開高健記念会

開高健記念会ニュース

このNEWSページでは、開高健記念会の活動の現況を中心に、開高健関連のさまざまな情報もお知らせしていきます。

7月28日(日)、フォトジャーナリスト・森枝卓士氏「紅茶会」講演会のお知らせ

「もしタイムマシンで20世紀のどこかに行けるなら、1964年にもどって、サイゴン、ホテル・マジェスティックで開高健とマティーニをすすりたい。」

かつて「エスクァイア日本版」にそう書いた フォトジャーナリスト・森枝卓士氏の「紅茶会」講演会が行われました:

●日時

2013年7月28日(日) 午後2時~

●場所

開高健記念館(茅ヶ崎市)

●演題

「筆舌に尽くす ──開高健と 〈食〉 とわたし」

●講師プロフィール

(もりえだ・たかし) 1955年、熊本県水俣市出身。国際基督教大学卒。水俣病取材におとずれたユージン・スミスの影響で ジャーナリストを志し、開高健らへの憧れもあって東南アジアへ。 フォトジャーナリストとして、「食」にまつわる著作も多数。主な著作に、『カレーライスと日本人』(講談社現代新書)、『私的メコン物語 ──食から覗くアジア』(講談社文庫)、『食べもの記』(福音館書店)、『旅、ときどき厨房』(ポプラ社)など。

*今月の「ギャラリートークの日」 はお休みをいただきます。

カテゴリ:イベント 紅茶会 2013-07-09

記念館の「6月」(2003-2013)

開高健記念館は2013年4月で開館 10周年を迎えました。開館以来、訪れた方々が書きつづってきたノートから、その月の言葉をふりかえります。今回は、「6月」新編。(お名前はイニシャルで、難読文字は●で表記させて頂きました)

2003.6

◆とても素敵なお住まいに感激致しました。生活が見えなかった部分を拝見でき、また人間味を感じました。今回はカメラを持って来なかった事に後悔しております。(O・H、A)

◆「輝ける闇」「オーパ!」「フィッシュ・オン」以前読んで本棚の隅にほこりをかぶっております。家内と自転車で藤沢より何となく今日来たのですが、又、本棚から引っぱり出して読みたくなりました。釣った魚は逃がし、ルアーに徹する、開高健氏の人となりがしのばれ、今日は有意義な一日でした。(藤沢 N・S)

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◆書棚にカーテンをかけてあることは、本を読んで知っていましたが、書棚はりっぱな作りで、カーテンはもっと薄物を想像していたのでした。やっぱり想像が現実に変わる瞬間はなんともいえず楽しいものですね。又来て色々発見したいと思います。(平塚 I)

2004.6

◆なつかしい方に逢えた思いです。書かれたものを何度も反すうし、常に会話をしています。ここに来ると逢えると思うと嬉しいです。(K)

◆来館は2回目です。企画展が楽しみで来ました。先生の作品は日常で忘れがちな生とか楽しさとか価値観等々を気付かせていただける。テラスでのんびりとして、良い一日でした。また訪れたいと思います。ありがとうございました。(広島 S)

◆開高さんの原稿の、生真面目な文字を見て、大変まじめな人と感じました。以前は、野坂昭如ではないが、いい加減な「面白半分な作家」と思っていました。茅ヶ崎でも歩く姿だけを見て、私の勝手な見方でした。責任を感じます。もう少し、本を読み直してみようと思います。(東海岸 H・I 80老人)

2005.6

◆ベトナムのルポを書かれたのは何となく聞いたような気もしていましたが、ここへ来てそれがいかに激烈だったかを知りました。ベトナム戦争が10年以上あったとすれば、イラクの泥ぬまもまだ5年くらいやらないとアメリカは気が済まないのでしょうか?(K)

