開高健記念会

開高健記念会ニュース

このNEWSページでは、開高健記念会の活動の現況を中心に、開高健関連のさまざまな情報もお知らせしていきます。

記念館の「3月」(2004-2014)

開高健記念館はことし開館 12年目に入ります。開館以来、訪れた方々が書きつづってきたノートから、その月の言葉をふりかえります。今回は、「3月」新編。(お名前はイニシャルで、難読文字は●で表記させて頂きました)

2004.3

◆海岸に写真を撮りに行った帰りに、記念館を偶然見つけて寄りました。魚釣りが好きなので、先生の中南米釣り紀行などドキドキしながら読んだものでした。私の住む茅ヶ崎市に先生が住んで居られたなんて感激です。できればお会いしたかった。(赤羽根 K・T)

◆じんわりと心が安らぎました。釣りを覚えてまた来たいです。(O・K)

◆昨夏、南部アフリカでトラックにゆられながら開高さんの文字を追いましたが、かわいた体にしみわたりました。これからも世界のあらゆる場所で氏の言葉をたどることでしょう。(Y・H)

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2005.3

◆日本語の濃厚な渦の中に溺れつつも漂えずという心境の中、先生の作品をこよなく愛した一人であります。この記念館は、本当に偶然に、いや心の奥底にある声に従いつつ、必然的に導かれたのかもしれない……。ともあれ、横浜での単身赴任を後1か月で終えようとしている私としては、この地での最高の想い出となりました。先生の書斎、愛用品、原稿等々を垣間見る事が出来、少しでも先生自身を感ずる事が出来、感慨深いものがありました。単身赴任を終え、関西へ帰省する事となると、もうこの地を訪れる事が出来なくなるかもしれないという、決して大げさではなく、半分諦めにも似た胸中を抱きつつ、一生の想い出と心に刻み込み度く……合掌。(K)

2006.3

◆著作だけではわからないことを知り、とても楽しい時間だった。よい場所ですね。

◆何だか疲れた時、悲しい時、不安な時、来たくなるのです。(S)

◆川崎から長男が、開高先生の記念館に行くとさそってくれました。病気がよくなったので、すっかりいやされまして、ありがとうございました。友達をさそってまた参ります。(I)

2007.3

◆開高大兄を初めて知ったのは10年以上前、NYの現地高校で色々な壁と悪戦苦闘している時でした。以来、大兄の本は常に私の人生と共にあります。今日は良い物を見させていただきました。貴方のような偉大な大人になった時、また来ようと思います。(F・S)

◆初めて訪れさせて頂きました。この空間で数々の作品が生み出されたのかと思うと、感じ入るものを押え切れません。季節が違う毎にまた訪れたいと思います。(S・T)

2008.3

◆少し日本での生活、仕事に疲れてしまい、ふとこの記念館を訪れてみたいという気持ちになりました。「人間と戦争」作家として、というよりも、一人の人間として、開高健がどのように感じ、言葉として残していかれたのか……、また再び旅に出れそうな気持がわき起ってきました。記念館を保存して下さっている茅ヶ崎市に感謝です(N・Y)

2009.3

◆東京に来てから何度か来ています。来るたびに何か、なぜかほっとしています。男が熱中出来るものは“遊びと危機のなかにある”“ここ以外であれば何処でもよい”。来るたびに何か新しい発見があるように感じております。(K・M)

◆病気の義母の介護の午後のひととき、海岸散歩に出かけ、その途中ぶらりと足を運びました。義母は只今お昼寝中です。家から15分位なので今度はまた主人と訪ねたいものですね。開高氏の壮大さと自然体の生き様に、介護なんて何のそのと思えた時でした。(Y・K)

2010.3

◆開高けんさんは本をいっぱい作っていて、シカやへびなどいろいろすごかったです。

◆次にくる時は学位を取得しているでしょうか? 今、目の前にある問題をクリアしているでしょうか? また来ます。(E)

2011.3

◆たまたまココに来ました。書斎の熊の毛皮が、すっごく大きくて恐かったです。そんな書斎で過ごしていた開高さんはスゴイネ! 近々私、韓国行きます。(K・H)

◆問題と問題外、想像と想像外、そんな世界を伝えて頂いた思い、切なり。(O・Y)

2012.3

◆やっと来られて幸せです。苦しいと楽しいが一緒になったような……そこが好きです。(M・S)

◆私は釣りが好きで「フィッシュオン」や「オーパ」などで開高健と出会った。エッセイはおもしろい。「地球はグラスの……」などに腹を抱えた。不思議と小説はまだほとんど読んでいなかった。今までは、それでいいかと思っていたのが、こちらに伺って、ガラリと考え方が変わった。

◆I would like to thank the Kaiko Memorial Ass. for opening and
maintaining this wonderful memorial to one of Japan’s most important
post-war authors.

Takeshi Kaiko served as a conscience to all of us during the 1960 and
1970’s. I am not sure if this reporting of and opposition to America’s
War in Vietnam helped end the war any quicker, but it did remind us that
it was wrong and a terrible, terrible mistake.

I will treasure the memory of today’s visit and would again like to
thank you for your volunteer activities in maintaining the memory of
this wonderful human being.(イリノイ州 R・O)

◆もう20年以上読者ですが、やっと訪れることができました。エッセイに書かれたナゾが、お宅に展示している品を見て少しとけました。皆さんの手によって自宅が保存されていることに感動しました。また、遊びに来ます。(K・S)

2013.3

◆日本三文オペラを読んで驚嘆して以来のファンです。やっとここに来れました。書斎がそのままの姿で感動しました。開高さんの息吹が感じとれて本当に良かった。(鎌倉市 Y)

◆勘違いで本日休みだと諦めていたのですが、やってきました。今にも散歩や何かから開高さん帰ってきそうな不思議な時を過ごせました。(広島市 F・M)

◆サントリーのCM、釣り旅行ドキュメント、忘れられません。猫のはく製がとても気になりました。ご自身がとても猫好きだったとは! とても親近感を覚えました。他、料理エッセイ、対談集が大好きです。(埼玉 M)

◆あれから約2ヶ月。無事大学に合格し、ここへまたやってきました。もしあの時、ココに行かないで大学を受けていたらダメだったかもしれません。それは“危険の中に遊びがあり、遊びの中に危険あり”という開高さんそのものの言葉に支えられたからだと思います。書斎や小道。どこからかふっと開高さんが出てきそうなオーラを肌で感じました。この感覚を大人になっても忘れたくはありません。……(O・K)

◆茅ヶ崎の静かな趣のある居宅は想像どうりでした。これから彼の足跡を追って、すばらしい作品を読んでいきたいと思います。桜が例年より早く咲いた春。遠方より来たかいがありました。

2014.3

◆一生幸せになるために「サオ」を買いました。(N)

◆現役時代から来たいと熱望していたのが、やっと実現した。若い時に読んだ“オーパ!”が強烈で、ぐいぐいと引き込まれた。開高氏は大物だあー。(博多 T)

