開高健記念会

開高健記念会ニュース

このNEWSページでは、開高健記念会の活動の現況を中心に、開高健関連のさまざまな情報もお知らせしていきます。

ギャラリートークの日、6月は30日(日)です

茅ヶ崎の開高健記念館で、記念会のメンバーが館内のご案内をする催し「ギャラリートークの日」。館内に展示された開高健の資料、愛蔵した品々 などをご案内しながら、それぞれの開高健を語ります。

2013年6月は:

【日時】 2013年6月30日(日)午後1時~、午後3時~(各回30分程度を予定)

【案内人】 菊池治男(開高健記念会理事)

【略歴】 1949年東京生まれ。元集英社編集者。「PLAYBOY日本版」在籍時に『オーパ!』アマゾン編の取材に同行。以降、モンゴル編に至るシリーズや『生物としての静物』などの担当編集を務める。著書に『開高健とオーパ!を歩く』(河出書房新社)

カテゴリ:イベント 2013-06-23

開高健電子全集と単行本「開高健名言辞典 漂えど沈まず」

電子書籍による全集「開高健電子全集」全20巻の配信開始を記念して、

「巨匠が愛した名句・警句・冗句 200選」(サブコピー)として

『開高健名言辞典 漂えど沈まず』(滝田誠一郎 小学館)

が発売されました。

「悠々として急げ」「毒蛇はいそがない」など開高健が折にふれて書いたり、語ったり 、色紙にした言葉を集めた労作です。

tri2meigen-002.jpg

カテゴリ:メディア 2013-06-09

記念館の「5月」(2003-2013)

開高健記念館は2013年4月で開館 10周年を迎えました。開館以来、訪れた方々が書きつづってきたノートから、その月の言葉をふりかえります。今回は、「5月」新編。(お名前はイニシャルで、難読文字は●で表記させて頂きました)

2003.5

◆先日、銀山湖へ釣行し、「河は眠ら」(「ない」は雪中)の碑を見て参りました。村杉にも泊まり、アルバムも少し見せて頂きました。ここも素敵なところでしね。近くなので、また寄らせて頂きます。5年ぶりの釣りは、岩魚が水面までついて来て、笑って帰って行きました。(鎌倉 K)

◆2度目の訪問です。はじめは開高先生の訃報に接したすぐ後。そして今日。記念館がオープンしたとうかがったものですから、北海道、旭川からかけつけました。帰宅したら、また、全集を読みかえそうと思っています。(旭川 I)

◆もう会えぬ大兄へ
──悠々として急げ──の表現が好きで、愚息の名前は「悠」としました。漂えど沈まずの心構えでこれからも生きていきます。合掌。(国分寺 K・M)

ume.jpg  幹から出た小枝に実った梅の実

◆私は一時期新潟の酒場で“開高さん”と呼ばれていました。体型が似ていたのと、メガネとヒゲ、何より釣り、とりわけ渓流釣りの話ばかりしていたからです。大病をして少し元気がなくなりましたが、昔の自分を思い起こして元気がでたような気がします。(T・H)

2004.5

◆まさか、来れるとは思いませんでした!
一生、幸せで居るために、私は釣りをやめません!(M)

◆小学校の時、開高さんの「フィッシュ・オン」を読んで以来のファンです。鹿児島から来るのはツラかったけど、一生の思い出になりました。今度また来たいと思います(M・?)

◆好きだからといって、家に押しかけることはないだろうと、アイドルの追っかけみたいな感じでチュウチョしておりましたが、とうとう来てしまいました。エッセイの中に登場する静物たちが、文字の世界で想像していた魚たちが、直に見れることができ光栄です。ベランダでタバコを喫うと「ここで開高さんもタバコをたしなんでいたのかしらん」と思いつつ、ちょっと自己満足。記念館があってよかった。

2005.5

◆ここの雰囲気が好きで時々ふっと立ち寄ります。絵葉書(字葉書?)が出来ましたネ。字も文も素敵。友人たちに便り出します。(F)

◆そうですか。氏はここで地球の事を、人間の事を、あれやこれや、日々、考えていたのですね。ひどい国になりました──そちらから、どう見えますか。もっと美しく、もっと楽しく、もっともっと素晴らしく──人よ。会えて、うれしいです。(S)

2006.5

◆ずっと念願だったこの記念館に、姉一家と訪れることができて感謝です。20数年前、サントリー社主催のパーティで開高健さんがワインの飲み方を講演され、その時出された「しびん入り」ワインを美味しくも驚きを持って飲ませていただいた日の事を、懐かしく思い出しました。ありがとうございました。(K)