◆私は“固め読み”の傾向があり、開高健の作品もそうでした。彼の、緻にして精にして、勢であり、熱であり、情であり、貴であり、大であり、知であり、智であり、宙であり、ユーモアであり……、(それに接することは)大変な歓びであり、心おどらせ、感じたものでした。偶々、先日の朝日新聞の夕刊に、ベトナムの連載ものの見出しに、二つの命日をもつ開高とあり、200分の17の話が出ており、本記念館についての記述がありましたので、HPで地図をプリントアウトし、本日訪れた次第です。梅雨の季節にも拘わらず、初夏の爽やかなそよ風と緑の陽差しの中で、開高健に本の世界とは異なった雰囲気の中で触れ合うことができ、本当に良かったです。……(S・Y)

2006.6

◆開高氏の本と出逢って20ウン年、様々なシゲキを受けて20ウン年……静かなる感動を受けました。もっと知りたくなったと同時に、家にある本をもう一度、読み返してもみたくなりました。次は銀山湖で「タイト・ライン!」をめざします。(久喜 名も無き釣人)

◆一番好きな夏の闇の原稿をみて感激しました。(いわき市 Y)

2007.6

◆何も言わない。
何も、言えない。(I・D)

◆父に似ている様な気がしました。(R)

2008.6

◆次は神サマにちょっとエコヒイキしてもらってね、間違いなく男子に生まれて、開高さんを味わいたいモノダ。(N・N)

s格矛盾だらけの今の世の中に開高健氏のような方が存命していたらとつくづく思う。この館は心静かに氏の遺徳を偲ぶことができました。感謝します。(H・H)

2009.6

◆来れて嬉しい。次は銀山湖だ。(S)

◆林水泳教室でご一緒したころのお元気な姿を思い出しています。(M)

2010.6

◆建物が目当てでやって来ましたが、開高先生もとても魅力的な人だと思いました。建物はきれいに保たれていて、先生と共に愛されているのだなと感じました。(C・T)

2011.6

◆それは1982、83年頃の秋のことでした。大阪本町のテイジンホールで開高さんの講演会(独演会?)の事でした。その時立ったままで、スピーチのテーブルにウイスキーの瓶を立て、時々美味そうに飲まれながら、豪快に又ユーモラスに、様々な話題にふれての実に楽しい講演でした。会の終了時に「オーパ!」の新刊を記念にくじに当り頂いたものでした。それが、大学の先輩でもあった開高さんとの最初で最後の巡り会いとなりました。以前から茅ヶ崎に記念館があるとは聞いていましたが、当方75歳のSentimental  Journeyの一箇所として訪問がやっとかないました。Danke Schoen Kaiko Ken.(大阪豊中 O)

2012.6

◆生前からのファンで「開口閉口」などエッセイをよくよんでおりました。それらが書かれた場所を見せていただき、今回の旅の良い記念になりました。(T・A)

◆カッコつけないことのカッコよさ!(K・Y)

◆菊池氏のギャラリートークに参加させていただきました。すぐかたわらで共に時間を過ごされた方からのお話は本当に貴重でした。ご著書もすばらしかったですが、実際に生の声で語られる思い出は格別でした。7月からのオーパ!展を楽しみにしております。(A・K)

◆小さいころにも来ました。書さいには、いろいろな生き物がいておもしろかったです。でも、タランチュラはこわかったです。ねこのはくせいは飼っていたねこのはくせいですか? かわいかったです。(よう)

2013.6

◆『漂えど沈まず』名言を思いださせてくれてありがとうございます。開高先生の「丸文字」を見て元気がでました。もう少し充電してから帰ります。(S・H)

◆ドナルド・キーンさんにお会いし、開高さんのうちには魚の写真がいっぱい飾ってあってね、ホントに釣り好きなんだったよという話を聞き、茅ヶ崎に住みながら、そういえば訪れたことがなかったなと思ってやってきました。静かで落ち着ける場所でした。また来ます。(●)