カテゴリ:来館者のノートから 2014-04-05

重要◆新年度会費について事務局からのお知らせ

いつも一般財団法人開高健記念会にお力添えを頂きありがとうございます。
現在、開高健記念会は、活動を一層充実させるために公益財団法人化の手続きを進めております。
つきましては、来年度(平成26年4月1日~27年3月31日)の会費・寄付の振り込みは、寄付控除が適用される公益財団法人認定後にお払い込みいただくよう、会員の皆さま方に新たにご案内させていただきますので、今しばらくお待ちください。
今後とも開高健記念会をよろしくお願いいたします。

平成26年3月27日
一般財団法人開高健記念会 事務局

2014-03-27

記念館の「2月」(2004-2014)

開高健記念館はことし開館 12年目に入ります。開館以来、訪れた方々が書きつづってきたノートから、その月の言葉をふりかえります。今回は、「2月」新編。(お名前はイニシャルで、難読文字は●で表記させて頂きました)

2004.2

◆サイゴンのレストラン「東京」でお見かけした開高さんが、30数年後のここにおられました。(東京 T・R)

◆前回来た時に「遺品」のライターがとても印象に残りました。生前の開高さんにいつもピカピカにみがかれ、まさに「生物」の様であったろうライター達が、今はすっかり「静物」と化していて、主のいなくなった事を知らしめている……そんな風に感じました。でも、このお宅は静かでとても居心地が良く、大好きです。またうかがいます。(N)

◆5度目です。千葉から片道3時間余りかかるのですが、これこそ“午後の愉しみ”です。遥か昔、“日本三文オペラ”に影響を受け、「とさや」(大阪 生野区猪飼野)にセキフェを喰べに行き(昭和52)、“眼ある花々”を読み、越前海岸「こばせ」に新婚旅行(昭和53)。なお、あれがあり、なお、これがあり、今52歳となりました。開高さんとともに、ここまで来たという実感(しみじみ)。(N)

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2005.2

◆はじめての訪問です。どれほど開高健を愛したことかしれません。あらゆることに才と情熱をかたむけ、昭和だけを生きて、かけぬけた彼の記念館があることを今まで知らなかったとは! 私の夫も平成元年12月10日没。開高健と一日ちがいだったこと、何か誇らかに思っています。(K・N)

◆釣りの達人開高さんの道具であるリールを見て思いました。開高さんはスピニングは使用しなかったのですか? 石鯛釣りにABUは使っています。大物には最高のリールですね! 今日は楽しい1日ありがとう。(K・N)

◆30年前の独身の頃、職場の友達が「大好きだ」といった開高健って、どんな人? 知りたくて、きました。これから少しずつ知っていきたいです。(M)

◆開高健にあこがれ、アラスカに行ってしまいました。まさかこんなに近くに記念館があるなんて感動です。あの本を読んで、自分の道が見えてきました。(K・Y)

2006.2

◆やっと、私の聖地に来ることができました。海が意外に近いので驚きました。グルメの集では是非「一片のシャケ」(「最後の晩餐」所収)だったか、「暗くて臭いトイレに逃れて立ったままで黙って泣いた」という一節が欲しかったデス。(呉 T・K)

◆おととしから「開高健記念会」に入会させてもらって、こちらには何度もうかがっているのですが……。一番愉しみなのは、他では見れないDVDの映像が見れることです。できれば、一番印象深いものを何本か編集して販売して頂ければと思います。それと今日、「紅茶会」講演集“ごぞんじ”を頂いたので、家に帰って読むのを楽しみにさせてもらいます。(K・Y)

2007.2

◆大先行・先輩でありましたが、やはり失われたものの大きさを知るばかりです。チャプリンの「モダンタイムス」は超近代工場の完成とともに労働者は川へ釣りに出掛けてゆくのですが、さて「大開高とともに」川釣りに立向かう気持にはなりません。〈ベトナム戦〉も〈釣り〉も知らず、はてさて如何に男になるべきや? 危機は遍満しておりますが……。ここへ繰返し来て考えつづけることにしたいものです。(もと集英社文芸出版部 S)

2008.2

◆約1年半ぶりに再訪しました。釣り好きのダンナに連れられて! 昨年の夏は銀山湖の村杉小屋にも泊まり、ご主人に開高さんのお話をたくさん伺いました。(I・Y、T)

◆へやにしかがかざってあったからおどろいた。開高健さんは、いろいろなぼうけんに行ったんですね。私もそんなぼうけんをいつかしたいです。パンフレットに書いてある海、今日私行って来ました。とてもいい海ですね。岩がたくさんあってすごいですよね。今日、私は開高健さんをはじめてしりました。いろいろな本を書いてて、すごいですね!(MOMOKO)

2009.2

◆20年前に読んでとても感動したパニックの原稿を見て涙がにじんできました。来て良かった。それだけです。ありがとうございました。(H・T)

◆懐かしい仲間と懐かしい友人につれられて、はじめて来ました。素敵なところで感激しました。作品をよく読んでみよう。開高丼を食べに行こうとみんなで話しました。(S・K)

2010.2

◆水は海に向いて流れていくことをあきらめない。(韓国のあるつり人 P)

◆中学生の夏。奥只見の湖のほとりで、氏の言葉に衝撃を受けました。あの時の少年は青年となり、人の親となり、中年になりました。同様に時代は流れ、昭和も終焉を向え、平成の世となりました。あの日植えたリンゴの木は、今も私の中で大きくなっています。(H)

◆自分の人生で尊敬した人は皆あなたのファンでした。いろいろな経路であなたに通じていました。なんだかウソのようで本当の話、キセキのような話です。これからもずっとファンです。(S・N)

2011.2

◆開高さんの仕事の量とエネルギーに改めて敬意を表します。(Y・T)

2012.2

◆ブラリと来ました。面白いです。
開高さんの本を読んでみようと思います。

◆長年訪れたいと思っていた願いが、今日実現しました。(N・N)

◆またゆっくり参りたいです。瀬戸内寂聴さんの「奇縁まんだら」の開高さん、大変おもしろいです。館内において下さいませんか!?(K・K)

2013.2

◆もしかして主が書斎からのっそりと顔をのぞかせるのではないかと期待していましたが、そんなことはありませんでした。きっと今ごろはあちらの世界で、向井敏さんと谷沢永一先生と三人で「書斎のポトフ」の続きに花を咲かせていることと思います。昨日、羽田に1時間以上遅れて到着しました。札幌は大雪です。(K・E)

◆こんな生き方をしたいとずっと思っていました。でも、できませんでした。これからもできないと思いますが、少しでもと思いながら実生活を送りたいと思います!(横浜市 I・T)

◆12月に放送された『漂えど沈まず ~小説家・開高健の遺した言葉』を観て初めて開高健という男がいたことを知りました。それ以来、その魅力に取りつかれてしまい、彼の考えの深さとユーモアにいつも感服しています。58歳という若さでお亡くなりになったとのこと、本当に残念でなりません。(大田区 K・M)

2014.2

◆何度か記念館を訪れていますが、現在、開高さんが御存命であればどんな本を書かれ、また、この経済一点ばりの社会に対してどの様な御発言をなさっていたか、ここに来るたび考えてしまいます。昨年、念願のベトナムの旅に出かけ、開高さんがリポートなさったベトナム戦争を思い、貧しさを所々に残しつつもベトナムの人々のやさしさを体感し、現代の日本の様にはなって欲しくないと実感する次第です。また、次回の企画を楽しみにしています。(Y・K)