◆北海道に住んでいる頃から憧れ、上京しここ茅ヶ崎海岸南に住むようになってからも常に意識し続けてきましたが、ナカナカここを訪れることができず、ついには今月一杯で転居することになり、「やはり挨拶しなければ」の思いで訪れました。「ありがとうございました。これからもヨロシクお願いいたします」。(G、A、N)

2007.5

◆生きている本人に会い、話を聞く事ができないのが、残念でなりません。現在87冊。記念館を自宅に作るぞ!(S・M)

◆ガンで入院中の夫が外出許可をもらってやってきました。静かなたたずまいにホッとした気分を味わいました。わたしの思い出の一頁になると思います。テラスの涼しい風がとても心地よく、やわらかな日差しに心がなごみました。(横浜 A)

◆兵庫県明石市から来ました。入社以来働き詰めできた五〇代後半の男性です。最近少し余裕が出て、「夏の闇」や「輝ける闇」「珠玉」等を読み、先生のサトルなセンテンスに驚いています。私は京都育ち、先生は大阪育ちで関西人同志の親近感を持っていましたが、茅ヶ崎に住んでおられたとは知りませんでした(私も同じ頃、平塚に住んでいました)。又、機会を見つけて来てみたいと思います。(W・K)

2008.5

◆やっと来る事ができました。30年近く愛読していると、開高さんの言葉が身体にしみ込んでいて、日々の生活の中でふと出てきます。今日は、近くにいる様な感じを息子と味わえました。ありがとう。(N・M、Y)

◆どこに住んでいようが、何をなりわいにしていようが、開高さんを愛読するという一点で、皆、れんめんとつながっている気がするのは、昔の戦友みたいな感じと共通するのでしょーか。(I)

◆何度か自転車にて近くまで来ましたが、たどり付けず、やっと来る事ができました。開高作品は余り熟読しているわけではありませんが、正月特集やNHKの「悠々として急げ」などを見るうちに、昭和晩期の作家、作家の呼吸を感じ、「便利さ」「あわただしい時間」に流される現在において、深呼吸をさせられる想いで興味を抱きました。スタッフの方々もとても親切で、良い時間を与えて頂きました。仕事に追われる日々ですが、また来たいと思いました。(厚木市 K)

2009.5

◆30年前に開高さんのファンになり、20年前に開高さんが亡くなり、始めてこの記念館に来た今年、私は50歳になります。戦いを見ずして、戦いを書くな──開高さんの言葉は今も色あせません。アラスカのキングサーモン、モンゴルのイトウ、こんなにでっかかったんですね。帰宅したら、また、本棚の「オーパ!」を再読しようと思います。(秦野 J&P)

2010.5

◆開高健さんが何回も読んだというサルトルの「嘔吐」を読みたいです。そして「夏の闇」も。パリへは20歳の時に旅行したことはあるけれど、もう1回滞在してみたいです。生きているうちにやりたいことがいっぱいあります。(H・M)

◆大学時代の仲間でぶらりとやってきました。開高健さんに出会えたのも何かの縁ですね。TVやマスコミなどで知っていた位でしたが、これからは本なども読ませて頂こうと思いました。ありがとうございました。(K、I、F)

2011.5

◆幼い頃、父親が開高さんの作品をよく読んでいました。僕は「オーパ!」の表紙が怖かったので本に触るのも嫌だったのを覚えています。時は経って、今やオーパは愛読書となりました。開高さんからはたくさんの力をいただいています。これからも人生のお供とさせてもらいますネ。(M・S)

◆私は、今、9才の小学4年生です。だから開高健さんの事はしりませんでした。さいしょに書斎の部屋に行きました。大きな魚がいたり、大きなくまがいたりしてとてもビックリしました。そして展示室に行きました。トナカイ(カリブ)がいて、ものすごくびっくりしました。ビデオをみて、せんそうの話などをしていて、昔は色々な事があったんだと思いました。また今度もじっくり見させていただきます。(K・N)

2012.5

◆やっと来れました。開高健のいた空間。いつまでもなくならないでほしいです。

◆毎年夏に自転車でオトコ1人で来てますが、今日は妻と息子(2歳)つれてきました。父の本ダナからぬすみよみしてたカイコーさんの本、息子もぬすみよみするのですかねぇ。(N・●)

