開高健記念会

「ごぞんじ開高健」より

それぞれの開高健を語る「紅茶会」講演。その内容などを収録した資料集「ごぞんじ開高健」から連載でお届けします。

連載「ごぞんじ開高健」より 第4回 鯉渕信一 〈全身をぶつけて入り込んでいく〉

語り手鯉渕信一(開高健晩年のモンゴル取材に参加 元亜細亜大学学長 1945-)◆

●草原のジョーク合戦

第一回目の旅(注:1986年、後のTV番組「開高健のモンゴル大紀行」の取材)は三週間ほどでしたが、私がほとほと感心したのは、開高さんの人心掌握術とでもいえる同行スタッフたちに対する見事な心配りでした。お目付役を含むモンゴル側のスタッフはもちろんのこと、日本側のスタッフにも気配りし、緊張感を徐々に解きほぐし、全員が一つのチームなのだという意識を作り上げていく様は心憎いばかりでした。モンゴル側からは二人のお目付け役のほかにもバスやジープの運転手、燃料を準備(燃料にする家畜の糞集め、薪割りなど)する者などいろいろな手伝い要員を提供してもらいましたが、開高さんはそういう下働きの人たちのなかにも分け隔てなく入り込んでいく。その入り込み方、気配りというのが、何か全身をぶつけて入り込んでいくという印象でした。

ユーモアをまじえながら、自分から接点を求めて入り込んでいく、自分の周囲に壁を作らない、自ら大事なものをさらけ出していくという感じですね。最初は通訳といったって釣りだし、相手は魚なんだからさほど(自分に)用事はあるまいとタカをくくっていた。だから気安く(取材への同行を)承諾したのですが、これがとんでもない大外れ。開高さんはモンゴル人スタッフにしょっちゅうジョークを飛ばすわけですよ。するとモンゴル人もジョークが好きなもんだから、ジョークを返してくる。ジョークのやりとりが間断なしに続くもんだから、ああ、これはとんでもない通訳を引き受けてしまったなと後悔しましたよ(笑)。日本側とモンゴル側が対立する緊張した場面が何度もありましたが、開高さんのこうした気配りがいつも緊張を和らげ、問題の複雑化を食い止めてくれたという感じでした。

●「ああ、偽物はいかん、わしはもうやめた」

当時のモンゴルは厳格な社会主義体制下にあったので、何でもその枠内の価値観で物事を判断し、それを形式的に押しつけてくる。例えば遊牧民はゲルという移動式住居に住んでいますが、その中に開高さんに入ってもらって撮影したいと申し入れると、内部をきれいにしつらえ直してようやく招じ入れようとする。……日本側は遊牧民の普段の生活が決して文化程度の低い、貧しいものとは考えていない。むしろその簡素さの中に大切なものがあるという観点で映像化しようとするわけですが、モンゴル側はそうは考えず、民族の恥部を撮ろうとしているとみるのです。すると開高さんが「ああ、わしはやめた」と言って内へ入ろうとしない。つまり、開高さんは「偽物はいかん」と言うわけです。そこでモンゴル側といろいろやりとりをするのですが、開高さんがご自分の考えを正直にぶつけるものですから、最初、モンゴル側は強烈に反発しました。しかし人間関係が深まり、信頼関係が築かれるにしたがってモンゴル側も本物というのはそれほど大事なのか、物がないことは恥部ではないのだ、テレビのドキュメンタリー番組を作るというのはこういうことなのかと、徐々に分ってきたようでした。

(『ごぞんじ開高健 開高健記念会〈紅茶会〉講演集Ⅰ』鯉渕信一「モンゴルでの開高健」より)

カテゴリ:「ごぞんじ開高健」より ニュース 2016-10-03

再開!連載 「ごぞんじ開高健」より 第3回 常見 忠 〈大物釣り師は世界をめざす〉

語り手◆常見  忠(開高健友人、日本のルアーフィッシングの草分け 1930-2011)

●ひと味もふた味も違う

いまルアーフィッシングとフライフィッシングが日本でも流行っていますが、この二つに関してはいわゆるその魚が持っている──なんというか触覚とか臭覚とか味覚とか含め魚の五感では感知できないものを持っているらしくて、その違いを探知することができるらしいのですが、そのへんをかいくぐって釣ることに意味があり、そこがまたおもしろいわけですよ。そうやって味も匂いもしないものに食いつかせるところに醍醐味があるというか、まあ私がやってるから言うわけじゃないんですけど、やはり生き餌で釣るのとではひと味もふた味も違うんです。開高さんもよく言っていました。魚が好きな餌を選んで釣るなら釣れるのが当たり前だと。

