開高健記念会

開高健記念会ニュース

このNEWSページでは、開高健記念会の活動の現況を中心に、開高健関連のさまざまな情報もお知らせしていきます。

4月のギャラリートークは「開高健と茅ヶ崎」

茅ヶ崎時代の開高健のライフスタイルをご紹介します。

【日時】4月30日(日)午後2時から

【案内人】坪松博之(開高健記念会理事)

【略歴】1960年生まれ。サントリー㈱に入社。広報部で「サントリークォータリー」の編集を担当する。開高健からは「モテまっちゃん」と呼ばれ、茅ヶ崎の開高宅に通う日々を続けた。著書に『壽屋コピーライター開高健』ほか。

カテゴリ:イベント 2017-04-20

来館者のノートから(2017年2月~3月)

私はかつて溺れかかった友人二人と林スイミングスクールに通いました。そこでなんと、かの開高健に邂逅しました。点呼に答えた「おー」という開高さんの地響きのような声、プールサイドでの軽妙な小話、ただただ感嘆、感心し、「これぞ開高健」と浸り、心酔しました。40年も経た今も鮮明に記憶しています。開高さん、化けてでもいいから出てきてほしい。(2017.2.11 北杜市、S・F)

 

今日で2回目です。前回買いそびれたジッポを買って帰ります。(2017.2.25 大阪府 N・T)

 

今日で3回目の来館です。私は「ベ平連」に参加しました。釣りも大好きで、開高健氏とは共感できる接点があります。氏の功績を永遠にこの記念館に残してほしい。(2017.3.10 平塚市 K・K)

 

マッカランの横にベリーオールドが飾ってありました。ありがとうございます。(2017.3.12長崎・壱岐 天の川酒造 Y・N)

 

開高健先生のように作品を通して生きてこられた足跡を残される方は魅力的です。私はつたないですが曲を書きますので、何か残したいと思いました。(2017.3.12 茅ヶ崎市 H・S)

カテゴリ:来館者のノートから 2017-03-24

〔臨時休館のお知らせ〕

開高健記念館は2016年4月1日(土)~14日(金)のあいだ、企画展準備のため休館します。

休館明けの開館日は4月15日(土)です。どうぞよろしくお願いいたします。

カテゴリ:イベント 2017-03-21

「田沼武能肖像写真展―時代(とき)を刻んだ貌(かお)」が開催されます。

写真家・田沼武能が、永年にわたって撮り続けてきた、昭和の文壇、文化を担った著名人たちの“貌”80点の肖像写真展です。開高健の写真は、1981年撮影のものです。

会場:練馬区立美術館

会期:2月23日(木)~3月12日(日)(前期)

カテゴリ:メディア 2017-02-23

来館者のノートから(2016年10月~2017年2月)

 

40数年前「青い月曜日」を読み、大阪の大学へ進学しました。それ以来の読者。感動しました。(2016.10.22)

 

先生、また、訪れました。いつ円は閉じるのか? 清く正しく生きていれば、いつかは。生きることを楽しむことを今一度感じ、明日からかんばり、またいつか来ます。(2016.10.23 H・A)

 

テレビで釣りの番組を見ております。良い機会でした。ありがとうございました。(2016.10.23 M・H)

 

やっと伺うことができました。先生は、私にとって永遠のThe Manです。(2016.10.23

S・H)

 

イデオロギーとは所詮殺し合いであり、その場しのぎであるとの言葉に、今更、無政府主義だ、共産主義だと、恥も金も犠牲といえば大げさでけど、熱中したことが馬鹿馬鹿しく思えてきました。先生はニヒリストだったのではと思う今日この頃です。あの独特の開高節に、日本語の表現の豊かさを改めて認識させられました。(2016.11.4 M・Y)

 

昔の自分に会いに来ました。(2016.11.4)

 

3回目です! 今年も来られました。(2016.11.6 T)

 

先生、ようやく再訪がかないました。この8年で私はどう変わったでしょうか。先生と話がしたいです。先生のお叱りを受けたいです。(2016.11.13.)

