開高健記念会

開高健記念会ニュース

このNEWSページでは、開高健記念会の活動の現況を中心に、開高健関連のさまざまな情報もお知らせしていきます。

再開!連載 「ごぞんじ開高健」より 第3回 常見 忠 〈大物釣り師は世界をめざす〉

語り手◆常見  忠(開高健友人、日本のルアーフィッシングの草分け 1930-2011)

●ひと味もふた味も違う

いまルアーフィッシングとフライフィッシングが日本でも流行っていますが、この二つに関してはいわゆるその魚が持っている──なんというか触覚とか臭覚とか味覚とか含め魚の五感では感知できないものを持っているらしくて、その違いを探知することができるらしいのですが、そのへんをかいくぐって釣ることに意味があり、そこがまたおもしろいわけですよ。そうやって味も匂いもしないものに食いつかせるところに醍醐味があるというか、まあ私がやってるから言うわけじゃないんですけど、やはり生き餌で釣るのとではひと味もふた味も違うんです。開高さんもよく言っていました。魚が好きな餌を選んで釣るなら釣れるのが当たり前だと。

釣り方と種類にこだわる日本人

もちろん渓流のヤマメやイワナ、あるいは鮎やヘラブナなどの餌釣りにだっていろんな釣り方があるし、奥の深いところもありますよ。それから海なら磯釣りもあるし船釣りもある。そういうものをすべて含めて、これは日本人の血というのか、私がつくづく思うのは日本人の場合、なんかすごく釣り方にこだわること。と同時に魚の種類にもこだわるんです。これはちょっと世界でも特異な現象じゃないでしょうか。

例えば自分の好きな魚に異常なほど入れ込んで、どんどん専門的な釣りをするようになっていっちゃう。一つの魚にこだわりだすともう他の魚に目がいかなくなって、鮎の友釣りをやりだすと友釣りしかやらない。ヘラブナをやる人はヘラブナしかやらないとか、磯釣りで石鯛しか釣らないとか、もうこれは日本人の民族性じゃないかと私は思うんです。

マスターアングラーは世界へ出ていかざるを得ない

もちろん開高さんも私も釣り方にも魚にもそれなりにこだわっていますけど、ルアーとフライフィッシングには常に世界中に棲んでいる魚を釣ろうとする姿勢がある。そういう意味では日本という小さな国のなかだけで、こぢんまりとやる鮎の友釣りとも、渓流のヤマメ釣りともちょっと違うものだと思うんです。開高さんの場合、釣り方や魚にこだわっていながら、それでも多くの種類の魚を実際釣ってきましたからね。開高さんが最もこだわったのは大物釣りで、マスターアングラーというのか大物釣り師というか、とにかく大物しか念頭にない。これはもう徹底してましたし、だから世界中に出ていかざるを得なかったとも言えるわけです。

(『ごぞんじ開高健 開高健記念会〈紅茶会〉講演集Ⅰ』  常見忠 「釣り師・開高健さんとわたし」より)

 

カテゴリ:「ごぞんじ開高健」より 2016-08-27

8月のギャラリートークはお休みをいただきます

茅ヶ崎の開高健記念館で、記念会のメンバーが館内のご案内をする催し「ギャラリートークの日」。8月はお休みをいただきます。

次回は9月25日(日)を予定しております。

カテゴリ:Uncategorized イベント 2016-08-25

7月のギャラリートークは「手紙の達人・開高健」

家族へ、友人へ、文壇関係者へ、開高健が綴る手紙は、もう一つの開高文学と呼べるほど実に魅力的な表現にあふれています。今回は、いくつかの手紙を取り上げながら、その魅力を探っていきます。

【日時】7月31日(日)午後2時から(30分程度です)

【案内人】坪松博之(開高健記念会理事)

【略歴】1960年生まれ。サントリー㈱に入社。広報部で「サントリークォータリー」の編集を担当する。開高健からは「モテまっちゃん」と呼ばれ、茅ヶ崎の開高宅に通う日々を続けた。著書に『壽屋コピーライター開高健』ほか。

 

*8月のギャラリートークはお休みさせていただきます。

カテゴリ:イベント 2016-07-29

開高健関連本 ここ1年の刊行 4冊まとめてご紹介

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食べ物語る BUNDANレシピ』(写真右)