釣り方と種類にこだわる日本人

もちろん渓流のヤマメやイワナ、あるいは鮎やヘラブナなどの餌釣りにだっていろんな釣り方があるし、奥の深いところもありますよ。それから海なら磯釣りもあるし船釣りもある。そういうものをすべて含めて、これは日本人の血というのか、私がつくづく思うのは日本人の場合、なんかすごく釣り方にこだわること。と同時に魚の種類にもこだわるんです。これはちょっと世界でも特異な現象じゃないでしょうか。

例えば自分の好きな魚に異常なほど入れ込んで、どんどん専門的な釣りをするようになっていっちゃう。一つの魚にこだわりだすともう他の魚に目がいかなくなって、鮎の友釣りをやりだすと友釣りしかやらない。ヘラブナをやる人はヘラブナしかやらないとか、磯釣りで石鯛しか釣らないとか、もうこれは日本人の民族性じゃないかと私は思うんです。

マスターアングラーは世界へ出ていかざるを得ない

もちろん開高さんも私も釣り方にも魚にもそれなりにこだわっていますけど、ルアーとフライフィッシングには常に世界中に棲んでいる魚を釣ろうとする姿勢がある。そういう意味では日本という小さな国のなかだけで、こぢんまりとやる鮎の友釣りとも、渓流のヤマメ釣りともちょっと違うものだと思うんです。開高さんの場合、釣り方や魚にこだわっていながら、それでも多くの種類の魚を実際釣ってきましたからね。開高さんが最もこだわったのは大物釣りで、マスターアングラーというのか大物釣り師というか、とにかく大物しか念頭にない。これはもう徹底してましたし、だから世界中に出ていかざるを得なかったとも言えるわけです。

(『ごぞんじ開高健 開高健記念会〈紅茶会〉講演集Ⅰ』  常見忠 「釣り師・開高健さんとわたし」より)

 

カテゴリ:「ごぞんじ開高健」より 2016-08-27

再開!連載 「ごぞんじ開高健」より 第2回 東條忠義 〈バカ者ありき〉

語り手◆東条忠義(CMプランナー・ディレクター 元サン・アド 1938-2007)◆

●4階まで聞こえた大音声

私が開高さんに初めてお目にかかったのは、昭和四十年だったと思うんです。亡くなられたあとに出した追悼号にもそのへんの経緯やらを「バカ者ありき」というタイトルで書いたんですが、なぜそんなタイトルになったかと申しますと、当時私はサン・アドの四階の事務所のほうにいて、ある日突然、応接室やら社長室のある二階から、「バカもの!」というとんでもなくでっかい大音声が聞こえてきた。このときの開高さんの大きな怒鳴り声が忘れられず、タイトルとして使わせていただいたわけです。

で、そのとき、いったい何事が起きたんだろうと二階に下りていったら、ベトナムから帰ってきたばかりの開高”大音声”先生が応接室に怒りをあらわにした顔で座っておられる。それで、どうして先生が「バカもの!」と叫ばれたのか、聞いてみると実はこういうことだったんです。

●「それはダミーです」

ベトナムから帰国したあとまず、当時日比谷にあった朝日新聞社に顔を出し、それから初めてサン・アドのオフィスに顔を出した。一応オフィスのなかにスタジオもあって、サントリーの商品の撮影などは主にそのスタジオでやっていたので、撮影に使ったウィスキーのボトルなども置いてあったんです。で、そのスタジオに置いてあった高級ウィスキーのボトルに先生はさっそく手を伸ばし、グラスに注いで一杯やったあと、「うーん、さすがに上物はいいな」と満足げに言って、ソファにひっくり返った途端、そのスタジオの管理をしていた当時の写真部長が、「あっ先生、すいません、それはダミーです」と言ってしまったらしいんです(笑)。

……たぶん先生がそのとき飲んだボトルの中身はトリスで(笑)、撮影用のダミーだった。つまり先生は偽物のウィスキーをそれと知らず飲んだのだけど、久しぶりにベトナムから日本に帰ってきたばかりだったので、それをうまいと思ったのでしょう(笑)。で、言わなきゃいいのに「先生、それはダミーです」と言っちゃったものだからたまらない。先生、怒ってしまって、「黙っとれ、バカもの!」ってもうビル中全体に響き渡るようなものすごく大きな怒鳴り声を上げた。そのあと怒ったままの顔を見たのが、私と開高さんの初めての出会いでした。

(『ごぞんじ開高健 開高健記念会〈紅茶会〉講演集Ⅴ』  東條忠義 「開高健・映像の裏側」より)

