界なのにものすごいなつかしさを覚える文章でした。時間 が流れ私の人生もうつりかわり、しかし若い日いつも近くに開高さんの本がありました。かげになり日なたになり、私をささえてくれていた存在だと思っていま す。感謝しています。(2015.1  ハガキ S・S)

◆昨年八月以来の二度目の来館。ここに来る時は必ず何か大きな漠とした不安を抱えているのですが、開高健と湘南の海に触れると一気に解け去ります。あと二月ほどで神戸に帰るので、それ迄に又一度来たいと思います。(2015.1 神戸出身銀座在住  S・H)

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◆開高さんの作品は高校の頃から随分読みました。今、48歳ですが初めて記念館にお邪魔した次第です。いいお家ですね。亡くなられてから随分経ちますが、「ちょっと早すぎやしないのか。」と思った当時の心境がありありとよみがえりました。また、久しぶりに「輝ける闇」を(もう20回目位になるでしょうか)読み直してみたいと思います。(2015.1  藤沢市 M・E)

◆私・平野栄久は『開高健~闇をはせる光芒』(オリジン出版センター) を書いた者です。開高さんが晩年を過ごした開高宅が静かで美しいことろなので嬉しかった。私の開高論は開高さんの死後の発表であったが、牧羊子さんには差し上げておりました。当時は好評をいただいた本です。(2015.2  H・E)

◆長年、開高さんの本を読んできました。一語一語が鋭く、心に響いてきます。私は理系の人間なので、開高さんは正反対に位置する、輝ける星です。それも、ガイドしてくれる、優しく香しい光を放つ星です。ここに来れて良かったと思います。少し開高さんとお話しできた感じがしました。ありがとうございました。(2015.2  S・K)

 (*以前の「来館者のノートから」は記念会トップページ「来館者のメッセージ」でご覧いただけます)

カテゴリ:来館者のノートから 2015-02-15

来館者のノートから(12ー1月編)

開高健記念館を訪れた方々が書きつづってきたノートから、その月々の言葉をふりかえります。(お名前はイニシャルで、難読文字は●で表記させて頂きました)

*  *

◆10年振り位にやってきました。開高さんのビデオを最初に拝見し、先生の一つ一つの言葉の重さ、体験した人にしか分か らない心からの真実の言葉に接し、何故か亡き両親のことが急に思い出され胸が熱くなりました。書斎その他先生の生き様を見せていただいているようでした。 又、近い内に妻、友人等と再訪したいと思っています。(2014.12  ●)

◆何年かに一度、無性に開高健の文章が読みたくなり、一旦読み始めると一作、もう一作と雪崩でも起きたように読み続けま す。ちょうど今、そんな時期です。これから北鎌倉へまわり、墓参をさせていただいてから、私に開高健の文章を初めて教えてくれた友人とゆっくり飲む予定で す。また参ります。(2014.12  Y・R)

shou_pass.jpg  ベトナム取材当時の開高健のパスポート類

◆茅ヶ崎で自営業をやって3代目になります。有名人の話題で開高さんの名前を挙げるお客様は決ってカッコイイ紳士か酒大好きなオジさんです。ここのテラスで来館のみなさんの思い出を拝見しているとさらに開高さんが大きく感じます。(2014.12  O・K)

 ◆こんにちは。先日は大変お世話になりました。開高さんの本に最初に出会ったのは1981年に、ある本だなにあったのを偶然手にとったのがきっかけです。「夏の闇」でした。本当にあのときは衝撃的でした。全く違う世界なのにものすごいなつかしさを覚える文章でした。時間が流れ私の人生もうつりかわり、しかし若い日いつも近くに開高さんの本がありました。かげになり日なたになり、私をささえてくれていた存在だと思っています。感謝しています。(2015.1  ハガキ S・S)

◆昨年八月以来の二度目の来館。ここに来る時は必ず何か大きな漠とした不安を抱えているのですが、開高健と湘南の海に触れると一気に解け去ります。あと二月ほどで神戸に帰るので、それ迄に又一度来たいと思います。(2015.1 神戸出身銀座在住  S・H)

 (*以前の「来館者のノートから」は記念会トップページ「来館者のメッセージ」でご覧いただけます)

カテゴリ:来館者のノートから 2015-01-26

来館者のノートから(11-12月編)

開高健記念館はことし開館 12年目に入りました。訪れた方々が書きつづってきたノートから、その月々の言葉をふりかえります。(お名前はイニシャルで、難読文字は●で表記させて頂きました)

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◆……あの開高ハン、確かこう、のたまっていらっしゃいました。「真の名作というものは読者の心に清澄な空白を感じされるだけ。何やら読後に重いものが残ったとか、衝撃的問題作などとは違うんや」てなこと。つまり開高さんに云わせると、「氏の作品はすべて、書きたいものがその作品内で消化され尽しているはず。未消化のものを残したりしない」でした。またダラダラしてしまいました。すてきな彼女とこのような甘い腐れ縁を楽しみたいな。──これからはいつも”人生のフリダシ”に戻るつもりで──(2014.11  国分寺市 K・M)