カテゴリ:来館者のノートから 2014-03-20

記念館の「1月」(2004-2014)

開高健記念館はことし開館 12年目に入ります。開館以来、訪れた方々が書きつづってきたノートから、その月の言葉をふりかえります。今回は、「1月」新編。(お名前はイニシャルで、難読文字は●で表記させて頂きました)

2004.1

◆開高健さんにひかれるのは、私が文学部出身であり、こよなく釣りを愛しているだけではないでしょう。そこには人生に対する考え方、とくにそのパラドックス(自己の中にある)に共感を持っているからです。転職について迷っているこの折、ここを訪れたのもヒントを得るためでした。「河は眠らない」のビデオの中で、「何かを得るには何かを失う。そのバランスシート(損得)は誰にも分からない」という意味の事を言われているのは、今の私にとりとても示唆的でした。最後にこの記念館を無料で開放して頂いている事についてお礼を申し上げます。(千葉 K・M)

◆出張で茅ヶ崎へ。湘南海岸散歩のつもりでラチエン通りを歩いていたら頭上に、作家開高健の愛した道とあり、ひょっとしたらと思い、期待したところこの記念館へ。ありがとうございました。(九州のファンより)

shou_eboshi.jpg  ラチエン通りから見える烏帽子岩

◆開高さんは食欲があって、アルゼンチンでは牛をまるごと焼いてナイフで切って食べるぐらいすごい。今日はいろいろな事がわかってよかったです。(中1 O・Y)

◆茅ヶ崎フィールドワークとして、19名の生徒をつれてきました。好天に恵まれ、ていねいな説明をきくことができ、よかったと思います。北魚沼郡出身の私にとって、開高氏と私の故郷が関係深いことを知りました。ベトナム戦争を書いた頃の開高氏と50代以降の開高氏は違った印象です。ベトナム戦争が氏に与えた影響の大きさを思います。……(S・C)

2005.1

◆福井より、はるばるやって来ました。開高さんの本との出会いは20数年前。20代前半はむさぼるように読みました。また、釣り紀行のTV番組も楽しく見させてもらいました。本当に素晴らしい作家であり、人間だと思います。ここに来て再認識させられました。今も開高さんは私の心の中に生きています。これからもずっと生き続けます。……(T・H)

◆約1年ぶりに再訪しました。やはり人生に迷った時に来ています。この1年だけでも何度も悩むことがありました。いつもは快活な様子で生活していますが、一方でこの先どういった人生を歩むかをいつも考えています。悩みながらも何年も進んできましたが、今37歳になり自分はどの様な人間かを規定してシンプルに生きたい。そのヒントを得るために、大学の、そして釣りの先輩である開高さんを訪問しました。また、報告に参上します。(M・K)

2006.1

◆開高さん大好きの人ときました。作品やコメントや、写真がじっくりと鑑賞できて、まんぞくしました。

◆29歳、小学生の頃「オーパ!」を見て、凄いしょうげきをうけていらい、開高健信者の一人となりました。小生、色々と回り道をしながらここまで来て、きちんと一人前になってからこの記念館に来ようと思っていましたが、本年の1月16日に第一子(男)が誕生、初めてこちらに伺いました。20年以上経った今でもたくさんの人がここを訪れるようで、あらためて人気のある人だったのだなあと、感無量です……。

2007.1

◆素晴らしい時間が停止したまま、生きていました。(K)

2008.1

◆ここを訪れたのは二度目です。来年から新聞記者として新たな人生をスタートさせます。「ずばり東京」を読んで、現場を訪れることの大切さ、ルポのおもしろさを知りました。開高さんは、僕にとってジャーナリストを目指したきっかけです。同じ湘南人として、少しでも開高さんの背中に追いつけるように頑張りたいです。(S・R)

2009.1

◆今回で4回目の訪問になります。大阪から鈍行に乗ってちがさきまでトコトコやってくるんですけれど、4回目ともなると、それにもずいぶんと慣れてきました。ふと思うんですけれど、どうしてぼくは、鈍行で8時間も9時間もかけて開高さんのお宅におじゃましているのでしょうね。おそらくぼくにとって開高さんは、それほどに思いいれの強い人になっているのでしょうね。一緒にお酒をのむことができなくて残念です。またこれからも開高さんのお宅におじゃますることがあると思いますけれど、どうかやさしくむかえいれてくださいね。(A・T)

◆ウォーキングの途中にお寄りしました。こんどはゆっくりと拝見したいです。そして、これを機会に開高さんの本をたくさん読んでみます。2月にベトナムに行きます。その前に本を読みます(ベトナム戦記)。(E)

2010.1

◆昨年暮に来て閉館ギリギリ、今日1月24日やっと入館、感動しています。一度来たいと思い、家族三人、人となりを良く知り、考え、楽しい一生を送った方と知り、思いっきり生きなくちゃと思います。(鎌倉 Y)

2011.1

◆在りし日の先生とお嬢さんの笑顔を思い出すます。特にお嬢さんは毎朝小生が新聞を配達に来ると、早朝にもかかわらずニッコリと笑顔を向けて受け取ってくれた姿が今でも思い出されます。(H)

2012.1

◆“ヘミングウェイ”に似ているなあー、とふと思いました。この開高さん。でも、ベトナムへ行ってから、大きく変わったのでしょうか。僕の手の届かない世界に、飛んで行ってしまった人かも──。「裸の王様」をよみたいと思います。(Y・I)

◆2月から3年ホーチミンへ行きます。
帰ったらまた来ます。

◆開高さんの人となりを少しでも感じ取ろうと上尾市から来ました。ゆっくり見て行こうと思います。

2013.1

◆やっと来れた。良かった。黙って帰ります。(T)

◆「『危機』とは、自分の内から生じる」ということばが心にしみました。外部からのものには比較的対応できるが、自分の中からのどうしようもない思いが時としてその人をどうしようもない世界へ連れていってしまうということでしょうか。おそろしいです。

◆ドアを開けた瞬間感じる開高さんの力。不思議と心が落ちつき、心に底知れぬ力が沸いてきた。なぜこんなに近くに住んでたのに今まで来なかったのかと思わず一人事を言ってました。ひとまず、今日この瞬間に来たのは、“今”ここに来る必要があったからだと確信しました。このノートを始めて読み、始めから読んでみると……。岩手、大阪、福岡から来ている人がいるではありませんか。茅ヶ崎に住んでいる僕は幸せなんだと感じることができました。ありがとうございました。(18歳 K)

2014.1

◆開高さんのハートが知りたかった。驚く心、喜ぶ心、悠々として急ぎます。(H)

◆来館途中、通りを一つ手前で折れて海岸まで到着しました。白砂青松ではないけれど、くもり空の大変要のさざ波や凧上げの人も見れました。JR東海道線の車中で井上ひさし先生の「吉理吉理人(上)」を読みながら。ちなみに吉理吉理とは砂浜を歩くときのキュ・キュリ、キリという音から来ているらしいです。昨年の12月25日NHKニュース9を見ていたら、奄美大島施政権返還日本復帰60周年記念日だったのでした。(愛知県 K)

カテゴリ:来館者のノートから 2014-02-27

記念館の「12月」(2003-2013)