 

2回目です。前回は茅ヶ崎に転居する前。今日は自転車で5分の距離なのに、いつでも来られると思うと、なかなか来られず。コピーライターという職業を四半世紀歩みました。洋酒天国やサントリーの広告が憧れですが、まだまだ足元にも及びません。先生の書斎にたたずんでいるだけで、文字をつづりたい気分が高まります。海辺を散歩して帰ります。(2016.11.13)

 

作家の住まいというものには、大変興味をそそられる。開高健という感性の人の住まいというものを直に触れることができたことは非常に良かった。また来館してインスピレーションを得たいと思う。(2016.11.18 京都より)

 

やさしい陽が迎えてくれた。駅前で一杯ひっかけて、ほろ酔いで参上。非常に気分がいい。(2016.11.18 上州より)

 

やっと来られた。こんなステキな家をつくりたいなぁ。(2016.11.18 同じく上州より)

 

開高さんの釣りの道具があってわかりやすかった。(2016.11.19 S 父M)

 

俺は俺の分野でマスターとかマエストロとか呼ばれるようになってからここに来ると決めていた。かの偉大なる日本語の天才の心に少しでも触れたかったからだ。果たして、ありありとわかるものがあった。わかるというよりは染みた。また来る。)(2016.11.20 S)

(2016.11.20)

 

本がいっぱいあって楽しかった! また、いろんな本を見に来ます!(2016.11.26 S)

 

娘が私の誕生祝にルアーを買ってくれました。よき日和、よき人生に感謝です。ここは、いつ来ても、何回来ても、良いところです。こういう場所はなかなか出会えるものではないですね。感謝。(2016.11.26 S)

 

やっと来ることができました。最近、先生の本とごぶさたですが、また読んでみようと思います。(2016.12.3)

 

やっと来られた。人生の転機を迎えています。力をもらいました。漂えど沈まず。(2016.12.3 Y・T)

 

今年も来ました。(2016.12.4 O)

 

今日は、おだやかな日ですね。(2016.12.4 K)

 

開高健という人をもっと知りたくて、福岡から来ました。偶然にも、今日ご命日ということ。なぜだかもっともっと、開高さんの世界に、思想に共感し、受け継いでいかねばと、勝手な使命感を感じていました。このような大人たちがたくさんいたらいいのに……世界は変わるだろうと思います。(2016.12.9 福岡 M・H)

 

初めて来ました。また来年も来ます。(2016.12.10 J、M)

 

二度目となります。震災後、心身ともに疲れる日々ですが、ここに来ると癒されます。(2016.12.18 H)

数十年来の念願が叶い、ある意味での私の中の「闇」が晴れました。(2016.12.23 Y)

 

いろいろな意味で私の人生を変えてくれた開高さんの仕事場を見ることができ、本当に幸せな一日になりました。(2017.1.8 T・I)

 

こんにちは、初めまして。多くの人が、今も会いに来ているんですね。多くの人に、今も必要とされているのですね。ありがとうございます。わかりました。さようなら、また。(2017.1.8 M・F)

 

かつて開高健のベトナム取材の体験談を新潮社カセット文庫で聴く機会がありました。短編小説「怪物と爪楊枝」は名作だと思います。現在、1960~1970年代の作家について調べており、開高健について改めて調べ直してみたいと思い、当館へ参りました。彼の歩みがよくわかる展示内容でした。(2017.1.9 Y・S)

 

一度使ってみたい言葉。「なんかってけつかる!」(『日本三文オペラ』ラバが興奮して発した言葉)(2017.1.14 M・S)

 

初めて訪れました。兄が読んでいた開高さんの本を借りて読み、20数年前にベトナムを旅したことを思い出します。来ることができてよかった。(2017.1.22 H・T)

 

男が夢中になれるものは、危機と遊び。まさしくその通り。それゆえ、その二つが同時に楽しめる釣りに、私は夢中になっております。あと1カ月ちょっとで3月になります。そうすれば、いよいよ渓流釣りの解禁日となります。開高さんの好きなサケ、マス類の釣りが始まります。今年は、ここの記念館で購入したバンダナを頭にしめて、ジッポのライターでタバコに火をつけ、フィッシュオンと叫び、まだ見ぬ大物と遊びたいと思っております。

いつの日になるかわかりませんが、銀山湖にある「河は眠らない」の石碑の前で写真を撮ってきます。その写真を私の遺影にしたいと思っております。もちろんいつもの釣りに行く時の格好です。それでは、次は、銀山湖で会いましょう。(2017.1.28 岩手・花巻市 K・I)

 