◆35年近く前、異国で貧しい学生時代に『オーパ』『オーパ、オーパ』を読み、独特の世界に魅せられました。全巻を2セット入手し、そこで出会った魚たちに、ここで初めて会えました。初めて来ましたが、何となく“宿題”──自分が勝手に自分に出したのですが──をやっとすませた気持ちになりました。また、ヒマをみてきます。(K)

◆「身をすててこそ 浮かぶ瀬もあり 谷のドングリ」
この言葉時々思い出す。

◆彼の持っていたビデオシリーズを見て、とても興味を持ちました。過ごされていた空間に実際に来ることができてとてもうれしいです。赤いポンポンのついた帽子なども見たかったです。フィッシングベストyあ衣服やバンダナなども企画展があれば見にきたいです。(M・U)

2013.5

◆今日は、長い間会えなかった先輩に会えたような気持です。「ベトナム戦記」を読み、その生々しさをもって、20年前サイゴンに行ってきたのも、ついこの間のようです。(H)

◆雑誌の特集で見て開高さんを知って、家の近くだったので、記念館を訪れましたが、生きるヒントを頂いたように感じました。また来たいと思いました。大いに遊んだ後に。(●)

◆1989年……誰もが「ちょっと待てよ……」と思い始めた頃。ある意味、その後を予感してお亡くなりになったのかな……。(●)

◆S47年か48年に青梅市の本屋で見つけた「フィッシュ・オン」。それを読んでからアナタのトリコになりました。新入社員だった私ももう停年です。今59才です。この年令ですね。同じ年令で亡くなられたのか……。(N)

◆来た!見た! そして……。30年来のユメがかない、会いに来ました。まだまだ私の心の中には居つづけます。また、来ます。(M)

カテゴリ:来館者のノートから 2013-06-07

BSフジで6月5日(水)開高健関連番組が放映されました

番組名:名作を旅してみれば

6月5日(水) BSフジ 午後10時~10時56分

作家で開高健との親交もあったC・W・ニコルさんが、開高健の釣魚エッセイ「私の釣魚大全」を中心に、かかわりのあった新潟・銀山平、黒姫をカバー。

カテゴリ:メディア 2013-06-04

5月のギャラリートークの日は26日(日)です

茅ヶ崎の開高健記念館で、記念会のメンバーが館内のご案内をする催し「ギャラリートークの日」。館内に展示された開高健の資料、愛蔵した品々 などをご案内しながら、それぞれの開高健を語ります。

2013年5月は:

【日時】 2013年5月26日(日)午後1時~、午後3時~(各回30分程度を予定)

【案内人】 菊池治男(開高健記念会理事)

【略歴】 1949年東京生まれ。元集英社編集者。「PLAYBOY日本版」在籍時に『オーパ!』アマゾン編の取材に同行。以降、モンゴル編に至るシリーズや『生物としての静物』などの担当編集を務める。著書に『開高健とオーパ!を歩く』(河出書房新社)

カテゴリ:イベント 2013-05-20

連載開始 「ごぞんじ開高健」より 第1回 菊谷匡祐〈開高健のいる風景〉

語り手◆菊谷匡祐(作家・翻訳家 1935-2010)◆

●「アジアで起こっている戦争を見たい」

皆さんの中にも当時、開高さんがベトナムに行って「週刊朝日」や「朝日ジャーナル」に書いたルポをお読みになった方もおられるでしょうが、ある日彼は南ベトナム政府軍に従軍し、ベトコンの急襲を受け、二百人中生き残ったのがわずか十四人という惨事に遭遇する。さらにサイゴン市内で、ベトコンとおぼしき人が銃殺される場面を目の当りにするに及んで、当然痛烈なショックを受け、考えるところがあった。

もともと開高さんがベトナムに行きたいと思った理由は、アジアで起こっている戦争を見たいということだった。その体験をノンフィクションを書こうとなると、世界中に彼のライバルとでもいうべき人が何人もいて、例えばそれはジョン・リードであり、アンドレ・ジイドであり、グレアム・グリーンのベトナム報告もありで、そういう人たちを頭のなかでライバル視しながら書くつもりだったのだと思うんですが、実際そうやって戦場に行ってみると、やっぱり肉食人種と草食人種の違いをまざまざと見てしまったと言いますか、「戦争ははたから見ていると壮大なページェントである」というヘミングウェイの言葉のようには思えなくなる。そして当初の単純と言えば単純な動機からではなく、一人の生身の人間として戦争と向き合うことになった。その瞬間から開高さんの目は外側にではなく内側、つまり自分の内面へ向いていくようになったんだと思います。