開高健記念館は2013年4月で開館 10周年を迎えました。開館以来、訪れた方々が書きつづってきたノートから、その月の言葉をふりかえります。今回は、「12月」新編。(お名前はイニシャルで、難読文字は●で表記させて頂きました)

2003.12

◆先生のコピーのなかでは「明るい歌声 楽しいベントウ それに一本トリスの瓶」というのが一番好きです。あの頃(昭和29年頃)の先生は、やせておられて、晩年とは違った雰囲気だったのですね。貴重な文学的財産を公開に踏み切った茅ヶ崎市のご好意に感謝いたします。末永く、維持させて下さい。(Y・T)

◆作品は読んだ事はなかったのですが、テレビで大きな魚をつって川にもどしたり、モンゴルの草原で、お茶目なかっこうで小動物(名前は忘れました)を観察した所を拝見して、楽しい方だなと思っていました。人生を色々な面で味わいつくした人と、記念館を拝見して思いました。これからの私の生き方の参考にしたいと思います。(大宮 F・Y)

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◆昨日、実践女子大学の「向田文庫」を見学してきました。なんとそこには「オーパ!」の本もありました。何か運命的なものを感じてしまいました。次の年賀状はKaikoさんの言葉を書き並べました。他の人にも心にひびく言葉になればと思っています。

2004.12

◆人生に迷った時、必ず開高さんの本なりビデオなり、とにかく開高さんの物に接します。そして元気をもらい、また一歩、進む事が出来ます。これからも……。まだ、開高さんは私の内で生きてます。(O・Y)

2005.12

◆来たくて来たくて、やっとです。あの時もう、きっと病にあったのでしょうか。おつかれだったのに、パーティで大変だったことでしょう。でも私たちには一生の楽しい思い出だったのです。今でも開高さんの顔は忘れません。ありがとう。又お会いしたくなったら来る事にしましょう。(館山 オーパ村 K)

2006.12

◆本日初めて訪れました。随分と行動的で多趣味な作家さんだったのだと驚きました。また、生原稿も拝見することができ感謝致します。

◆岩手から来ました。青春時代に読んでいた本の作家に会いに来ました。言葉にならないほど感激しています。

2007.12

◆先生の本を読まなかったら、私の人生はずいぶんつまらないものになっていたと思います。先生亡き今も、先生の存在は大きくなる一方です。時々おじゃまして、先生が当時思いをはせた世界について、私も共有させていただきたいと思います。(B・Y)

2008.12

◆今日は夫と参りました。今度はぜひ娘と一緒に来たいと願いつつおります。もともと娘が学生時代からの大ファンであった。母親のわたしは、そのおかげで本日の感激を体験し、嬉しく思っております。どうも有り難うございました。(M・A)

◆文豪の息づかいが感じられた。次は釣道具の展示の際に何とかして来ようと思う。(D・H)

2009.12

◆熊本を発ち、23時間、やっと開高様に逢える事が出来ました。ナゼか涙が、やっぱり心が高鳴り、コブシに汗が……。多大なる影響、ありがとうございました。いつまでも、いつまでも私の中に住み続ける。(熊本 K・J)

◆ルアー作りがんばります!!(I・T)

2010.12

◆最近再び闇シリーズを含め御作を読ませていただいて77歳の年齢でも十分に感じ、思うことが出来ることを喜んで居ります。素晴らしい内容の記念館の存在に感謝致しますが、奥様、お嬢様が共にいらっしゃらないこと、本当に残念に思います。天国でお三人で現世で持てなかったゆっくりした時を持たれていると考えればよいのでしょうか。(横浜 N・S)

2011.12

◆久し振りに開高記念館に来ました。“悠々として急げ”大変素敵な言葉ですね。また、来年も出来るだけ来るようにします。皆さんどうぞ良い年をお迎えください。(N・●)

2012.12

◆「オーパ!」展最終日に──。私が大学一年の頃、開高さんはベトナム従軍のルポを「週刊朝日」に連載されていました。東京・神保町の古本屋で求めた「声の狩人」「過去と未来の国」の二冊の岩波新書に接して以来、開高さんの文章のエネルギーに魅せられています。高校教師となって疲労感を感じつつあった時、若手カメラマンの力強い写真と鮮烈なまでに躍動感あふれる開高さんの文章は大いなるはげましと私には感じとれました。あくなき好奇心と行動力で駆けぬけた作家として心に残ります。(名古屋市 S・K)

◆私が読んだことのある文章で、開高さんのような書き方のものは初めてでした。読んでいてハッとさせられるところがあります。ここへ来て、開高さんの文章をもっと知りたいと、また、開高さん自身のことをもっと知りたいと、感じました。(横浜市 N・M 中1)

2013.12

◆再び訪問することが出来ました。一年間頑張れるのは記念館が待っているからなのです。ありがとうございます。ロマネコンティを読んで、成熟した果実の様な美しく磨き込まれた文章にとりつかれる様な年齢となりました。また来年も来れる様に頑張ります。(伊勢志摩 O)

◆何年も前から訪れたかったこの記念館、やっと来ることが出来ました。開高さんの本やビデオを見る回数が増えるとますます開高さんを知りたくなります。釣りも出来ない私が、釣りをしたくなりましたよ! 本を紹介してくださったお友達に感謝です。開高健記念館前の石に刻まれている文字『入ってきて人生と叫び、出ていって死と叫ぶ』、心に響きました。また来たいです。(T)

カテゴリ:来館者のノートから 2014-01-14

記念館の「11月」(2004-2013)

開高健記念館は2013年4月で開館 10周年を迎えました。開館以来、訪れた方々が書きつづってきたノートから、その月の言葉をふりかえります。今回は、「11月」新編。(お名前はイニシャルで、難読文字は●で表記させて頂きました)

2003.11

◆開館のことを知って伺いたいと思っていましたが、今日、ふっと思いついて、東海道線に乗っていました。「オーパ!」展をやっていて本当にラッキー。開高さんのあのお声がきこえてくるようでした。お庭がとてもステキでした。ツワブキの黄色が目にしみます。「哲学者の小径」をゆっくり歩きながら、また来たいと思っています。(西東京 K・M)

◆本当に、駆け抜けたような人生だったのに、いつも、全身をぶつけて、読者を楽しませ、感じさせてありがとうございます。運営してくれるスタッフにも深甚の感謝を。それにしても無料とは!(横浜 J・S)

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◆私もはるばる大阪からやって来ました。ひたすら嬉しいです。私が開高さんを知ったのは実は訃報、さらに、手に取って読んだのは大学生の時でした。なんてもったいない! 実は大学の先輩だったと知って、これまたミーハーな私は叫んだものでした。(人は何にでも“縁”を感じますよね。)最近嬉しかったこと:10年前わからなかった“夏の闇”。ちょっとわかる(感じる?)ことができました。私も成長したと思いたい……。最近悲しいこと:今を感じた開高さんの文が読めないこと。ほんとに残念でなりません。
また、開高さんの言葉にうもれてみたくなりました。今、“風に訊け ザ・ラスト”文庫版、持ってますよ! ああ、私も『悠々として急げ』。(A・M)