中国に持っていかれたビッグスプーン。いま琵琶湖では、同じサイズかあれより大きいスプーンを使っての釣りを考えていますよ。今ならもっと先の発想があるんでしょうね、開高さん。(2017.2.3 東大阪 S・F)

 

今回で2回目です。今日は誕生日に来ることができてうれしかったです。まだまだ釣りは上手くないですが、頑張りたいと思います。今日はありがとうございました、開高さん。(2017.2.3 大東市 A・S)

カテゴリ:来館者のノートから 2017-02-07

本波幸一さん(開高健記念会会員)が「情熱大陸」(TBS系)に出演します。

長年の開高健ファンで、トラウトフィッシングの世界で「最強の釣り士」と呼ばれる男・本波幸一さんが、12月18日(日)午後11時「情熱大陸」(TBS系)に出演します。自らの人生をかけて追い求めている“幻の魚”イトウを、初冬の北海道で、一人車中泊をしながら約1ヵ月間、ひたすら竿を振り続ける姿に迫まります。

カテゴリ:メディア 2016-12-14

11月のギャラリートークは「茅ケ崎に住んだ男の残したものは」

1974年以降、茅ケ崎の住居を移した男・開高健は、それまで以上に精力的に世界中を駆け巡りながら、小説・エッセイ・ルポ・TV番組・TV-CMにと活動の場を広げていきました。そんな開高健の足跡と魅力を、彼が出演した全TV-CMをご覧いただきながら追いかけます。

[日時]11月27日(日)午後2時から

[案内人]藤森益弘(開高健記念会監事)

[略歴]作家、評論家、CMプロデューサー。広告制作会社サン・アド就業時、開高健出演のTV-CMに関わる。小説『春の砦』、『モンク』、映画評論『ロードショーが待ち遠しい』など刊行。

カテゴリ:Uncategorized イベント 2016-10-27

10月のギャラリートークは「茅ヶ崎を選んだ開高健、 守るも攻めるも『男の城』は」です。

今回の案内役は「週刊朝日」で開高さんの連載「ずばり東京」「べトナム戦記」の担当者。開高さんは結婚する若い編集者に、「自分の住まいに男の城を作らんとアカンよ」とアドバイスしたが、1974年に自らの「男の城」を築く場として選んだのが茅ヶ崎だった。ところがこの「隠れ城」に、やがて夫人の牧羊子さんと娘の道子さんが移り住んで来て風雲急を告げる。開高さんは「男の城」をどう守ったのか。ここで数々のルポ名作の計画を練り、世界各地に出陣して、59歳直前で亡くなるまでの思い出を語ります。

【日時】10月23日(日)午後2時から

【案内人】永山義高(開高健記念会理事長)

【略歴】朝日新聞入社2年目に、「週刊朝日」連載『ずばり東京』とベトナム取材の担当者に。副編集長、編集長として『もっと遠く!』『もっと広く!』『国境の南』を連載する。元朝日新聞社取締役(出版担当)。

 

カテゴリ:イベント 2016-10-13

来館者のノートから(2016年7月~9月)

私にとっての〝リンゴの木″をしっかり考えなくては。反抗期の孫にも、開高健さんのことを話したくなりました。(2016.7)

 

近くて遠い藤沢在住から訪ねてきました。いつでもいけると思いきや……それがなかなか……。思い切って訪ねてみました。よかった! 来てよかった! 手紙でのやり取り、娘さんや奥様への〝宿題″は、とてもおもしろくて……笑ってしまいました! また、友人を誘ってきますネ。(2018.7.10 H・O)

 

今回、2回目です。人生いろいろ考えさせられます。(2016.7.16 K・O)

 

生かされている自分の命について深く考えています。とてもすばらしい生かされ方に感動しました。(2016.7.16 H・M)

 

また来ます。(2016.7.18 H・I)

 

今回初めてお邪魔しました。開高さんにお会いできたような気がしました。仙台に帰ったらマティーニをつくって飲もうと思います。そんな気にさせられました。(2016.7.22 K・U)

 

近いのにいつかいつかとのびて、今日が初めての来館です。開高さんの生の姿に近づけた感じがしました。また来ます。(2016.7.24 鎌倉市 M・Y)

 

今日初めて来ました。実物が多くて、開高健に関心を持つことができました。一番印象に残ったのは、開高健の書斎です。開高健の人柄がすごく出ていておもしろかったです。また来ます。(2016.7.30 N)