 ◆何年か越しの念願が叶い、やっとたどり着きました。もう若くもなく、妻子もおり、いろいろなものをあきらめたりもしましたが、これでまた頑張れそうです。(2014.11  I)

◆何年かぶりに来てみた。その後子供ができたので、一男一女を連れてきた。カミさんも2回目だ。オヤジが相変わらずひたっているが、カミさんと子供たちは開高さんそっちのけで外で遊んでいる。かえってそれがほほえましい。彼らは、またここへ来ることがあるだろうか……。(2014.11  Y with M、Y、M)

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常見忠さん特製のbiteルアー(開高健サイン入り 金、銀)記念館でお求めいただけます

◆とても楽しい一日でした。館の方もこちらのレベルにあわせて話を聞いてくださり、感謝いたしております。青春の一時期繰り返し読んだ”開高健”の世界が広く奥が深いものであると実感できました。(2014.11  N・H)

◆10年振り位にやってきました。開高さんのビデオを最初に拝見し、先生の一つ一つの言葉の重さ、体験した人にしか分からない心からの真実の言葉に接し、何故か亡き両親のことが急に思い出され胸が熱くなりました。書斎その他先生の生き様を見せていただいているようでした。又、近い内に妻、友人等と再訪したいと思っています。(2014.12  ●)

◆何年かに一度、無性に開高健の文章が読みたくなり、一旦読み始めると一作、もう一作と雪崩でも起きたように読み続けます。ちょうど今、そんな時期です。これから北鎌倉へまわり、墓参をさせていただいてから、私に開高健の文章を初めて教えてくれた友人とゆっくり飲む予定です。また参ります。(2014.12  Y・R)

カテゴリ:来館者のノートから 2014-12-20

来館者のノートから(9-10月編)

開高健記念館はことし開館 12年目に入りました。訪れた方々が書きつづってきたノートから、その月々の言葉をふりかえります。(お名前はイニシャルで、難読文字は●で表記させて頂きました)

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◆1960年代のベトナム戦記あたりから開高健という活字がメモリーされました。戦後高度経済成長とダブリます。それからズーッと忘れていたのですが、テレビ画面で再会しました。ひろい読みをして開高健のエッセンスを味わう。アウトドアの生活はつりやキャンプ、海水浴など、この40年くらい無縁です。最近ドストエフスキーをかじりまして、開高健との共通項を思いますと、ドストエフスキーも開高健も九死に一生を得ている。ドストエフスキー59歳没。開高健58歳没。ドストエフスキー、ルーレットで何回も大敗してやっとギャンブルと縁を切る。開高健、終生オーパ! 何かを書くのは難しいです。(2014.8 愛知県 M)

◆”失われた20年”と呼ばれる時代を私たちは駆け足ですごしてきました。最近になって、ひょっとしたらこれは私たちの戦争体験ではないかという思 いが私の中で大きく育っています。大兄が生きていらっしゃったら笑うでしょうか。笑って、何と言って背中を押してくれますか。(2014.9 K・A)

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◆釣りに加えて、本を知ったことで、一生幸せに暮らせます。(2014.9 I・M)

◆たぶん 自分の中の危機に 気が付いたのでしょう 10年振りに再訪しました。ビデオの 開高さんを拝見して 正面から自分の中の危機に 向かってみようと 思いました。とりあえず 帰ったら 船に乗って釣りに行きます。(2014.9 B・Y)

◆「人間らしく やりたいナ……」 まだ、わかりません。開高さん また、来ます。(2014.9 K)

◆1年前に来館して以来2度目です。開高健に出会って人生が変わったと思います。OPA!にあこがれて昨年アマゾン川を下りました。またおじゃまします。(2014.10 A・A)

◆父の誕生日に来ました。ここにくると、なぜだかさみしくなります。先生、女がパイプを吸うのってどう思いますか? 先生のお気に入りの葉っぱの香り好きです。あと、もう一歩。もう一歩。(2014.10 A・M)

カテゴリ:来館者のノートから 2014-10-19

来館者のノートから(8-9月編)

開高健記念館はことし開館 12年目に入りました。訪れた方々が書きつづってきたノートから、その月々の言葉をふりかえります。(お名前はイニシャルで、難読文字は●で表記させて頂きました)

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◆開高大兄 サン・ミッシェル界隈であなたとパスティスを酌み交わしたかった。(2014.8 Y・M)

◆1年ぶり2度目の来訪です。9月5日発売予定の集英社『kotoba 秋号』は開高健特集ということで非常に楽しみです。それにあわせて開高健フェアをやってみようと思います。私が書店員になったのは開高健フェアをやるため といっても過言ではありません。夢がかないそうです。(2014.8 東京都 I・T)

