開高健記念会

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【開高健・この一節 『青い月曜日』①~⑤】──記念会公式facebookから

【開高健・この一節 ①】はじめに

『青い月曜日』は開高が30歳台ではじめて挑戦した半自伝的小説。中学生の戦時体験から、年上のおんなと同棲して娘が生まれるまでの、まだ何者でもない書き手・語り手がバイト生活に奮闘する「青春小説」。5回にわたって開高の文章をじかに紹介します。

以下は、気がつけばいじめる側にまわってしまった中学生のときの描写。

「私は卑劣な、うかつに口をきかない、敏感な、いやらしい奴だ。にぶい歯痛のようにそれは意識された。けれど、どうやら、そのような私はどこにも存在していないようであった。誰も私を怪しまず、疑わず、訝(いぶか)しまず、にこにこと笑ってたわごとをはなしかけてくるようである。何か気のきいたたわごとを答えて私はすりぬける。今日、私は、生まれてはじめて他人の頬をうった。ほんとに、生まれてはじめて、他人の薄い、やわらかい、しっとりと生温かい頬をうった。何事かが私にも起ったはずである。けれど私にはわからない。何が起ったのかわからない。何もわからない。」(『青い月曜日』より/集英社文庫版が11月20日に発売)

 

【開高健・この一節 】ハッタリ英会話教師

手を出した数々のバイトのなかで青年開高の面目躍如なのは、さっき先輩講師から仕入れた知識をいま吐きだす、ハッタリまみれの英会話講師バイト。

「氏(注・元商社マンらしい先輩講師)は瞠目(どうもく)すべき発音をおこない、何度も何度も生徒にアイライラレラ、アイライラレラ……と大合唱させて、一時間を終わるのであった。

私はベニヤのこちらでそれをよく聞いておいて、自分の時間になると、おろおろするこころをおさえて、ゆるゆる教室へでていき、『哀愁』ではヴィヴィアン・リーがウォータールー橋で別れぎわにどうささやいたか、とか『風とともに去りぬ』でクラーク・ゲーブルはキメ手にどういったとか、映画館へ二、三日前にでかけてその場面だけに耳を澄まして聞きこんだ英語を二、三、話す。それから黒板に、“I write a letter”と書く。そして、みんな進駐軍のアメリカ兵が教科書や辞書にあるとおりの英語を喋ってくれないといって怒っているけれど、それは無理な話なので、“オニオン”が“アニァン”、“スパゲッティ”が“スパゲリ”、オリーヴ“が”ァリヴ“になっても、どうしようもない。……たとえば手紙を書く。これは字にすると、”アイ・ライト・ア・レター“ですよ。けれどね、アメリカ人はけっしてそうはいいませんね。どうなるか、”アイライラレラ“ですよ。」(開高健『青い月曜日』より)

 

【開高健・この一節 ③】中学生、酒を飲む

のちに洋酒会社の名コピーライターになる開高健の、酒とのながい物語の第一歩。戦後すぐの大阪の闇市のただなかへ、はじめて自分で稼いだ金をもった中学生がひとりで出かける、この一節。

「『ウイスキー』

おかみさんは一升瓶からコハク色の液をドキッ、ドキッと注ぎ、いっぱいになっても、なお一息、二息、ドキッと注いでくれた。

『……あれ、おくれ』

となりの男の血まみれの臓腑を顎でしゃくってみせ、私はわざとものうげにつぶやいた。わくわくしているのを顔にだすまいと苦しんだ。おかみさんは黙って血まみれの臓腑をだしてくれた。皿に入れず、新聞紙にべたりとのせてだしてくれた。そしてとなりの男のトウガラシの皿をとって私のまえにおいてくれることまでした。合格した。満点だ。やっと合格した。誰ひとりいぶかしむものがない。私は“一人前”になったらしい。わくわくしながら私はくちびるをとがらしてコップに近づけた。」(『青い月曜日』より)

 

【開高健・この一節 ④】焦燥

高校生になった「私」はつよく「高校なんかどうでもいい」と思っているのだった。しかし入学してみると、あらためてまわりに違和感をおぼえずにはいられなかった。

「彼ら(注・同級生たち)は目的物をめざして道を歩いているようであった。教授の悪口をいいながらも鐘が鳴るとさっさと教室へ消えた。グラウンドにうずくまったままでいるのは私だけだった。いまのいままで死に至る病といか、存在が先か意識が先かとか、日本資本主義はあと一年で潰れるとか、羊の群れの画一主義だとか、口をきわめて嘲罵していたのが、校舎のなかでカラン、カランと藁のような老小使が鐘をふっていくと、いっせいに草むらから体を起して消えてしまうのだ。革命家、実存家、ニヒリスト、誰のノートもきれいに書きこまれ、まるで銀行の帳簿のようである。精緻に消費された力の気配に私はたちまち圧倒されてしまうのだ。拒みきれない何かがその浪費にはあるようなのだ。」(開高健『青い月曜日』より)

 

【開高健・この一節 】初体験

パン焼きのバイトをはじめた「私」。食べ物不足の時代、このバイトは家族のためのパンも得られ、パン焼き窯のそばは暖かな読書の場にもなった。パン屋のわかい未亡人との“交歓”の描写は開高流の肉感にあふれ、初体験のおののきとともに独特の手ざわりがある。

「小動物は大きく口をあけて食いついた。しゃぶり、たわむれ、しごいた。野卑に身ぶるいし、優雅に佇み、また臆病に去ったかと思うと果敢なはじしらずさで肉薄した。衝撃にたじろいだ瞬間、背骨をゆるがして純潔が噴出した。何事も知ることなく私は敗れた。恍惚とはずかしさで全身に汗が噴いてきた。はずかしさが大きく、暗く、おちかかってきた。私は眼をまじまじと瞠り、腕をおとした。毛深い小動物は濡れしとって口を大きくひらいて、おびえる子供を追おうとした。くわえこみ、ふるいたたせようとして、手ものびてきて、さぐりまわった。」(『青い月曜日』より)

カテゴリ:Facebookから ニュース 2018-11-04