◆もう20年も経つでしょうか。小生も53歳になりました。あなたの“夏の闇”“輝ける闇”の表紙裏に極太の黒マジックでサインしていただきました。大柄な小生にも負けない幅の広い両肩を、今も忘れません。あの時書いて頂いた言葉を胸に歩んでいきます。これからもずっとあの鋭い二つの眼の光を思い出すことでしょう。(T・K)

◆今日は健さんに物理的には最も近づいた日。しかし、25年間ずっと敬愛しつづけた毎日も、とても充実していました。高校生だった頃からの小遣いは単行本やら雑誌やら、古書店から新刊本店までずいぶんと……ひょっとしてグラス一杯くらいは私が提供したのではないでしょうか。『日本三文オペラ』『青い月曜日』そして闇三部作、また、かずかずのルポルタージュ。世界の文豪に肩を並べられた人なのに。主人のいない家に座り、うれしくもあり、さみしくもありです。(香川県観音寺 N・M)

2004.11

◆昔、氏が通っていたスイミングスクールに通っていました。スクールで文庫本を読んでいた紳士はひょっとして。記念館が想像以上に良い環境なのにおどろきました。あの文章はこの静けさの中、明るさの中で生まれたのだなあ、と。

◆20年程前にプレイボーイ誌の「風に訊け」の連載以来、紀行文、闇シリーズへと読みすすみ、今や氏の晩年に近い年齢をなりました。本日は富山からの出張の機会があったので立ち寄らせていただきました。この出張でも列車の中で読むために「もっと広く」を持ってきています。(U)

2005.11

◆昭和29年頃大阪市住吉区山之内町(ここでは杉本町と書いてあるけど)に住んでいた時の開高健とは想像もつかない大きな人物になられておどろいている。妻が長女を、牧羊子さんの妹さんが道子さんをおんぶして杉本町の市場に買物に行っていた事を思い出しました。(大阪 O・K)

◆キングサーモンが開高を表し、鯛が谷崎を表すようです。二人の共通点は多いと思います。(T・F)

2006.11

◆子育てと仕事から解放された貴重な2日間をどう使うか……パッとひらめいたのがここへ来ることでした。「オーパ」を読み、その後ブラジルで5年過ごし、オーパに出てきた魚達と出会えました。日本に帰ってきて、目標を失いつつある自分に足りないのは何だろうと悩み続けてきました。開高健は自分と同じ年齢の時何をやられていたのか、今日知ることができました。決して開高さんのように凄い人生を送れるわけではないでしょうが、自分なりに悠々と急ごうと思いました。

◆念願だった開高健大兄の記念館に来ることが出来ました。どれもこれも見ているだけで体が震えて言葉になりません。意識は稲妻、舌は蝸牛であります。今、テラスでお茶をいただいていますが、ひょっこり大兄が顔を出してくれるような、とても素敵な記念館です。題名は決った、「悠々として急げ」。そんな気分で色々書きたいのですが……大兄に笑われそうなのでこれ以上は書けません。また来ます。バイヤコンディオス。(U・H、S)

2007.11

◆文学が恋しくなる晩秋の一日。開高健(カイコーケン)に逢いたくなってやって来ました。「ずばり東京」の文庫本を携えてきましたが、今、貴方に勝るとも劣らない文章書きは一人もいない……そんな哀しさを抱えています。カイコーケン様。合掌。(A)

◆みよしゆうか おさかながすきです。

2008.11

◆僕のアイドルです! ずっとずっと来たかった。これからも、いつまでも、僕の心の中で、一番のアイドルです。(岐阜 M・T 38歳)

◆ようやく来ました。亡くなられてから20年経ちますが、まだ信じがたく、大兄は何処か釣旅行に出掛けられている様に思えます。釣り、食物、旅、人生、全てにおける師匠です。大きなパネルの大兄の笑顔に会いに又来ます。(C・A)

2009.11

◆80年代にヨーロッパで先生にお会いしてから早や20年以上ごぶさたしてしまいました。今日は久しぶりに先生のお顔(写真)を拝見させていただき感無量です。今は音楽の仕事をさせていただいておりますが、いつも先生のお言葉を心に、精進させていただいております。(K・N)

◆その頃も旅をしていた。「夏の闇」の最初の一声。これ以来、とりこになりました。何十年前でしたか……。(山形 T・S)

2010.11

◆初期の作品の開高さんの大ファンでした。素敵で少々ニヒルな感じがとても素晴らしく、本が出ると直ぐ買い読みました。その後開高さんは身体がだんだん大きく成られ、作品もやたらと“オーパ!”でなんだか凄く面白く成り、楽しい気持ちにさせて呉れるような作家に成られました。ベトナム戦争にゆかれてから……暫く又前に戻られたかのような気がしますが……●前より楽しく元気いっぱい?の作品を書かれ、御自身の体調の変化もお解りになられたのかと思える程、異常に明るい文章に読者として少々……不安に成りました。ご存命なら●●今より明るい世の中にして下さるような気がする素晴らしき方! 開高健さん、有難うございます。(東京 K・T)

2011.11

◆私の父もモノ書きでした。酒好きで、美食家で、釣りとなると仕事を休む……。同じ時代に生き、開高氏より少し早く天国に行きました。お宅の中を拝見すると父と同じ匂いがし、昭和に帰った気がします。

◆開高さんは大学の先ぱいで、大阪・天王寺界わいはよく知っています。私もつりが好きで、開高さんのつりシリーズはつり人の感覚を文字に定着させた金字塔です。つりはヒトの原始的な行為で、アドレナリンが噴出するのですが、それを芸術と呼べることばにしました。小説の文章も圧倒的で、「筆舌につくしがたい、ことばを失うetc.」は負けだと言ったことをまさに高いレベルで実践しました。またこれは私の座右の銘としています。(●・●)

2012.11

◆大震災を受けた仙台市からくる。理由は、知り合いに、「最近太って開高健みたい」と言われて、そういえば若い頃は良く本を読んでいたと、ふと思い出したから。彼と同様に釣りも好きだし、興味の方向も似ていて、ライターやアウトドアの品々を集めて喜んでいるところも同じかな。彼の世界は彼だけのもの、だろうけど、共感するところも多いにあり。ではでは。「悠々として急ぎます」(仙台市 T・K)

◆島地勝彦さんの「乗り移り人生相談」の中で開高さんのお話が出て来ることがあり、どんな方なんだろうと思っていた時に、テレビでの特集を見る事が出来ました。魚を格闘する開高さん、お酒を飲みながら魚の話をする開高さん。その独特な雰囲気に引き込まれてしまいました。「パニック」を読み終えたばかりの若輩ですが、これから珠玉の作品を読み進めようと思います。(静岡県 O・M)

◆妻が開高健賞を授かった縁で訪問しました。当時の雰囲気が濃密に残る書斎、初冬の温かな陽光がふりそそぐ哲学者の小径など、健氏の生前の姿が目に浮かぶようで、とても印象深い一日になりました。私も、小径をひっそりと抜けて書斎で氏とと楽しいお酒が飲みたかった。未読の著作がたくさんあることが、なんだか楽しみになりました。(横浜市 W・T)

2013.11

◆こうして記念館として開放していただけることに感謝。私が若い頃(中学生から)最も影響を受けた小説家です。私のDNAにはしっかりとその言葉、生きざまが流れていることを思いおこさせます。親切にしていただきありがとうございました。(T)