で、内面に向かった目から『輝ける闇』が生まれ、『夏の闇』へと結実していった。そして『花終る闇』を加え、闇三部作というものになるわけですが、いみじくも「闇」という言葉を使ったところに、開高さんの心の葛藤と言いますか内面の有りようが、あるいは彼がどんなことを考えていたのか――私には難しいですけど――想像できる人には想像できるのではないでしょうか。

●ただ寝ているだけという物語

 『輝ける闇』はもちろんベトナム戦争を舞台にした小説ですが、『夏の闇』は一変してまったく違うものになっている。どういう内容かというと、昔、東京で妻子のいる主人公と知り合い彼を愛するようになった女性が、結婚できないことに絶望していわば海外へ逃亡するわけです。それでなんと「アー・ベー・ツェー(ABC)」もできないのにドイツに行く。でも語学の才能があったのかボン大学の客員になってそこで勉強しているとき、たまたま主人公がパリに行く機会ができて、彼女と久しぶりにパリで会うところから話が始まるわけです。それから二人はパリやボンで、あるいはときにバイエルンの高原地帯へ釣りに出かけたりして、開高さん自身に言わせると、彼らは「パンツをはかない生活」を続けるわけですね。

パリではホテルの部屋で、ボンへ行けば彼女の寄宿舎で、とにかくセックスと会話だけで終始し、あとは主人公は眠っているだけの、そういう話なんです。 昔から『三年寝太郎』とか『オフローモフ』とか寝ているだけという人間の話がないことはない。でも、あそこまで盛大にただ寝ているたけという物語なんて、近代文学や現代文学にはほとんどありませんし、それを延々と書いていくその筆力にはなんとも私は圧倒されました。

●書くという仕事の残酷な一面

もちろん主人公が開高健自身だとしても、女が実在の女性であるのかどうかは断定できません。ただこの作品が「新潮」に一挙に掲載されて、それを読んだうちのカミさんが「作家というのは残酷ね」と言うわけですよ。残酷というのは家族に対して――この場合は奥さんに対してということになるのでしょうが、これは開高さんが書いた話で、私やうちのカミさんには何の関係もないことなのに「あなたは小説なんて書かなくていいわよ」とか言ったりしましてね(笑)。

確かに書く仕事――小説を書くという仕事にはそういう残酷な一面があるのかもしれません。考えてみたら例えば檀一雄さんにしてもそうだったし、何か小説の完成度を高めるために家庭内に悶着を起こすといった例もないわけじゃありませんしね。まあ、開高さんの家でそういう悶着があったかどうか、それはここでは言わないことにしておきますが。

(『ごぞんじ開高健 開高健記念会〈紅茶会〉講演集Ⅰ』 菊谷匡祐 「開高健のいる風景」より)

カテゴリ:「ごぞんじ開高健」より 2013-05-14

記念館の「4月」(2004-2013)

2004.4

◆水泳教室での大きな写真が子供心にもとても印象的でした。名前は知っていましたが、水泳教室に通っている頃は小学生であり、開高さんは釣りの名人だと思っていました。……茅ヶ崎自体、独特のゆるゆる穏やかな茅ヶ崎時間が流れていますが、その中でもこの場所はさらにまたちがった時の流れを感じました。とても居心地の良い所で、ずーっと居たく、何度も深呼吸したくなる場所でした。ありがとうございました。またあそびに来させてください。(N)

◆藤沢に移り住んで丁度1年、やっと来ました。‘30年生まれの同年生です。「裸の王様」で芥川賞受賞で当時はげまされました。当時のやせた写真の方が好きです。随筆の方が好きです。今日は楽しかった。鵠沼海岸から妻と二人で歩いてきました。(D・K、N)

ro.jpg

2005.4

◆開高大兄のオーパに多大な影響を受け、大学は北海道大学水産学部を選び、在学中はイトウ釣りにあけくれていました。最近、釣りをしなくなってしまいましたが、書斎のキングを見て、自分が大兄の歳になったら行こうと決めていたアラスカに行きたくてしかたなくなりました。(N・T)

◆初めて来ました。吉祥寺からコトコト電車に乗って2時間。来て良かった。明日からまたがんばろうという気になった。(K・A)