カテゴリ:来館者のノートから 2013-07-04

企画展「開高健の『食卓』」展が始まりました

開高健記念館の企画展示、7月5日(金)から新装開展です。

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カテゴリ:イベント 2013-07-04

ギャラリートークの日、6月は30日(日)です

茅ヶ崎の開高健記念館で、記念会のメンバーが館内のご案内をする催し「ギャラリートークの日」。館内に展示された開高健の資料、愛蔵した品々 などをご案内しながら、それぞれの開高健を語ります。

2013年6月は:

【日時】 2013年6月30日(日)午後1時~、午後3時~(各回30分程度を予定)

【案内人】 菊池治男(開高健記念会理事)

【略歴】 1949年東京生まれ。元集英社編集者。「PLAYBOY日本版」在籍時に『オーパ!』アマゾン編の取材に同行。以降、モンゴル編に至るシリーズや『生物としての静物』などの担当編集を務める。著書に『開高健とオーパ!を歩く』(河出書房新社)

カテゴリ:イベント 2013-06-23

開高健電子全集と単行本「開高健名言辞典 漂えど沈まず」

電子書籍による全集「開高健電子全集」全20巻の配信開始を記念して、

「巨匠が愛した名句・警句・冗句 200選」(サブコピー)として

『開高健名言辞典 漂えど沈まず』(滝田誠一郎 小学館)

が発売されました。

「悠々として急げ」「毒蛇はいそがない」など開高健が折にふれて書いたり、語ったり 、色紙にした言葉を集めた労作です。

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カテゴリ:メディア 2013-06-09

記念館の「5月」(2003-2013)

開高健記念館は2013年4月で開館 10周年を迎えました。開館以来、訪れた方々が書きつづってきたノートから、その月の言葉をふりかえります。今回は、「5月」新編。(お名前はイニシャルで、難読文字は●で表記させて頂きました)

2003.5

◆先日、銀山湖へ釣行し、「河は眠ら」(「ない」は雪中)の碑を見て参りました。村杉にも泊まり、アルバムも少し見せて頂きました。ここも素敵なところでしね。近くなので、また寄らせて頂きます。5年ぶりの釣りは、岩魚が水面までついて来て、笑って帰って行きました。(鎌倉 K)

◆2度目の訪問です。はじめは開高先生の訃報に接したすぐ後。そして今日。記念館がオープンしたとうかがったものですから、北海道、旭川からかけつけました。帰宅したら、また、全集を読みかえそうと思っています。(旭川 I)

◆もう会えぬ大兄へ
──悠々として急げ──の表現が好きで、愚息の名前は「悠」としました。漂えど沈まずの心構えでこれからも生きていきます。合掌。(国分寺 K・M)

ume.jpg  幹から出た小枝に実った梅の実

◆私は一時期新潟の酒場で“開高さん”と呼ばれていました。体型が似ていたのと、メガネとヒゲ、何より釣り、とりわけ渓流釣りの話ばかりしていたからです。大病をして少し元気がなくなりましたが、昔の自分を思い起こして元気がでたような気がします。(T・H)

2004.5

◆まさか、来れるとは思いませんでした!
一生、幸せで居るために、私は釣りをやめません!(M)

◆小学校の時、開高さんの「フィッシュ・オン」を読んで以来のファンです。鹿児島から来るのはツラかったけど、一生の思い出になりました。今度また来たいと思います(M・?)