◆「男が夢中になれるものは遊びと危機だけだ。」深い言葉です。女が夢中になれるものは何でしょう? 楽しめました。ありがとうございました。(K)

◆本当に本当にやっと来れました! 卒論で開高氏の『輝ける闇』を研究したいと思い、今ここにいます。1968年に興味を持ち結果として開高氏にたどりつきました。今まで、ヴェトナム戦争のことを何も知らなかった私が初めてしっかりヴェトナム戦争について考える機会を与えてくださったのが開高氏の作品で本当によかったと思います。いい卒論がかけるように頑張ります!(I)

カテゴリ:来館者のノートから 2013-12-15

記念館の「10月」(2003-2013)

開高健記念館は2013年4月で開館 10周年を迎えました。開館以来、訪れた方々が書きつづってきたノートから、その月の言葉をふりかえります。今回は、「10月」新編。(お名前はイニシャルで、難読文字は●で表記させて頂きました)

2003.10

◆足跡を訪ねようとしました。ただ、アマゾン、アラスカ、モンゴルは遠すぎますナ。

◆釣りの紀行文を書く方はたくさんいらっしゃる。しかし、私は開高健の釣魚エッセイを読んで以来、他の釣魚エッセイが読めなくなってしまった。初めて読んだのが20歳頃、今現在46歳。すると26年間、「私の釣魚大全」「フィッシュ・オン」「オーパ」「オーパ、オーパ」「もっと遠く・広く」のみをくりかえし読んでいることになってしまっている。(茅ヶ崎 釣り人 Y・K)

◆Festina lente 10年ぶりにこの言葉に再会しました。どなたがいつこの言葉を口にしたのか、ずーっと喉につかえ、胸につかえていたのですが、今日ここでやっとそのつかえがとれました。良き、記念すべき一日でした。私も遅ればせながら、その実行にチャレンジしていきたいと思う。(H)

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◆とても興味深い物がたくさんありました。開高健さんのいろんなことがわかりました。これを学校に戻ったらまとめて、発表したいと思います。ここには初めて来たし、開高健という名前もどんな人なのかも全々分かりませんでしたが、ここに来ていろいろなことを学びとても楽しかったです。(中学校1年 T、N、M)

◆大阪に生まれ、藤沢に住んでいます。裸の王様以来のファンで、釣りのファンでもあります。昼寝をしながら、突然思いついてやって来ました。色々と感じるものが多く、心地よい一日となりました。きっとまた来ます。(Y・T)

2004.10

◆小学生の頃、父の本棚に並んでいた「オーパ!」を見て以来、開高さんの小説と御本人のトリコになりました。30歳にしてついに御自宅に伺うことができ、感動です。写真集やエッセイに登場したモノたちを生で見ることができるとは……。今は栃木に住んでいるので、ちと遠いですが、是非また来たいです。(Y・M)

◆開高先生が入院なさっていた頃、夫が同じ病院でしたのでよくエレベーターの中でご一緒したことや、おじょう様がリュックを背によくお見舞いにいらした時など、お会いしたことを今なつかしく思い出しています。そう、茅ヶ崎の駅だったか、横浜の駅だったか忘れましたが、一度お声をかけた時のあの笑顔が忘れられません。初秋のお宅、記念館でしましの時を、過ごさせていただいています。(N・K)

◆昔、父の本を読んだ折、開高さんのお料理についてのコメント「ちゅうちゅうちゃん(ネズミ)がスープに浮かんでいる」に衝撃を受け、ファンになりました。年をとってきてみて、開高さんの深い苦しみ、悲しみというものを少しは理解できるようになってきたように思います。数年前、鎌倉旅行の折、思いがけず開高さんのお墓に参ることができ、又、本日この記念館に足をはこぶことができて大変感慨深いものを感じます。一度でいいからお話ししたかったです。本日は、本当にありがとうございました。(高槻 A・T)

◆誕生日のプレゼントに妻が連れてきてくれました。何よりのプレゼントでした。(M・T)

2005.10

◆小学生の頃、ぼろぼろになるまで「オーパ!」ながめてました。久しぶりに、とことん釣りにのめり込みたいなぁ。静かなこの記念館の中には、まだ30そこそこの私には受け止めきれないメッセージがつまっているような気がしました。もう少し年をとった時、また来てみたい。今日ここに来たことで、自分自身を見つめる良い機会となりました。(北海道 T・S)

◆先生の出身地、大阪から来ました。先生は今でも私の心の師匠です。一生、先生の著書を愛読して行きたいと思います。最後はジュピターでも流してもらおうかと妻に相談します。数々の感動、ありがとうございました。(O・T)
結婚25周年記念に来館でき、良かったです。(O・M)

2006.10

◆台風の影響のはげしい嵐の中を思い切って来ました。開高健先生の言葉に感動した人もいっしょです。開高健といえばウイスキー、と一人思っていました。ワインのコレクションにはおどろき……自分もワイン(赤)にもきょうみがあります。書斎は一番感動し、先生のすがたがみえました。

◆大学時代に恩師から勧められて以来、ずっと開高先生のファンです。留学を経験しましたが、異国で日本語が恋しい時、かならずそばには開高先生の著書がありました。帰国してようやく先生のお宅に来ることができました。また遊びに来ます!(S)

2007.10
◆学生時代、ベトナム戦争でした。その激しさをあらためて思い出しました。戦争と日本を深く考えられた先人として心にきざまねばと思います。平和な世の中がきずけますように……。(T・K)

◆全てにおいて現場主義が重要だということを改めて認識しました。(S・I)

2008.10

◆ようやくここに来ることが出来ました。改めて、様々なことを思い出します。私も知らぬ間に40代半ば……。あなたのように年輪を重ねていきたいと思うこの頃です。(T・T)

◆夏の闇を書いた貴兄と同じ齢にとなりました。(E・K)

2009.10

◆今まであまり開高さんのことを知りませんでした。今度、開高さんの本を読んでみたい……!と思いました。(K・A)

海をサイクリングして、ぶらりと立ち寄りました。ゆうゆうとして急げ。漂えど沈まず。開高健さんの好きな言葉です。書斎で、今でもふっと執筆されているような、自然な館ですね。(茅ヶ崎 リタイヤして)

2010.10

◆「死にがい」を求めてカルカッタで暮らしていた1983年のある日、街の本屋で日本人旅行者が置いていった夏の闇を買い、そこにある死の描写が私の日々接していた「死を待つ人の家」(マザーテレサが運営していた死にゆく人々への奉仕の場)の人たちの死とそっくりなので、思わず引きずりこまれて読んだ。開高さんとの最初の出会いでした。日本に戻り、次々と開高さんの本、写真集を買いあさりました。釣りとパイプを今でもやっている私にとって、開高さんの世界観+オレと同じ趣味=サイコーの知り合い、という図式で、我心の中にどっかりと存在されてます。やっと夢がかない、今月おじゃましました。(A・M)

◆開高作品は世界がくっきりしているところが好きです。しみるようにほっとします。「夏の闇」は何度も読みたくなる本です。分からないことがたくさんあるのに、ひきこまれます。開高さんの広く深い世界をこれからも楽しみたいです。(I・N)

