開高健記念会

来館者のノートから

このNEWSページでは、開高健記念会の活動の現況を中心に、開高健関連のさまざまな情報もお知らせしていきます。

記念館の「4月」(2004-2014)

開高健記念館はことし開館 12年目に入りました。開館以来、訪れた方々が書きつづってきたノートから、その月の言葉をふりかえります。今回は、「4月」新編。(お名前はイニシャルで、難読文字は●で表記させて頂きました)

 2004.4

◆水泳教室での大きな写真が子供心にもとても印象的でした。名前は知っていましたが、水泳教室に通っている頃は小学生であり、開高さんは釣りの名人だと思っていました。……茅ヶ崎自体、独特のゆるゆる穏やかな茅ヶ崎時間が流れていますが、その中でもこの場所はさらにまたちがった時の流れを感じました。とても居心地の良い所で、ずーっと居たく、何度も深呼吸したくなる場所でした。ありがとうございました。またあそびに来させてください。(N)

◆藤沢に移り住んで丁度1年、やっと来ました。‘30年生まれの同年生です。「裸の王様」で芥川賞受賞で当時はげまされました。当時のやせた写真の方が好きです。随筆の方が好きです。今日は楽しかった。鵠沼海岸から妻と二人で歩いてきました。(D・K、N)

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2005.4

◆開高大兄のオーパに多大な影響を受け、大学は北海道大学水産学部を選び、在学中はイトウ釣りにあけくれていました。最近、釣りをしなくなってしまいましたが、書斎のキングを見て、自分が大兄の歳になったら行こうと決めていたアラスカに行きたくてしかたなくなりました。(N・T)

◆初めて来ました。吉祥寺からコトコト電車に乗って2時間。来て良かった。明日からまたがんばろうという気になった。(K・A)

◆中学校の学級文庫にあった担任の先生の私物の文庫を読み、興味を持った者です(ちなみに、その担任の先生の「フィッシュ・オン」は借りっぱなしで今もウチにあります。清水先生スミマセン)。記念館には一度行ってみたかったのですが、場所がわからず、「行くことはないだろう」と思っていたのです。最近出た雑誌の「サライ」の特集に場所が出ていたのでこれ幸いと思い、今日来館いたしました。ありがとうございました。(松戸 N・M)

2006.4

◆名古屋からバイクに乗って来ました。風が冷たく強く、地震まであって難儀をしましたが、着いた時にはとても良い天気になっていました。昨日で会社を辞め、来月中に樹林医の勉強のために家を出ます。その前に開高さんに会っておこうと思っていました。文でもビデオでも言われていましたが、「ナースログ」の話が好きです。「リンゴの木を植える」の絵葉書を買って帰ります。(M)

2007.4

◆北海道から来ました。茅ヶ崎は初めてです。開高健の文学で卒論を書きます。素晴らしい環境の中で活動されていたのだと実感しました。(O・S)

◆朝の7時25分に記念館にやってきました。当然のごとく、記念館はまだ開いていませんでしたので、海へ出てみたり、近所を散歩してみたり、鳥たちがたくさんやってくる公園のベンチに横になったりしては、開高さんも見て来ただろうと思われる風景に思いをはせていました。また、記念館を訪れることができたらいいなと思っています。午後からの高橋昇さんの講演会が愉しみです。(吹田 A)

2008.4

◆『ずばり東京』文庫本を読んでから、どうしても開高健記念館を訪ねたかった。NPO法人で運営され、月1回「紅茶会」を開かれているのを知り、市民、読者(ファン)にとって一番良い形であり、私の町にもあったらいいな、と思いました。雑木林が又、味わい深かったです。(鎌倉 F)

◆ビデオが分かりやすく、又展示品の数々、誠に氏の人生の輝きをいただきました。真面目にかつ奔放に生きた生涯の“強烈な印象”を心に刻みました。「悠々として急げ」という氏の言葉、わが人生を重ね合わせて、いたく気に入りました。保存会の皆さま、ありがとう。(大学同期卒業生7人と共に S・M 73歳)

◆あんなに激しい文章もこんなに静かな場所で生まれたかと思うと、なんだか不思議な気がします。いい場所ですね。(I・T)