カテゴリ:「ごぞんじ開高健」より 2016-07-28

連載開始 「ごぞんじ開高健」より 第1回 菊谷匡祐〈開高健のいる風景〉

語り手◆菊谷匡祐(作家・翻訳家 1935-2010)◆

●「アジアで起こっている戦争を見たい」

皆さんの中にも当時、開高さんがベトナムに行って「週刊朝日」や「朝日ジャーナル」に書いたルポをお読みになった方もおられるでしょうが、ある日彼は南ベトナム政府軍に従軍し、ベトコンの急襲を受け、二百人中生き残ったのがわずか十四人という惨事に遭遇する。さらにサイゴン市内で、ベトコンとおぼしき人が銃殺される場面を目の当りにするに及んで、当然痛烈なショックを受け、考えるところがあった。

もともと開高さんがベトナムに行きたいと思った理由は、アジアで起こっている戦争を見たいということだった。その体験をノンフィクションを書こうとなると、世界中に彼のライバルとでもいうべき人が何人もいて、例えばそれはジョン・リードであり、アンドレ・ジイドであり、グレアム・グリーンのベトナム報告もありで、そういう人たちを頭のなかでライバル視しながら書くつもりだったのだと思うんですが、実際そうやって戦場に行ってみると、やっぱり肉食人種と草食人種の違いをまざまざと見てしまったと言いますか、「戦争ははたから見ていると壮大なページェントである」というヘミングウェイの言葉のようには思えなくなる。そして当初の単純と言えば単純な動機からではなく、一人の生身の人間として戦争と向き合うことになった。その瞬間から開高さんの目は外側にではなく内側、つまり自分の内面へ向いていくようになったんだと思います。

で、内面に向かった目から『輝ける闇』が生まれ、『夏の闇』へと結実していった。そして『花終る闇』を加え、闇三部作というものになるわけですが、いみじくも「闇」という言葉を使ったところに、開高さんの心の葛藤と言いますか内面の有りようが、あるいは彼がどんなことを考えていたのか――私には難しいですけど――想像できる人には想像できるのではないでしょうか。

●ただ寝ているだけという物語

 『輝ける闇』はもちろんベトナム戦争を舞台にした小説ですが、『夏の闇』は一変してまったく違うものになっている。どういう内容かというと、昔、東京で妻子のいる主人公と知り合い彼を愛するようになった女性が、結婚できないことに絶望していわば海外へ逃亡するわけです。それでなんと「アー・ベー・ツェー(ABC)」もできないのにドイツに行く。でも語学の才能があったのかボン大学の客員になってそこで勉強しているとき、たまたま主人公がパリに行く機会ができて、彼女と久しぶりにパリで会うところから話が始まるわけです。それから二人はパリやボンで、あるいはときにバイエルンの高原地帯へ釣りに出かけたりして、開高さん自身に言わせると、彼らは「パンツをはかない生活」を続けるわけですね。

パリではホテルの部屋で、ボンへ行けば彼女の寄宿舎で、とにかくセックスと会話だけで終始し、あとは主人公は眠っているだけの、そういう話なんです。 昔から『三年寝太郎』とか『オフローモフ』とか寝ているだけという人間の話がないことはない。でも、あそこまで盛大にただ寝ているたけという物語なんて、近代文学や現代文学にはほとんどありませんし、それを延々と書いていくその筆力にはなんとも私は圧倒されました。

●書くという仕事の残酷な一面

もちろん主人公が開高健自身だとしても、女が実在の女性であるのかどうかは断定できません。ただこの作品が「新潮」に一挙に掲載されて、それを読んだうちのカミさんが「作家というのは残酷ね」と言うわけですよ。残酷というのは家族に対して――この場合は奥さんに対してということになるのでしょうが、これは開高さんが書いた話で、私やうちのカミさんには何の関係もないことなのに「あなたは小説なんて書かなくていいわよ」とか言ったりしましてね(笑)。

確かに書く仕事――小説を書くという仕事にはそういう残酷な一面があるのかもしれません。考えてみたら例えば檀一雄さんにしてもそうだったし、何か小説の完成度を高めるために家庭内に悶着を起こすといった例もないわけじゃありませんしね。まあ、開高さんの家でそういう悶着があったかどうか、それはここでは言わないことにしておきますが。

(『ごぞんじ開高健 開高健記念会〈紅茶会〉講演集Ⅰ』 菊谷匡祐 「開高健のいる風景」より)

カテゴリ:「ごぞんじ開高健」より 2013-05-14

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