2011.10

◆福岡からやっと来れました。若過ぎます。天国に行くのは。あなたはベトナムで一度命を失くしたからあとは余りと言うかも知れませんが、もっと言葉を残してほしかったです。
(S・Y)

◆きょう茅ヶ崎に向かう東海道線の車中で梶井基次郎集を読んでおりまして、ふと閃光が走った箇所がありました。彼の短編小説「路上」の大団円の部分です。“帰って鞄を開けて見たら、どこから入ったのか、入りそうにも思えない泥の固りが一つ入っていて、本を汚していた”がそれです。……開高氏の白眉の一篇『玉、砕ける』のエンディングに相通じるものがあります。梶井文学に触発されつつ、それを繁茂させ深化していった開高氏の面目躍如といったところでしょう。(国分寺 K・M)

2012.10

◆初めて参りました。知人の葬儀のためこれから駅に戻って斎場へ。故人の好きな言葉「悠々として急げ」何ともこの言葉に尽きます。(I・K)

◆この記念館に開高さんが住まわれていたのだと思うと、感慨深いものがあります。関西より来館しましたが、また機会あれば、なくとも、必ず立ち寄りたいと思います。(A・N)

◆前から知っていましたが、やっと訪ねる事が出来ました。私が、開高先生の話の中でもっとも好きな話は、海外に住むビンボー学生に処方せんと言って封筒を渡し、部屋へ戻ってから開けるのだよと言って手渡した中身がお金だったという話です。その理由も感動的な事由でした。「男」という言葉が似合う方でした。(岐阜県 M・T)

◆いつか来ようと思っていて、やっと来ました。つらくなると今でも読み返すのが、開高健作品。もう48歳になる私の、いまだにフェイバリット作家でありつづけています。ファンだから、と言われてしまえば、そうなのかもしれませんが、他の作家とはモノが違う、と思わされます。一行でも読めば。今日は元気をもらいました。感無量。また読もう。(三鷹市 N・T)

◆初めて開高先生の本を読んだのは「オーパ!」だったでしょうか。それを入口に「パニック」「裸の王様」……20代からずっと愛読しております。今回、意を決して(?)ここ記念館に来ました。自分の思索を振り帰る良い一日になりました。また、先生の本を愛読します。(開高作品は何度読んでも飽きないです)。ありがとうございました。(S・M)

2013.10

◆『裸の王様』を読んで以来、その文体のきびきびとした表現の在り方に感動しました。後輩に「文章を書くなら、この文体に習うと良い」と勧めた程です。こちらに伺いたいと考えてから十数年がたっているでしょうか。今日やっと訪れることが出来、良かったです。最近、ちょっとしたエッセイを書けと言われ、書きました。読み直すとなんともつまらない文章で落ち込んでいました。文章、いや言葉の磨きが不足と自覚、ここを訪ねたのを契機に精進いたします。「空耳か 風のささやき 開高健」(K)

◆開高さん、こんにちは! 始めて来ました。気まぐれで電車に乗り、Chigasakiでおりて市民球場へ行こうと思っていたのですが、ふと見ると、開高記念館の文字が! あっ!前から来たかったんだ! 何かを?何かは?教えてくれたんですね! ありがとうございます!開高さんのおかげで色々な事を考えましたよ! これからも元気で、楽しみながら苦しみながら生きていきます。(K・M)

◆最も敬愛する作家である開高さんのすまいを初めて訪れ、感激しています。様々な思いがあふれてきます。とくにベトナムは、1973年以来何度か訪問し、サイゴンでマジェスティックホテルの屋上のバーで一杯やりながら開高さんの作品のことを考えていました。小生にとっては開高さんは片思いの人でありましたが、次第に深く、強く引きつけられています。(K・S)

カテゴリ:来館者のノートから 2013-11-09

記念館の「9月」(2003-2013)

開高健記念館は2013年4月で開館 10周年を迎えました。開館以来、訪れた方々が書きつづってきたノートから、その月の言葉をふりかえります。今回は、「9月」新編。(お名前はイニシャルで、難読文字は●で表記させて頂きました)

2003.9

◆読書会で「日本三文オペラ」「フィッシュ・オン」を読みました。現場主義といいますか、ご自分の体験を通して書いておられ、圧倒されました。“主人のいない書斎“では涙が出そうになりました。開放して頂いてありがとうございました。思い切って来てよかったです。ついでに、私も胆石に悩まされて手術するかもしれません。開高さんと同じ悩みがあったなんて、クスッと笑えます。(静岡 M)

◆今でも週に一度は開高さんの作品を読み返し、改めてうならされています。開高さんが旅立たれる直前に三田の済生会病院で開高さんの為に血液を提供した時の事を思い出しました。私の血液が開高さんのお役に立てたかは判りませんが、私にとっては他のどの作家とも違う、特別な存在であり続けていくと思います。又、近いうちに寄らせてもらいます。(Y・T)

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◆もうすぐで北海道に帰ります。こっちを離れる前にここに来られてヨカッタ。さて、戻ったら釣りでもしますか。そして、温かい北海しまえびやカジカのキモ入り味噌汁でも飲みますか。(H・I)

◆昔、勤務していた会社が赤坂でインド料理屋をやっておりました。ある日、今日は「カイコウ」さんという有名な作家の方が見えると同僚のインド人が申すもので、あろ開高さんが、まさかうちの店に見えるなんて……。「オーパ」のアラスカ編を買って店の担当者にお願いしてサインを頂きました。私はお店で開高さんの後姿だけを拝する事ができました。
ある時期に多くの作品を読ませて頂き、特に「夏の闇」は5回読みましたが、何度読んでもどこか気のつかなかった2~3行が、2回め、3回めと表れてきました。本日、ここで生原稿を拝見させて頂き本当に感激です。
オーパのサイン本は何もない平凡な私の人生の最大の宝物です。又、本日、ここにうかがえて本当によかったと思います。(O)

2004.9

◆この記念館が出来た事を新聞で知り、本日やっと来館する時間が出来、開高さんのファンとしてとてもうれしく思います。私と同じリール(アブのアンバサダー7000)を使われていたなんて、とても感激しました。ただ、開高さんがヘビースモーカーだった事はちょっと(とても?)残念で、もし吸っていなければ、今でもお会い出来てルアー釣りの事も教えていただけたのかも……。(A)

◆山梨から来ました。山梨にもたくさんの川と湖があり、魚も豊富です。開高さんに少しでも近づけるよう釣り道と人生の歩みに磨きをかけていきたいと思います。また来ますね。(S・T)

2005.9

◆選挙に投票してから横須賀から自転車に乗ってやって来ました。開高さんの本を読んだのは、水産高校漁業科時代に図書館にあった「オーパ!」の大型の写真集がきっかけでした。趣味と実益の両立を実現した開高さんは、「男の星座」のような人だと思います。日本の政治家は、選挙前には靖国神社よりも、この開高健記念館と、同じく茅ヶ崎市内にある大岡越前の墓所に顔を出すべきではないかと選挙の日に改めて実感します。……(S・S)

◆好きな女と一緒にやって来ました。(N・A)