◆恥ずかしながら、「誕生日が12月30日で同じ」、「旅や食べ物のエッセイが面白そうだ」という理由だけでほんの数年前からエッセイやルポを中心 に読ませて頂きました。食べ物もさることながら、やはりベトナムにおける戦場ルポ、それを基にした『輝ける闇』がとても印象に残っています。6月に出張で ホーチミンに初めて行きましたが、泊まられていたマジェスティック・ホテルにも行き、階上のバーで同僚と酒を飲みました。今回来て良かったです。ゆっくり と見せていただきます。(2014.8 S・S)

small_tokei.jpg 芥川賞記念のロンジン

◆この屋根の下で、透明な壁の向こうの書斎で、あの開高健が存在して居たとは俄かには信じられません。僕の中での開高健が大きすぎるがゆえ、そう感 じられるんだと思います。しかし、確実に開高健はこの空間に存在し続けて居り、その存在が僕に何かを感じさせました。開高健の軌跡は今も続いています。そ の軌跡をたどり、そこから自分の道を進むのが今の自分が夢見る生き方です。(2014.8 神戸市出身銀座在住 O・K)

◆8年振りの再訪。前回来た時は、妻が我が人生に入って来た直後で、今回は、この世を卒業した後、初めての訪問。いつも変らず、大きな心で訪問者を迎えてくれる記念館。維持管理に努めて下さるみなさま、ありがとうございます。これからも開高大兄の残したフレーズと共に人生を歩んでいきます。(2014.8  K)

◆ベトナムへ行きました。サイゴン川を眺めながらマティニをすすると涙が出ました。文豪と出会えて幸せな人生を送れています。これからも追いかけ続けます。(2014.8 K・Y)

◆”失われた20年”と呼ばれる時代を私たちは駆け足ですごしてきました。最近になって、ひょっとしたらこれは私たちの戦争体験ではないかという思いが私の中で大きく育っています。大兄が生きていらっしゃったら笑うでしょうか。笑って、何と言って背中を押してくれますか。(2014.9 K・A)

◆釣りに加えて、本を知ったことで、一生幸せに暮らせます。(2014.9 I・M)

◆たぶん 自分の中の危機に 気が付いたのでしょう 10年振りに再訪しました。ビデオの 開高さんを拝見して 正面から自分の中の危機に 向かってみようと 思いました。とりあえず 帰ったら 船に乗って釣りに行きます。(2014.9 B・Y)

◆「人間らしく やりたいナ……」 まだ、わかりません。開高さん また、来ます。(2014.9 K)

カテゴリ:来館者のノートから 2014-10-04

来館者のノートから(7-8月編)

開高健記念館はことし開館 12年目に入りました。訪れた方々が書きつづってきたノートから、その月々の言葉をふりかえります。(お名前はイニシャルで、難読文字は●で表記させて頂きました)

*  *

◆貴方の本を初めて読んだのは何年前でしょうか。“フィッシュ・オン”こんな本があるのかといっきに読みました。それから貴方の本を求めて、私の貴方への旅は今も続いています。今日ここに来て、貴方と一緒にいるような気がします。(2014.7 F・A)

◆開高さんが平成元年になくなられた。私は平成元年に結婚して26年。記念館でアーカイブスの映像を見て51歳の開高さんを見る。実に私自身が51歳で思いが重なる。今、生きていてほしい一番の方!どんな言葉をこの時代にあてはめるだろう。悠々として急げ! この言葉通りに生きているか、いつも心に問うています。(2014.7 名古屋市 H・S)

◆20年前にかじり読んだノンフィクションの傑作「ずばり東京」企画展。何だかとても良かった。山口瞳さんとのコラボ企画展など、サントリー宣伝部時代のものなど見てみたいものです。カイコーケン宅にまた来たい。(2014.8 S・K)

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◆開高大兄 サン・ミッシェル界隈であなたとパスティスを酌み交わしたかった。(2014.8 Y・M)

◆1年ぶり2度目の来訪です。9月5日発売予定の集英社『kotoba 秋号』は開高健特集ということで非常に楽しみです。それにあわせて開高健フェアをやってみようと思います。私が書店員になったのは開高健フェアをやるためといっても過言ではありません。夢がかないそうです。(2014.8 東京都 I・T)

◆恥ずかしながら、「誕生日が12月30日で同じ」、「旅や食べ物のエッセイが面白そうだ」という理由だけでほんの数年前からエッセイやルポを中心に読ませて頂きました。食べ物もさることながら、やはりベトナムにおける戦場ルポ、それを基にした『輝ける闇』がとても印象に残っています。6月に出張でホーチミンに初めて行きましたが、泊まられていたマジェスティック・ホテルにも行き、階上のバーで同僚と酒を飲みました。今回来て良かったです。ゆっくりと見せていただきます。(2014.8 S・S)

◆この屋根の下で、透明な壁の向こうの書斎で、あの開高健が存在して居たとは俄かには信じられません。僕の中での開高健が大きすぎるがゆえ、そう感じられるんだと思います。しかし、確実に開高健はこの空間に存在し続けて居り、その存在が僕に何かを感じさせました。開高健の軌跡は今も続いています。その軌跡をたどり、そこから自分の道を進むのが今の自分が夢見る生き方です。(2014.8 神戸市出身銀座在住 O・K)

(*2013年以前の「来館者のノートから」は記念会トップページ「来館者のメッセージ」でご覧いただけます)

カテゴリ:来館者のノートから 2014-08-25
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