◆好きだからといって、家に押しかけることはないだろうと、アイドルの追っかけみたいな感じでチュウチョしておりましたが、とうとう来てしまいました。エッセイの中に登場する静物たちが、文字の世界で想像していた魚たちが、直に見れることができ光栄です。ベランダでタバコを喫うと「ここで開高さんもタバコをたしなんでいたのかしらん」と思いつつ、ちょっと自己満足。記念館があってよかった。

2005.5

◆ここの雰囲気が好きで時々ふっと立ち寄ります。絵葉書(字葉書?)が出来ましたネ。字も文も素敵。友人たちに便り出します。(F)

◆そうですか。氏はここで地球の事を、人間の事を、あれやこれや、日々、考えていたのですね。ひどい国になりました──そちらから、どう見えますか。もっと美しく、もっと楽しく、もっともっと素晴らしく──人よ。会えて、うれしいです。(S)

2006.5

◆ずっと念願だったこの記念館に、姉一家と訪れることができて感謝です。20数年前、サントリー社主催のパーティで開高健さんがワインの飲み方を講演され、その時出された「しびん入り」ワインを美味しくも驚きを持って飲ませていただいた日の事を、懐かしく思い出しました。ありがとうございました。(K)

◆北海道に住んでいる頃から憧れ、上京しここ茅ヶ崎海岸南に住むようになってからも常に意識し続けてきましたが、ナカナカここを訪れることができず、ついには今月一杯で転居することになり、「やはり挨拶しなければ」の思いで訪れました。「ありがとうございました。これからもヨロシクお願いいたします」。(G、A、N)

2007.5

◆生きている本人に会い、話を聞く事ができないのが、残念でなりません。現在87冊。記念館を自宅に作るぞ!(S・M)

◆ガンで入院中の夫が外出許可をもらってやってきました。静かなたたずまいにホッとした気分を味わいました。わたしの思い出の一頁になると思います。テラスの涼しい風がとても心地よく、やわらかな日差しに心がなごみました。(横浜 A)

◆兵庫県明石市から来ました。入社以来働き詰めできた五〇代後半の男性です。最近少し余裕が出て、「夏の闇」や「輝ける闇」「珠玉」等を読み、先生のサトルなセンテンスに驚いています。私は京都育ち、先生は大阪育ちで関西人同志の親近感を持っていましたが、茅ヶ崎に住んでおられたとは知りませんでした(私も同じ頃、平塚に住んでいました)。又、機会を見つけて来てみたいと思います。(W・K)

2008.5

◆やっと来る事ができました。30年近く愛読していると、開高さんの言葉が身体にしみ込んでいて、日々の生活の中でふと出てきます。今日は、近くにいる様な感じを息子と味わえました。ありがとう。(N・M、Y)

◆どこに住んでいようが、何をなりわいにしていようが、開高さんを愛読するという一点で、皆、れんめんとつながっている気がするのは、昔の戦友みたいな感じと共通するのでしょーか。(I)

◆何度か自転車にて近くまで来ましたが、たどり付けず、やっと来る事ができました。開高作品は余り熟読しているわけではありませんが、正月特集やNHKの「悠々として急げ」などを見るうちに、昭和晩期の作家、作家の呼吸を感じ、「便利さ」「あわただしい時間」に流される現在において、深呼吸をさせられる想いで興味を抱きました。スタッフの方々もとても親切で、良い時間を与えて頂きました。仕事に追われる日々ですが、また来たいと思いました。(厚木市 K)

2009.5

◆30年前に開高さんのファンになり、20年前に開高さんが亡くなり、始めてこの記念館に来た今年、私は50歳になります。戦いを見ずして、戦いを書くな──開高さんの言葉は今も色あせません。アラスカのキングサーモン、モンゴルのイトウ、こんなにでっかかったんですね。帰宅したら、また、本棚の「オーパ!」を再読しようと思います。(秦野 J&P)

2010.5

◆開高健さんが何回も読んだというサルトルの「嘔吐」を読みたいです。そして「夏の闇」も。パリへは20歳の時に旅行したことはあるけれど、もう1回滞在してみたいです。生きているうちにやりたいことがいっぱいあります。(H・M)

◆大学時代の仲間でぶらりとやってきました。開高健さんに出会えたのも何かの縁ですね。TVやマスコミなどで知っていた位でしたが、これからは本なども読ませて頂こうと思いました。ありがとうございました。(K、I、F)