2006.9

◆眼の前に哲学者の小径、片手に麦茶(ワインとはいいません)。開高さんに会ったことはもちろんありませんが、冒険家、ワインのことも書く食通。部屋には野生がいきづいています。そして、ワインのコレクション(これも1つの目的でした)。最後に書斎。仕事場。やはり物を書かれた方だったと思いました。(N・M)

◆いろいろな胸の痛みを抱えながらやって来ました。沢山のことを抱えすぎていた自分に“悠々として急げ”は実現しそうにない格言かもしれませんが……でも心に響く言葉でした。ありがとう、また来ます。家族四人で……!(郡山 K)

◆はじめて来ました。開高さんを改めて好きになりました。女版開高さんを目指します!!(M・M)

2007.9

◆家族を連れて記念館に来た(嫁、子3人 娘8歳、息子6歳、11カ月)。開高健ときいてオーパしか知らない世代で、芥川賞も読んだことがなければベトナム戦記は幼すぎて理解できなかった。釣りの好きな、酒の似合う作家というイメージしかなく、笑顔が父にそっくりということが、また記憶に残っている。今回、ゆっくりみて彼の足跡の一部をみた。本は読むしかない。ただ、男としての生き方には共感するものがある。男として……大切なことだ。(41歳 男)

◆念願であった来館。開高先生の声を生まれて初めて聞きました。あのようなお声をなさっておられるのですな。若いので、聞いたことがないのです。感激。(21歳 O・J)

◆開高さんの『輝ける闇』がきっかけで自分の生き方の方向が決まりました。ここへ来れて、ただただ感激です。このような文学者が日本に存在した事を誇りに思います。(K・I)

◆開高さんは、僕がこうなりたいと思う唯一の人間です。(T・R)

2008.9

◆心の危機を知っている人間は魅力的です。ピアノ線。合掌。(T・M)

◆娘が茅ヶ崎に(下宿)住むようになり、以前から主人が大好きな開高健さんの記念館にぜひ伺いたいと思っておりました。今日初めて来館でき、とても喜んでおります。ほとんどの本は我家にありますが、講演集を今日は購入したいと思います。……(S・S)

◆仕事を一時休業中。金曜日にここに来れたことを幸いとしたい。仕事をしていた時は、とても来れそうにはなかった。もっと書いて欲しかった。もっと読みたかった。もっと同時代を生きて欲しかった。(O・K)

2009.9

◆父の影響で開高さんの作品を読むようになりました。また、詩人の長谷川龍生先生と開高さんが同じ小学校に通っていたというので、現在長谷川先生のもとで詩の勉強をしているわたくしは、開高さんが身近にかんじられます。また来ます。ありがとうございました。

◆開高健様 私はずい分自分勝手な読者で、全作品を読んでいるわけではありません。せいぜい20冊程度。しかし、貴方の生き方にロマンを感じるのです。世界中を旅し、釣りし、飲み……ひるがえって、わが身は……妻子と会社にしばられ46年も過ごしてしまいました……。海の近く、緑多く、鳥のさえずりがきこえる、いい所ですね。自分もいつか、このような、居場所を欲しく思いました。(I・T)

2010.9

◆開高健さんの本に夢中になったのはいつの頃か定かな記憶にはないが、釣り好きの私は、釣りの本から他の本に興味・関心を移していったのは正解かな? 翻弄されつつ心地よい思いに浸ったのが不思議でさえあった。開高さんが吸っていた空気にふれて、今、静かに感動、感激中です!

2011.9

◆何か文字を書こうとペンを持ったが、やめた……。息子に「健」の字をつけさせてもらいました。聖地か……息子がいつもと違う。嬉しい!(フーサ)

◆お名前は知っていましたが、読んだことはなく、たまたま近所に来たので立ちよってみましたが……一言一言の嘘の無さ、味わい深さに感動しました。あと、ユーモアも。危険とユーモアを持ち合わせていらっしゃる開高さんのお人柄に強く興味を持ちました。さっそく本を入手して読むつもりです。来てよかったです!(O・M)

◆前から来たいと思っていた家にやっと来ることができました。開高健の文体にも作品にも、大きな影響を受けた一人です。(N・Y)

◆あなたと出会って、人生が変わりました。漂えど沈まない人生を目指します。(F・M)

2012.9

◆高校時代に開高氏のことを知り、大学に入ってから読書にふけり、昨年、初めて開高氏の小説を読む。そして今年に入り2つの「闇」を読み、感銘を受けた。どんな人なのか、記念館に行きたくなり、とてもユーモアに富んで、人間らしい生き方をし、すごい格好いい人だな、と感じ、憧れが強くなった。自分も、いつか「人生」を楽しむような人間になりたい。そして、あらゆる危機に直面しても、それを乗越えられるような旅をしていきたい。(T・K)

◆開高さんの記念館へ来ることができ、また、ベトナム従軍のヘルメットなど、見ることができて、感激しています! 豪放にみえて繊細な部分が住居からもうかがえます。手放してしまった本を、もう一度あつめて再読したくなりました。(A・Y)

◆“オッパ”取材中にマナウスでお会いしたのが懐かしいです。(N・Y)

◆もう何回来たか分かりませんが、いつ来ても心が落ち着きます。開高先生、また来ます。(●・●)

2013.9

◆北から降りてくる列車は花の匂いがする。今年も来ました。いつもよりちょっと早めに降りて来ました。また年末命日に伺います。(O・K)

◆大兄の書をたづさえて先日、ベトナム・サイゴンに行ってまいりました。日章旗こそ持って行きませんでしたが、心にはいつも“私は日本人の旅行者です。助けてチョーダイ”とベトナム語で焼きつけて街をうろついてきました。無事帰ってきましたのでご挨拶に立ち寄った次第です。きっとまたサイゴンへ行きます。そしてまたココへやってきます。(T・T)

カテゴリ:来館者のノートから 2013-10-30

「多面作家・開高健と茅ヶ崎」講演のお知らせ

茅ヶ崎市の開高健記念館最寄りのコミュニティセンターで講演会が催されます。

【演題 】:「多面作家・開高健と茅ヶ崎」

【講師】 :永山義高・開高健記念会会長

【日時】:2013年11月4日(月・振替休日)午後1時半~3時半

【場所】:茅ヶ崎市海岸地区コミュニティセンター

住所:神奈川県茅ヶ崎市東海岸北5-16-20

電話:0467-82-6618

茅ヶ崎駅南口より平和町経由辻堂行きのバスに乗車、東海岸北五丁目バス停下車すぐ

カテゴリ:イベント 2013-10-27

今月のギャラリートークは10月27日(日)午後1時半~、午後3時~に開かれます

茅ヶ崎の開高健記念館で、記念会のメンバーが館内のご案内をする催し「ギャラリートークの日」。館内に展示された開高健の資料、愛蔵した品々 などをご案内しながら、それぞれの開高健を語ります。

2013年10月は:

【日時】 2013年10月27日(日)午後1時半~、午後3時~(各回30分程度を予定)

【案内人】 冨澤祥郎(開高健記念会理事)

【略歴】1958年生まれ。新潮社出版部勤務。入社早々、開高健の自伝的連載小説『耳の物語』の原稿を受け取りに、毎月茅ヶ崎に通う。

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カテゴリ:イベント 2013-10-22
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