日本近代文学館のなかに文学カフェを運営するクリエイティブ集団が企画した文学と料理のレシピ本。漱石、百閒といった大御所から、角田光代、沢木耕太郎、いとうせいこうといった現代作家まで3章、34人、34レシピ。開高作品では『輝ける闇』から前線基地の「ヴァージニア風フライドチキンとマカロニサラダ」が採られています。(主婦の友社 本体1600円)

 

本なんて! 作家と本をめぐる52話』(写真中右)

作家が「本」をめぐって書いたエッセイを集めたアンソロジー本。これまでこのコンセプトで編まれたアンソロジーはいくつもありましたが、芥川龍之介、寺田寅彦といった定番から園子温、万城目学、朝井リョウといった旬まっさかりの作家まで、セレクトこそがいのち。若き日の屈折した本への愛をつぶやく開高健「心はさびしき狩人」収録。(キノブックス 本体1600円)

 

阿川弘之『座談集 文士の好物』(写真中左)

2015年に亡くなった阿川弘之の対談集。オビには「文豪が遺した最後の言葉。」とあります。沢木耕太郎、斎藤孝、向田邦子、井上ひさし等との対談とともに開高健との「ああ好食大論争」を収録。おこなわれたのは1972年、41歳の開高健が10歳年上の阿川“大尉”あいてに食の経験と知識を大展開しています。(新潮社 本体1800円)

 

三浦英之『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』(写真左)

2015年第13回開高健ノンフィクション賞受賞作品。冒頭の、「友よ、君を何と呼べばいい」と始まる建国大学一期生の手紙にいきなり心をつかまれます。開学からわずか8年しか存在し得ず、満州国の崩壊とともに歴史の闇へと姿を消した「最高学府」は、日本、中国、朝鮮、モンゴル、ロシアの各民族から選び抜かれた当時のスーパーエリートたちの集う場所。各地に散った卒業生たちの「戦後」を現地取材した、読みごたえ充分のルポルタージュ。(集英社 本体1700円)

カテゴリ:メディア 2016-07-28

再開!連載 「ごぞんじ開高健」より 第2回 東條忠義 〈バカ者ありき〉

語り手◆東条忠義(CMプランナー・ディレクター 元サン・アド 1938-2007)◆

●4階まで聞こえた大音声

私が開高さんに初めてお目にかかったのは、昭和四十年だったと思うんです。亡くなられたあとに出した追悼号にもそのへんの経緯やらを「バカ者ありき」というタイトルで書いたんですが、なぜそんなタイトルになったかと申しますと、当時私はサン・アドの四階の事務所のほうにいて、ある日突然、応接室やら社長室のある二階から、「バカもの!」というとんでもなくでっかい大音声が聞こえてきた。このときの開高さんの大きな怒鳴り声が忘れられず、タイトルとして使わせていただいたわけです。

で、そのとき、いったい何事が起きたんだろうと二階に下りていったら、ベトナムから帰ってきたばかりの開高”大音声”先生が応接室に怒りをあらわにした顔で座っておられる。それで、どうして先生が「バカもの!」と叫ばれたのか、聞いてみると実はこういうことだったんです。

●「それはダミーです」

ベトナムから帰国したあとまず、当時日比谷にあった朝日新聞社に顔を出し、それから初めてサン・アドのオフィスに顔を出した。一応オフィスのなかにスタジオもあって、サントリーの商品の撮影などは主にそのスタジオでやっていたので、撮影に使ったウィスキーのボトルなども置いてあったんです。で、そのスタジオに置いてあった高級ウィスキーのボトルに先生はさっそく手を伸ばし、グラスに注いで一杯やったあと、「うーん、さすがに上物はいいな」と満足げに言って、ソファにひっくり返った途端、そのスタジオの管理をしていた当時の写真部長が、「あっ先生、すいません、それはダミーです」と言ってしまったらしいんです(笑)。