 

初めて来たという感じがしません。あまりにも長い間、あまりにも何度も「あの書斎の写真」を眺めておりました。ジッポのライターも魚の剥製も、ワインのボトルも、ベトナムでかぶったヘルメットも、みんな「手で触りたい」くらいなのですが、胸がいっぱいで、なぜだか今日に限って、原稿用紙の上のあなたの筆記された文字を目で追ってゆくだけで、満足だという気がするのです。このサンルームの中に、今、大きいトンボが閉じ込められています。雨が降ってきて、スタッフの方が、「開口部」を閉めたからです。再開するまでお元気で‼

(2016.7.31 Y・S)

 

2年前に一度こちらでジッポを購入しました。そして、今日、またジッポを買って帰る予定です。南米にいる婚約者が、開高先生の大ファンであり、いつかまた2人で来られたらと思います。(2016.8.6)

 

2年前にお邪魔した時も、今日のような暑い日でした。こんな季節は『ベトナム戦記』あたりを読んで、大兄を偲んでみたいと思います。今度はもっと涼しい時に訪れたいと思います。(2016.8.7 K)

 

小学生の頃に一度だけ訪れたことがありました。中学生になって、またお邪魔させていただいて、いろいろと考えさせられることがあって、勉強になりました。展示されている手紙や原稿を読ませていただいて、一文字一文字がダイヤモンドのように輝いていて、とてもひきつけられて、感動しました。また、今度、ゆっくり来たいと思います!(2016.8.12)

 

脳と心が頑なになったと感じるころ、こちらを訪れています。記念館で過ごした後、ずいぶんとほぐれた気分になり、日常に戻ります。今回の企画展で飾られた手紙にも、開高先生の、ユーモアがうかがえて愉快でした。またお邪魔したいと思います。(2016.8.13 H・D)

 

2年前までベトナムに駐在しており、その時に先生の作品、特にベトナム戦争に関するものを中心に読ませていただきました。帰任後、ぜひ記念館を訪れたいと思っていたのですが、帰任先が福島だったこともあり、なかなか来ることができず、ようやく本日訪れることができました。大変うれしいです。今もウイスキーを飲みながら、先生の作品を楽しむことが日課になっています。帰りの電車の中でも楽しませていただきますよ。また来ます。(2016.8.20 K・H)

 

いつも先生の本を持って釣りに行っています。釣れなくても良い本が読めれば。(2016.8.20 M・S)

 

また来ました。今日は旅の後でもなんでもなく、普通に家から出てきました。何かというとここへきている気がします。また来ます。(2016.8.28 T・T)

 

ようやく、ようやく訪れることができました。先生の作品と出会ったのが高校生のとき。大学生で先生の訃報に接し、先生の作品で卒業論文を書き、そして就職は酒類業界へ。苦しいときも、楽しいときも、いつも傍らには先生の作品がありました。今日はようやくこちらを訪れ、まるで父の墓参に来たようです。きっと、きっと、また来ます。(2016.9.3 Y・F)

念願の記念館。開高さんの生き様にあこがれ、どんな生活をしていたのだろうと興味がありました。この地を愛していた先生の気持ちが少しわかったような気がしました。来館者が雨のため少なく、ゆっくりとたっぷりと開高健の世界に浸り、良い時間が過ごせました。穏やかな気持ちとエネルギーをいただきました。ありがとうございます。(2016.9.22 苫小牧市 K・S)

 

私は定年退職後、タイでロングスティしている64歳の年金生活者です。残された時間とお金を釣りに費やそうと決め、毎朝の日課としてもうすぐ1年になります。釣りに関する本を読んでいるうちに開高健の『オーパ!』と出会いました。面白かった。アマゾンの驚きだらけの底知れない自然を、跳躍するドラマの閃く瞬間を、精緻に活写する至芸の筆致。『フッィシュ・オン』『私の釣魚大全』等に続き、『風に訊け』『水の上を歩く?』で真摯で粋な人柄に触れ、すっかり虜となりました。さらに『玉、砕ける』『夏の闇』に深く感銘し、そして『珠玉』に至って止めをさされました。至宝の煌きに魂が震え恍惚となりました。何故か「ああ、救われたナ」と感じ、もっと豊かな生を堪能しろと聞えて来たのです。(2016.9.23 C・S)