◆中学校の学級文庫にあった担任の先生の私物の文庫を読み、興味を持った者です(ちなみに、その担任の先生の「フィッシュ・オン」は借りっぱなしで今もウチにあります。清水先生スミマセン)。記念館には一度行ってみたかったのですが、場所がわからず、「行くことはないだろう」と思っていたのです。最近出た雑誌の「サライ」の特集に場所が出ていたのでこれ幸いと思い、今日来館いたしました。ありがとうございました。(松戸 N・M)

2006.4

◆名古屋からバイクに乗って来ました。風が冷たく強く、地震まであって難儀をしましたが、着いた時にはとても良い天気になっていました。昨日で会社を辞め、来月中に樹林医の勉強のために家を出ます。その前に開高さんに会っておこうと思っていました。文でもビデオでも言われていましたが、「ナースログ」の話が好きです。「リンゴの木を植える」の絵葉書を買って帰ります。(M)

2007.4

◆北海道から来ました。茅ヶ崎は初めてです。開高健の文学で卒論を書きます。素晴らしい環境の中で活動されていたのだと実感しました。(O・S)

◆朝の7時25分に記念館にやってきました。当然のごとく、記念館はまだ開いていませんでしたので、海へ出てみたり、近所を散歩してみたり、鳥たちがたくさんやってくる公園のベンチに横になったりしては、開高さんも見て来ただろうと思われる風景に思いをはせていました。また、記念館を訪れることができたらいいなと思っています。午後からの高橋昇さんの講演会が愉しみです。(吹田 A)

2008.4

◆『ずばり東京』文庫本を読んでから、どうしても開高健記念館を訪ねたかった。NPO法人で運営され、月1回「紅茶会」を開かれているのを知り、市民、読者(ファン)にとって一番良い形であり、私の町にもあったらいいな、と思いました。雑木林が又、味わい深かったです。(鎌倉 F)

◆ビデオが分かりやすく、又展示品の数々、誠に氏の人生の輝きをいただきました。真面目にかつ奔放に生きた生涯の“強烈な印象”を心に刻みました。「悠々として急げ」という氏の言葉、わが人生を重ね合わせて、いたく気に入りました。保存会の皆さま、ありがとう。(大学同期卒業生7人と共に S・M 73歳)

◆あんなに激しい文章もこんなに静かな場所で生まれたかと思うと、なんだか不思議な気がします。いい場所ですね。(I・T)

2009.4

◆小学校か中学校かの頃にTVで開高さんの特集を観た時から憧れの存在です。どの本を読んでも、開高さんの言葉は心とろかすウイスキーのように私の中にしみわたってきます。そんな開高さんの“戦場”に来ることが出来、幸せです。ここであの哄笑が響いていたのか……。(早稲田大学2年 ●・K)

2010.4

◆長年の念願が叶い、初めてお訪ねしました。かつて、井原西鶴をめぐり、早大の暉峻康隆先生と対談していただきました。九段上の阿家での一刻は笑いの絶えない楽しいものでした。いっぺんで暉峻先生は開高ファンとなられたようでした。開高さんは西鶴に通ずる浪速男の知恵とサービス精神がぎっしり詰まっていました。懐かしい。(S・T)

◆先生のベトナム戦争に関するルポルタージュは、若い頃読んで、小説家としてより、ルポライターとして非常に有能な作家だと思い、今に到っておりました。今後も読ませていただきたく思います。(U・Y)

2011.4

◆思い出しました。「開高健?」→「書いた?書けん!」長く新刊を待っている間にこんなフレーズが本の中にあったことが。久しぶりに「闇シリーズ」を読み返したくなりました。(M・T)

2012.4

◆自分の心の中で絶え間なく輝き続ける「核」
それを見つけたくて、確立したくて、揺ぎ無い物としたくて、ここに来ました。
私は歩くのが遅過ぎた様です。歩幅を広げて、悠々と歩き続けます。

◆ようやく訪問が実現しました! 開高健さんとは昭和30年4月以来の馴染みですが(同期入社)それ以降の出逢い、交わした言葉が、ここに来てよみがえって来ました。帰宅したら、又、本棚の中から何冊かの著書を読み直したいと思います。いづれ、あっちで再会しよう!! (S・T 79歳)

◆福岡から念願かなっての訪問です。20代の頃夢中で読んだものです。冴えわたった文章にただただひかれたものです。これを期に、又、読み返してみたいと思います。(T・R)

2013.4

◆DVDで開高さんが戦地から脱出したときの気持ちは口では言えないかもしれないけど、心が心に話している感じがしてかんどうしました。(小6 F・I)