……たぶん先生がそのとき飲んだボトルの中身はトリスで(笑)、撮影用のダミーだった。つまり先生は偽物のウィスキーをそれと知らず飲んだのだけど、久しぶりにベトナムから日本に帰ってきたばかりだったので、それをうまいと思ったのでしょう(笑)。で、言わなきゃいいのに「先生、それはダミーです」と言っちゃったものだからたまらない。先生、怒ってしまって、「黙っとれ、バカもの!」ってもうビル中全体に響き渡るようなものすごく大きな怒鳴り声を上げた。そのあと怒ったままの顔を見たのが、私と開高さんの初めての出会いでした。

(『ごぞんじ開高健 開高健記念会〈紅茶会〉講演集Ⅴ』  東條忠義 「開高健・映像の裏側」より)

カテゴリ:「ごぞんじ開高健」より 2016-07-28

【重要】 公益財団法人開高健記念会の会計報告が情報公開されています

開高健記念会では法人法及び当会定款の規定に従って会計報告(貸借対照表、財産目録、事業報告等)を情報公開しております。

当記念会HP(このサイトです)の

トップページ 「HOME]→「記念会について」→「情報公開」

からご確認ください。

●今年度(平成28年度)の会員を募集しております。ご入会につきましては、当会HPの

トップページ「HOME」→「記念会について」→「入会のご案内」

から、会費の振込先、入会フォームをご覧ください。

●公益財団への移行にともない、みなさまからの会費は当会寄付金等取扱規程にそって公益目的に使わせていただきます。これら会費等は公益財団法人への寄付として税控除の対象となります。

                                           開高健記念会事務局

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装幀家・三村淳氏と株式会社・中村活字が、

一字一字鉛棒を組み、一枚一枚、

出雲の手漉き和紙に刷り上げています

(金色は正会員、サポート会員は開高グリーン)

カテゴリ:ニュース 2016-07-25

来館者のノートから(2016年2~7月)

先生、『珠玉』完成させてくださいましてありがとうございます。沖縄で今も、これからも先生の作品を読み続けて行きます。(2016.4.23 A・N)

 

開高健さん、やっと来ました。楽しかったし、また元気が出てきました。学生時代からのファンです。もっともっと作品を創ってほしかった。でも、言葉は永遠ですね。ありがとう。(2016.4.30 福岡市 N・T )

 

主人がこよなく愛した開高健様。本、酒(私は下戸ですが)、釣り、すべてを一緒に楽しんでいます。今日、念願の記念館に来られて、すばらしいひとときを二人で過ごせました。(2016.4 30 福岡市 R・T)

 

四度目の来館。今日も静かな、温かい時間を過ごすことができました。現状の自分は漂っていますが、決して沈んではいないので、今はじっくりと根を伸ばし、近い将来立派な花を咲かせたいと思います。(2016.5.14 K・O)

 

ありがとうございました。また近いのでおじゃまします。(2016.5.15 S・K)

 

開高ファンになったきっかけは、平成元年にお亡くなりになった時。スイミング仲間だった友人が、先生からいただいた書籍を回し読みした時からです。以来、真似事に興じ、酒、釣り、アウトドアを楽しむようになりました。いろいろな作品の開高語録は、私の人生のヒントにもなっています。念願かなって初めて来館し、感動してこの1年を友人たち(開高ファン)に語り、楽しみたいと思います。(2016.5.22 宗像市 M・T)

 

齢58。まだまだ『若き日に旅をせずば、老いた日に何をか語る』をモットーに!ここを訪れればひとときでも開高さんに会えたような気が。そして明日からももう少しがんばろうと。(2016.5.29 杉並 H・A)

 

ようやく来ることができました。悠々として、急ぎます。ありがとうございました。(2016.6.10 西宮市 T)

 

ついに先生に会いに来られました。先生の作品を読んでからは、釣りに行く時はいつも心の中でフィッシュ・オンです。また会いに来ます。(2016.60.11 東京都・中野区 O)

 

内なる危機について考えるチャンスをいただきました。このようなことを考える年齢になりました。悠々として急ぎます。(2016.6.12 K・M)

 

高校の同窓会の記念館に飾られていたアルマイトのお弁当箱のことが、思い起こされました。(2016.6.25 大阪 K)

 

やっと来ることができました‼ 僕も悠々として急ぎます‼(2016.7.1 大阪・八尾市 M)

