開高健記念会

開高健記念会ニュース

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第57回紅茶会 講師は豊田健次氏

文芸編集者として30余年。多くの作家・文人たちと交流を持ってこられた元文藝春秋社の豊田健次(開高健さんらによる愛称は“豊健”)さんを講師に迎えて、8月26日(日)開高健記念館で行われました。

自己紹介を兼ねて略歴にそって申し上げると、昭和34年に早稲田の文科を卒業し、文藝春秋に入った。週刊文春の創刊にあたり、すぐ出版局に配属され、村松剛さんや佐伯彰一さんと酒場へ行ったおりに開高さんと知り合った。開高健体験はそれに遡る昭和32年、「文学界」に載った芥川賞受賞作を学生の間で回し読みしたとき。大江健三郎さんの作品も同時掲載で、新しい文学の時代の到来を感じた。しかし、開高さんの作品には生意気ながら予定調和的なものを感じ、個人的には大江さんのほうを評価した。

受賞第一作「なまけもの」はショックだった。受賞もむベなるかな、という感想を持った。それから遡って「パニック」を読み、感動、賛嘆。当時流行の「組織と文学」とは違う、生き生きとした、新しい人間観察があると思った。

時々さっそうと文春に現れては、当時出版局長だった池島信平とノンフィクション論を展開していたが、小説誌の編集者としては、「文学界」にも書いてくださいよ、と言いたかったのを覚えている。

「青い月曜日」の連載を、中断のあとから担当した。各回を、自分から大日本印刷の出張校正室にカンヅメになって書き上げていたのを思い出す。昭和46年「文学界」へ移り、「ロマネ・コンティ・1935」をいただいた。昭和49年「オール読物」へ。昭和51年「文学界」編集長になった。丸谷才一さんのプランで始めた対談時評は、開高さんが 第1回だった。また、「日本でいちばん尊敬する作家。『山月記』ではなく『わが西遊記』」と、中島敦というマイナーポエットを梶井基次郎とともに評価していた。

安岡章太郎さんによると「なんでも知ってる開高」、吉行淳之介さんによると「ヘンなやっちゃ」が開高健評だった。安岡、開高はシャンソンの達人だったが、開高さんは歌詞の2番、3番まで知っていた。耳のいい方ではないか。昭和42年か43年、野坂昭如さん登場で、「文学界」で「われら焼跡闇市派」という対談をやった。これは私の命名だが、焼跡闇市派という言葉が一人歩きした。

茅ヶ崎の家(現在の開高健記念館)で編集者を集めて、ハモ尽しで白ワインを飲んだ。ここへ来ると、あの時のハモの梅肉あえの味を思い出す、と結ばれました。

カテゴリ:紅茶会 2007-09-25