2011.5

◆幼い頃、父親が開高さんの作品をよく読んでいました。僕は「オーパ!」の表紙が怖かったので本に触るのも嫌だったのを覚えています。時は経って、今やオーパは愛読書となりました。開高さんからはたくさんの力をいただいています。これからも人生のお供とさせてもらいますネ。(M・S)

◆私は、今、9才の小学4年生です。だから開高健さんの事はしりませんでした。さいしょに書斎の部屋に行きました。大きな魚がいたり、大きなくまがいたりしてとてもビックリしました。そして展示室に行きました。トナカイ(カリブ)がいて、ものすごくびっくりしました。ビデオをみて、せんそうの話などをしていて、昔は色々な事があったんだと思いました。また今度もじっくり見させていただきます。(K・N)

2012.5

◆やっと来れました。開高健のいた空間。いつまでもなくならないでほしいです。

◆毎年夏に自転車でオトコ1人で来てますが、今日は妻と息子(2歳)つれてきました。父の本ダナからぬすみよみしてたカイコーさんの本、息子もぬすみよみするのですかねぇ。(N・●)

◆35年近く前、異国で貧しい学生時代に『オーパ』『オーパ、オーパ』を読み、独特の世界に魅せられました。全巻を2セット入手し、そこで出会った魚たちに、ここで初めて会えました。初めて来ましたが、何となく“宿題”──自分が勝手に自分に出したのですが──をやっとすませた気持ちになりました。また、ヒマをみてきます。(K)

◆「身をすててこそ 浮かぶ瀬もあり 谷のドングリ」
この言葉時々思い出す。

◆彼の持っていたビデオシリーズを見て、とても興味を持ちました。過ごされていた空間に実際に来ることができてとてもうれしいです。赤いポンポンのついた帽子なども見たかったです。フィッシングベストyあ衣服やバンダナなども企画展があれば見にきたいです。(M・U)

2013.5

◆今日は、長い間会えなかった先輩に会えたような気持です。「ベトナム戦記」を読み、その生々しさをもって、20年前サイゴンに行ってきたのも、ついこの間のようです。(H)

◆雑誌の特集で見て開高さんを知って、家の近くだったので、記念館を訪れましたが、生きるヒントを頂いたように感じました。また来たいと思いました。大いに遊んだ後に。(●)

◆1989年……誰もが「ちょっと待てよ……」と思い始めた頃。ある意味、その後を予感してお亡くなりになったのかな……。(●)

◆S47年か48年に青梅市の本屋で見つけた「フィッシュ・オン」。それを読んでからアナタのトリコになりました。新入社員だった私ももう停年です。今59才です。この年令ですね。同じ年令で亡くなられたのか……。(N)

◆来た!見た! そして……。30年来のユメがかない、会いに来ました。まだまだ私の心の中には居つづけます。また、来ます。(M)

カテゴリ:来館者のノートから 2013-06-07

BSフジで6月5日(水)開高健関連番組が放映されました

番組名:名作を旅してみれば

6月5日(水) BSフジ 午後10時~10時56分

作家で開高健との親交もあったC・W・ニコルさんが、開高健の釣魚エッセイ「私の釣魚大全」を中心に、かかわりのあった新潟・銀山平、黒姫をカバー。

カテゴリ:メディア 2013-06-04

5月のギャラリートークの日は26日(日)です

茅ヶ崎の開高健記念館で、記念会のメンバーが館内のご案内をする催し「ギャラリートークの日」。館内に展示された開高健の資料、愛蔵した品々 などをご案内しながら、それぞれの開高健を語ります。

2013年5月は:

【日時】 2013年5月26日(日)午後1時~、午後3時~(各回30分程度を予定)

【案内人】 菊池治男(開高健記念会理事)

【略歴】 1949年東京生まれ。元集英社編集者。「PLAYBOY日本版」在籍時に『オーパ!』アマゾン編の取材に同行。以降、モンゴル編に至るシリーズや『生物としての静物』などの担当編集を務める。著書に『開高健とオーパ!を歩く』(河出書房新社)