カテゴリ:来館者のノートから 2016-07-14

6月26日のギャラリートークは「思い出の開高さん牧さん」

今を去る三十余年前、入社ほどなく毎月原稿をいただきに茅ヶ崎通いした頃のことを思い出しながら、開高健さんと奥様の牧羊子さんを語ります。

【日時】 6月26日(日曜日) 午後2:00から。

【案内人】 冨澤祥郎(開高健記念会理事)

【略歴】1958年生まれ。新潮社出版部勤務。入社早々、開高健の自伝的連載小説『耳の物語』の原稿を受け取りに、毎月茅ヶ崎に通う。

カテゴリ:イベント 紅茶会 2016-06-22

5月のギャラリートークは、5月29日(日)午後2時から行われました。

企画展の冒頭に展示されているのは、ベトナム行を反対された家族に、まずは安心してもらおうとの開高の思いのこもったサイゴンからの手紙です。開高家の事情に詳しい案内人が、とっておきの秘話を語ります。

【案内人】永山義高(開高健記念会理事長)

【お話し】「開高健と年上女房(詩人)との“火宅”の真実」

【略歴】朝日新聞入社2年目に、「週刊朝日」連載『ずばり東京』とベトナム取材の担当者に。副編集長、編集長として『もっと遠く!』『もっと広く!』『国境の南』を連載する。元朝日新聞社取締役(出版担当)。

カテゴリ:イベント 2016-05-11

ホテル・マジェスティック・サイゴン103号室「開高ルーム」に新銘板を寄贈しました。

ベトナム・ホーチミン市(旧サイゴン)の「ホテル・マジェスティック・サイゴン」は、日本人観光旅行者の間で人気が高い名門ホテル(1925年創業)のひとつ。フレンチ・コロニアル・スタイルの貫禄はサイゴン川畔でひときわ目立っています。このホテルで日本人文学ファンの熱い視線を集めているのが、「開高ルーム」と呼ばれる103号室。1964年11月から翌年2月まで、開高健さんが朝日新聞社の臨時特派員としてベトナムに滞在し、戦争ルポの名作「ベトナム戦記」を残したとき取材の拠点にした部屋です。

50年前の1965年2月、ジャングル掃討作戦を取材中にベトコン(南ベトナム解放戦線)に包囲されて敗走、200人の政府軍・米軍兵のうち集合地点での生存確認はわずか17人。まさに九死に一生を得てサイゴンに生還し、同行の秋元啓一カメラマンと103号室のベッドに倒れこんだのでした。部屋の内装は何度かリフォームされていますが、間取りはそのまま。目の前のサイゴン川沿いの夜景に往時が偲ばれます。2階なのに洪水のようなオートバイの喧騒も上がって来ません。

「103号室」は開高作品の中によく登場するので、部屋指定で予約する日本人も多かったようです。この人気に注目したホテル側では、部屋前の廊下の壁に「開高ルーム」の由来を説明する金属の銘板を取り付け、観光客の関心に応えていましたが、説明の日本語はいささか明晰さを欠いていました。

そこで開高健さんのベトナム取材50周年に当たり、公益財団法人開高健記念会では、この銘板の改定、寄贈を同ホテルに申し出て、このほど新しい銘板(日本語と英語)の装着が完了しました。

七つの世界遺産を持つベトナムにとって観光は重要な産業ですが、ホーチミン市のサイゴン川畔にはアメリカ資本の新ホテルも次々に進出。他方、老舗の名門ホテルは社会主義体制下で国営となって迎え撃っています。

このベトナム・ホテル戦争の中で、国営の「ホテル・マジェスティック・サイゴン」も2018年末には500室の高層の大ホテルとして生まれ変わる改造計画が進行中。フレンチ・コロニアル・スタイルの歴史的な一角はそのまま保存される予定です。同ホテルのトゥルオン・タン・ソン社長は、「新しい銘板の寄贈、有難うございました。激しい競争のなかで、103号室の開高ルームはマジェスティック・ホテルの貴重な財産です」と語っています。

3 生還直後の103号室(1965.2.15) 生還直後の103号室(1965.2.15)

4開高さんの写真を飾った現在の103号室 開高さんの写真を飾った現在の103号室1新銘板と103号室ドア

5ホテルマジェスティkック全景マジェスティック・サイゴン 2開高プレート新文面

 

カテゴリ:ニュース 2016-05-11
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