 

開高先生の著書を読み始めてから4年目でようやくここへ来ることができました。父が私の名を「健」と命名するに至った理由を何年も感じ取ろうと何冊も読み続けていますが、まだ結論にたどり着けておりません。もっと著書を読み漁り、また何年かしたらここへ伺いたいと思います。また、その日まで……。(2019.9.25 T・S)

 

C・W・ニコルさんが先生のことを思い出しながら涙した姿を見て、外国人が涙する日本人とは……ということで息子に「健」をいただきました。神戸在住、息子は山口在住。そんな2人がたまたま仕事のスケジュールが合い一緒に来ることができました。先生のお蔭と感謝しています。(2016.9.25 T・S)

カテゴリ:来館者のノートから 2016-10-12

連載「ごぞんじ開高健」より 第4回 鯉渕信一 〈全身をぶつけて入り込んでいく〉

語り手鯉渕信一(開高健晩年のモンゴル取材に参加 元亜細亜大学学長 1945-)◆

●草原のジョーク合戦

第一回目の旅(注:1986年、後のTV番組「開高健のモンゴル大紀行」の取材)は三週間ほどでしたが、私がほとほと感心したのは、開高さんの人心掌握術とでもいえる同行スタッフたちに対する見事な心配りでした。お目付役を含むモンゴル側のスタッフはもちろんのこと、日本側のスタッフにも気配りし、緊張感を徐々に解きほぐし、全員が一つのチームなのだという意識を作り上げていく様は心憎いばかりでした。モンゴル側からは二人のお目付け役のほかにもバスやジープの運転手、燃料を準備(燃料にする家畜の糞集め、薪割りなど)する者などいろいろな手伝い要員を提供してもらいましたが、開高さんはそういう下働きの人たちのなかにも分け隔てなく入り込んでいく。その入り込み方、気配りというのが、何か全身をぶつけて入り込んでいくという印象でした。

ユーモアをまじえながら、自分から接点を求めて入り込んでいく、自分の周囲に壁を作らない、自ら大事なものをさらけ出していくという感じですね。最初は通訳といったって釣りだし、相手は魚なんだからさほど(自分に)用事はあるまいとタカをくくっていた。だから気安く(取材への同行を)承諾したのですが、これがとんでもない大外れ。開高さんはモンゴル人スタッフにしょっちゅうジョークを飛ばすわけですよ。するとモンゴル人もジョークが好きなもんだから、ジョークを返してくる。ジョークのやりとりが間断なしに続くもんだから、ああ、これはとんでもない通訳を引き受けてしまったなと後悔しましたよ(笑)。日本側とモンゴル側が対立する緊張した場面が何度もありましたが、開高さんのこうした気配りがいつも緊張を和らげ、問題の複雑化を食い止めてくれたという感じでした。

●「ああ、偽物はいかん、わしはもうやめた」

当時のモンゴルは厳格な社会主義体制下にあったので、何でもその枠内の価値観で物事を判断し、それを形式的に押しつけてくる。例えば遊牧民はゲルという移動式住居に住んでいますが、その中に開高さんに入ってもらって撮影したいと申し入れると、内部をきれいにしつらえ直してようやく招じ入れようとする。……日本側は遊牧民の普段の生活が決して文化程度の低い、貧しいものとは考えていない。むしろその簡素さの中に大切なものがあるという観点で映像化しようとするわけですが、モンゴル側はそうは考えず、民族の恥部を撮ろうとしているとみるのです。すると開高さんが「ああ、わしはやめた」と言って内へ入ろうとしない。つまり、開高さんは「偽物はいかん」と言うわけです。そこでモンゴル側といろいろやりとりをするのですが、開高さんがご自分の考えを正直にぶつけるものですから、最初、モンゴル側は強烈に反発しました。しかし人間関係が深まり、信頼関係が築かれるにしたがってモンゴル側も本物というのはそれほど大事なのか、物がないことは恥部ではないのだ、テレビのドキュメンタリー番組を作るというのはこういうことなのかと、徐々に分ってきたようでした。

(『ごぞんじ開高健 開高健記念会〈紅茶会〉講演集Ⅰ』鯉渕信一「モンゴルでの開高健」より)

カテゴリ:「ごぞんじ開高健」より 2016-10-03
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