カテゴリ:イベント 2013-05-20

連載開始 「ごぞんじ開高健」より 第1回 菊谷匡祐〈開高健のいる風景〉

語り手◆菊谷匡祐(作家・翻訳家 1935-2010)◆

●「アジアで起こっている戦争を見たい」

皆さんの中にも当時、開高さんがベトナムに行って「週刊朝日」や「朝日ジャーナル」に書いたルポをお読みになった方もおられるでしょうが、ある日彼は南ベトナム政府軍に従軍し、ベトコンの急襲を受け、二百人中生き残ったのがわずか十四人という惨事に遭遇する。さらにサイゴン市内で、ベトコンとおぼしき人が銃殺される場面を目の当りにするに及んで、当然痛烈なショックを受け、考えるところがあった。

もともと開高さんがベトナムに行きたいと思った理由は、アジアで起こっている戦争を見たいということだった。その体験をノンフィクションを書こうとなると、世界中に彼のライバルとでもいうべき人が何人もいて、例えばそれはジョン・リードであり、アンドレ・ジイドであり、グレアム・グリーンのベトナム報告もありで、そういう人たちを頭のなかでライバル視しながら書くつもりだったのだと思うんですが、実際そうやって戦場に行ってみると、やっぱり肉食人種と草食人種の違いをまざまざと見てしまったと言いますか、「戦争ははたから見ていると壮大なページェントである」というヘミングウェイの言葉のようには思えなくなる。そして当初の単純と言えば単純な動機からではなく、一人の生身の人間として戦争と向き合うことになった。その瞬間から開高さんの目は外側にではなく内側、つまり自分の内面へ向いていくようになったんだと思います。

で、内面に向かった目から『輝ける闇』が生まれ、『夏の闇』へと結実していった。そして『花終る闇』を加え、闇三部作というものになるわけですが、いみじくも「闇」という言葉を使ったところに、開高さんの心の葛藤と言いますか内面の有りようが、あるいは彼がどんなことを考えていたのか――私には難しいですけど――想像できる人には想像できるのではないでしょうか。

●ただ寝ているだけという物語

 『輝ける闇』はもちろんベトナム戦争を舞台にした小説ですが、『夏の闇』は一変してまったく違うものになっている。どういう内容かというと、昔、東京で妻子のいる主人公と知り合い彼を愛するようになった女性が、結婚できないことに絶望していわば海外へ逃亡するわけです。それでなんと「アー・ベー・ツェー(ABC)」もできないのにドイツに行く。でも語学の才能があったのかボン大学の客員になってそこで勉強しているとき、たまたま主人公がパリに行く機会ができて、彼女と久しぶりにパリで会うところから話が始まるわけです。それから二人はパリやボンで、あるいはときにバイエルンの高原地帯へ釣りに出かけたりして、開高さん自身に言わせると、彼らは「パンツをはかない生活」を続けるわけですね。

パリではホテルの部屋で、ボンへ行けば彼女の寄宿舎で、とにかくセックスと会話だけで終始し、あとは主人公は眠っているだけの、そういう話なんです。 昔から『三年寝太郎』とか『オフローモフ』とか寝ているだけという人間の話がないことはない。でも、あそこまで盛大にただ寝ているたけという物語なんて、近代文学や現代文学にはほとんどありませんし、それを延々と書いていくその筆力にはなんとも私は圧倒されました。

●書くという仕事の残酷な一面

もちろん主人公が開高健自身だとしても、女が実在の女性であるのかどうかは断定できません。ただこの作品が「新潮」に一挙に掲載されて、それを読んだうちのカミさんが「作家というのは残酷ね」と言うわけですよ。残酷というのは家族に対して――この場合は奥さんに対してということになるのでしょうが、これは開高さんが書いた話で、私やうちのカミさんには何の関係もないことなのに「あなたは小説なんて書かなくていいわよ」とか言ったりしましてね(笑)。