2009.4

◆小学校か中学校かの頃にTVで開高さんの特集を観た時から憧れの存在です。どの本を読んでも、開高さんの言葉は心とろかすウイスキーのように私の中にしみわたってきます。そんな開高さんの“戦場”に来ることが出来、幸せです。ここであの哄笑が響いていたのか……。(早稲田大学2年 ●・K)

2010.4

◆長年の念願が叶い、初めてお訪ねしました。かつて、井原西鶴をめぐり、早大の暉峻康隆先生と対談していただきました。九段上の阿家での一刻は笑いの絶えない楽しいものでした。いっぺんで暉峻先生は開高ファンとなられたようでした。開高さんは西鶴に通ずる浪速男の知恵とサービス精神がぎっしり詰まっていました。懐かしい。(S・T)

◆先生のベトナム戦争に関するルポルタージュは、若い頃読んで、小説家としてより、ルポライターとして非常に有能な作家だと思い、今に到っておりました。今後も読ませていただきたく思います。(U・Y)

2011.4

◆思い出しました。「開高健?」→「書いた?書けん!」長く新刊を待っている間にこんなフレーズが本の中にあったことが。久しぶりに「闇シリーズ」を読み返したくなりました。(M・T)

2012.4

◆自分の心の中で絶え間なく輝き続ける「核」
それを見つけたくて、確立したくて、揺ぎ無い物としたくて、ここに来ました。
私は歩くのが遅過ぎた様です。歩幅を広げて、悠々と歩き続けます。

◆ようやく訪問が実現しました! 開高健さんとは昭和30年4月以来の馴染みですが(同期入社)それ以降の出逢い、交わした言葉が、ここに来てよみがえって来ました。帰宅したら、又、本棚の中から何冊かの著書を読み直したいと思います。いづれ、あっちで再会しよう!! (S・T 79歳)

◆福岡から念願かなっての訪問です。20代の頃夢中で読んだものです。冴えわたった文章にただただひかれたものです。これを期に、又、読み返してみたいと思います。(T・R)

2013.4

◆DVDで開高さんが戦地から脱出したときの気持ちは口では言えないかもしれないけど、心が心に話している感じがしてかんどうしました。(小6 F・I)

◆数年ぶりに来た。裏の雑木林はすっかり無くなってしまった。昭和50年(1975年)頃の、いわゆる湘南砂丘の雑木林は、茅ヶ崎市内ではもう見ることができないのか。しかも海岸はダムと漁港のせいですっかり削り取られた。今、波乗りの主力は辻堂に移っている。もし、“湘南砂丘”の頃の砂浜を見たければ、134号線の汐見台交差点(地元では“チサン”と言う)から東側のサイクリングロードを歩く事を提案します。(K・K)

◆久しぶりに聖地に来ました。開高さんがかわいがられたネコにもあえてよかったです。男は、危機と遊びを通して一人前になるといった言葉に「はっと」しました。遊び心をいつまでも忘れずに、リスクをおそれずに、チャレンジしていこうと思います。(M)

◆初めて開高健氏に会ったのは、21才、白いページ、その次はフィッシュ・オンでした。それからもう35年が過ぎています。やっとこの地に来ることができました。(長崎 Y・N)

2014.4

◆My first visit and it brings back memories of the trips in Alaska from “Flag Stop” to Halibut and St. George.
An enjoyable person to work with and wish that Kaiko continues to Fish On and On!!

Never forgotten
Often Missed
“Old Fox” Tom Rueter

◆生きて、生きて、行きて、行く       (半澤 67歳)

◆オーパを若い時に読み、途中で止めることが出来なかった。グイグイひかれていって一気に読み切った。現場体験をした人の言葉には迫力がある。高齢者になっても好奇心を失わず、常に現場体験を! 生きる力になることがよく理解できたひとときだった。(A・H 76歳)

◆雲の切れ間からさし込む日ざしを何というか? 「天使のハシゴ」? グッドネーミングは開高先生の「レンブラント光線」、最高です。このネーミングを知ったとき、開高先生の読者でいて良かったと痛感しました。今年も釣りに行きます。

◆先生に恋した中学生の女の子は、今、四十肩で手があがりません。理想の男性は相変わらず先生です。若い頃は先生の恋人になりたかったけど、今は男性に生まれ変わって、先生の親友になりたいです。初恋が開高健というのは、女としては少々生き辛かったです。先生にもう少し生きていて欲しかったな。

カテゴリ:来館者のノートから 2014-05-01