確かに書く仕事――小説を書くという仕事にはそういう残酷な一面があるのかもしれません。考えてみたら例えば檀一雄さんにしてもそうだったし、何か小説の完成度を高めるために家庭内に悶着を起こすといった例もないわけじゃありませんしね。まあ、開高さんの家でそういう悶着があったかどうか、それはここでは言わないことにしておきますが。

(『ごぞんじ開高健 開高健記念会〈紅茶会〉講演集Ⅰ』 菊谷匡祐 「開高健のいる風景」より)

カテゴリ:「ごぞんじ開高健」より 2013-05-14

記念館の「4月」(2004-2013)

2004.4

◆水泳教室での大きな写真が子供心にもとても印象的でした。名前は知っていましたが、水泳教室に通っている頃は小学生であり、開高さんは釣りの名人だと思っていました。……茅ヶ崎自体、独特のゆるゆる穏やかな茅ヶ崎時間が流れていますが、その中でもこの場所はさらにまたちがった時の流れを感じました。とても居心地の良い所で、ずーっと居たく、何度も深呼吸したくなる場所でした。ありがとうございました。またあそびに来させてください。(N)

◆藤沢に移り住んで丁度1年、やっと来ました。‘30年生まれの同年生です。「裸の王様」で芥川賞受賞で当時はげまされました。当時のやせた写真の方が好きです。随筆の方が好きです。今日は楽しかった。鵠沼海岸から妻と二人で歩いてきました。(D・K、N)

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2005.4

◆開高大兄のオーパに多大な影響を受け、大学は北海道大学水産学部を選び、在学中はイトウ釣りにあけくれていました。最近、釣りをしなくなってしまいましたが、書斎のキングを見て、自分が大兄の歳になったら行こうと決めていたアラスカに行きたくてしかたなくなりました。(N・T)

◆初めて来ました。吉祥寺からコトコト電車に乗って2時間。来て良かった。明日からまたがんばろうという気になった。(K・A)

◆中学校の学級文庫にあった担任の先生の私物の文庫を読み、興味を持った者です(ちなみに、その担任の先生の「フィッシュ・オン」は借りっぱなしで今もウチにあります。清水先生スミマセン)。記念館には一度行ってみたかったのですが、場所がわからず、「行くことはないだろう」と思っていたのです。最近出た雑誌の「サライ」の特集に場所が出ていたのでこれ幸いと思い、今日来館いたしました。ありがとうございました。(松戸 N・M)

2006.4

◆名古屋からバイクに乗って来ました。風が冷たく強く、地震まであって難儀をしましたが、着いた時にはとても良い天気になっていました。昨日で会社を辞め、来月中に樹林医の勉強のために家を出ます。その前に開高さんに会っておこうと思っていました。文でもビデオでも言われていましたが、「ナースログ」の話が好きです。「リンゴの木を植える」の絵葉書を買って帰ります。(M)

2007.4

◆北海道から来ました。茅ヶ崎は初めてです。開高健の文学で卒論を書きます。素晴らしい環境の中で活動されていたのだと実感しました。(O・S)

◆朝の7時25分に記念館にやってきました。当然のごとく、記念館はまだ開いていませんでしたので、海へ出てみたり、近所を散歩してみたり、鳥たちがたくさんやってくる公園のベンチに横になったりしては、開高さんも見て来ただろうと思われる風景に思いをはせていました。また、記念館を訪れることができたらいいなと思っています。午後からの高橋昇さんの講演会が愉しみです。(吹田 A)

2008.4

◆『ずばり東京』文庫本を読んでから、どうしても開高健記念館を訪ねたかった。NPO法人で運営され、月1回「紅茶会」を開かれているのを知り、市民、読者(ファン)にとって一番良い形であり、私の町にもあったらいいな、と思いました。雑木林が又、味わい深かったです。(鎌倉 F)

◆ビデオが分かりやすく、又展示品の数々、誠に氏の人生の輝きをいただきました。真面目にかつ奔放に生きた生涯の“強烈な印象”を心に刻みました。「悠々として急げ」という氏の言葉、わが人生を重ね合わせて、いたく気に入りました。保存会の皆さま、ありがとう。(大学同期卒業生7人と共に S・M 73歳)

◆あんなに激しい文章もこんなに静かな場所で生まれたかと思うと、なんだか不思議な気がします。いい場所ですね。(I・T)

2009.4

◆小学校か中学校かの頃にTVで開高さんの特集を観た時から憧れの存在です。どの本を読んでも、開高さんの言葉は心とろかすウイスキーのように私の中にしみわたってきます。そんな開高さんの“戦場”に来ることが出来、幸せです。ここであの哄笑が響いていたのか……。(早稲田大学2年 ●・K)

2010.4

◆長年の念願が叶い、初めてお訪ねしました。かつて、井原西鶴をめぐり、早大の暉峻康隆先生と対談していただきました。九段上の阿家での一刻は笑いの絶えない楽しいものでした。いっぺんで暉峻先生は開高ファンとなられたようでした。開高さんは西鶴に通ずる浪速男の知恵とサービス精神がぎっしり詰まっていました。懐かしい。(S・T)

◆先生のベトナム戦争に関するルポルタージュは、若い頃読んで、小説家としてより、ルポライターとして非常に有能な作家だと思い、今に到っておりました。今後も読ませていただきたく思います。(U・Y)

2011.4

◆思い出しました。「開高健?」→「書いた?書けん!」長く新刊を待っている間にこんなフレーズが本の中にあったことが。久しぶりに「闇シリーズ」を読み返したくなりました。(M・T)

2012.4

◆自分の心の中で絶え間なく輝き続ける「核」
それを見つけたくて、確立したくて、揺ぎ無い物としたくて、ここに来ました。
私は歩くのが遅過ぎた様です。歩幅を広げて、悠々と歩き続けます。

◆ようやく訪問が実現しました! 開高健さんとは昭和30年4月以来の馴染みですが(同期入社)それ以降の出逢い、交わした言葉が、ここに来てよみがえって来ました。帰宅したら、又、本棚の中から何冊かの著書を読み直したいと思います。いづれ、あっちで再会しよう!! (S・T 79歳)

◆福岡から念願かなっての訪問です。20代の頃夢中で読んだものです。冴えわたった文章にただただひかれたものです。これを期に、又、読み返してみたいと思います。(T・R)

2013.4

◆DVDで開高さんが戦地から脱出したときの気持ちは口では言えないかもしれないけど、心が心に話している感じがしてかんどうしました。(小6 F・I)

◆数年ぶりに来た。裏の雑木林はすっかり無くなってしまった。昭和50年(1975年)頃の、いわゆる湘南砂丘の雑木林は、茅ヶ崎市内ではもう見ることができないのか。しかも海岸はダムと漁港のせいですっかり削り取られた。今、波乗りの主力は辻堂に移っている。もし、“湘南砂丘”の頃の砂浜を見たければ、134号線の汐見台交差点(地元では“チサン”と言う)から東側のサイクリングロードを歩く事を提案します。(K・K)

◆久しぶりに聖地に来ました。開高さんがかわいがられたネコにもあえてよかったです。男は、危機と遊びを通して一人前になるといった言葉に「はっと」しました。遊び心をいつまでも忘れずに、リスクをおそれずに、チャレンジしていこうと思います。(M)

◆初めて開高健氏に会ったのは、21才、白いページ、その次はフィッシュ・オンでした。それからもう35年が過ぎています。やっとこの地に来ることができました。(長崎 Y・N)

カテゴリ:来館者のノートから 2013-05-06
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