◆数年ぶりに来た。裏の雑木林はすっかり無くなってしまった。昭和50年(1975年)頃の、いわゆる湘南砂丘の雑木林は、茅ヶ崎市内ではもう見ることができないのか。しかも海岸はダムと漁港のせいですっかり削り取られた。今、波乗りの主力は辻堂に移っている。もし、“湘南砂丘”の頃の砂浜を見たければ、134号線の汐見台交差点(地元では“チサン”と言う)から東側のサイクリングロードを歩く事を提案します。(K・K)

◆久しぶりに聖地に来ました。開高さんがかわいがられたネコにもあえてよかったです。男は、危機と遊びを通して一人前になるといった言葉に「はっと」しました。遊び心をいつまでも忘れずに、リスクをおそれずに、チャレンジしていこうと思います。(M)

◆初めて開高健氏に会ったのは、21才、白いページ、その次はフィッシュ・オンでした。それからもう35年が過ぎています。やっとこの地に来ることができました。(長崎 Y・N)

カテゴリ:来館者のノートから 2013-05-06

記念グッズに特製クリアファイル3種、ポストカード5種が加わりました

開高健記念館の記念グッズに「特製クリアファイル」3種と「ポストカード」5種が加わりました。

●クリアファイル(A4収納版、350円+税)

「悠々として急げ/明日、世界が滅びるとしても 今日、あなたはリンゴの木を植える」

「漂えども沈まず/朝露の一滴にも天と地が映っている」

「出版人マグナ・カルタ」など3種:

kuria.jpg

●ポストカード(1枚100円+税)

「漂えども沈まず」

「半ば子供の脳を持った大人衆と 半ば大人の脳を持った子供衆と そういう私自身のために」

「身のまわりのすべての事物がバラバラに 分解するような気持になったら、魚釣りにいけ。」

など5種が加わり、現在計16種類。

カテゴリ:ニュース 2013-05-06

開高健情報・雑誌、相次ぐ特集、創刊

「マグナカルタ」(ヴィレッジブックス 季刊 2012年12月創刊)

「開高健〈マグナ・カルタ九章〉の精神に基づいた新メディア」(オビコピーより)

・毎号、開高健のエッセイ1本の再録とコラム「開高健記念館をたずねて」 を掲載。02号が2013年3月発行。

「鮮やかに生きた昭和の100人」(文藝春秋5月臨時増刊号)

「石原裕次郎、市川雷蔵、力道山から 美空ひばり、吉本隆明、長谷川町子、司馬遼太郎まで

頬を染めて胸を張っていた 輝ける人たちを見よ!」 (表1コピーより)

・開高健「同甘同苦」の大きな貼り紙 (谷口博之)掲載。

「DIME」(小学館 2013年5月号、6月号)

・「日本人にウイスキーを注いだ男 ──壽屋宣伝部意匠課 開高健」(野地秩嘉)を前後編2号にわたって掲載 。

カテゴリ:メディア 2013-05-06

◆今年度「一般財団法人 開高健記念会」ごあいさつと入会のご案内

新緑が目にしみる季節を迎え、ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。

長年に亘る開高健記念会へのご支援を賜り、まことに有難うございます。
すでにご報告のとおりNPO法人開高健記念会は一昨年9月に一般財団法人に衣替えを致しました。しかし一般財団法人では会員制度や資産をそのまま引き継いでNPO法人と統合することはできないため、当面は両組織をダブルトラックで運営し、平成25年度中には、より公益性の高い公益財団法人への認定を得るべく、公益法人協会の指導を得て、鋭意努力を重ねています。何とぞ皆様には引き続き一般財団法人開高健記念会の会員として、倍旧のご協力を仰ぎたく、ここにご案内をさせていたく次第です。

平成24年度の「開高記念会」の活動も順調に推移致しました。茅ヶ崎市開高健記念館への来館者は一昨年末に6万人を突破しましたが、企画展「作家志望青年・開高健の情熱の日々」「開高健 オーパ!」「開高健と作家たち」が好評で、来館者数は25年度中には7万人の大台を伺う勢いです。記念会のメンバーが館内をご案内するギャラリートーク(毎月最終日曜日)も続けます。ぜひご来館願えればと存じます。

茅ヶ崎市ではこうした開高健記念会の全国的な注目に後押しされる形で、記念館の西側と北側の土地約2000平米の購入に踏み切りました。西側の旧大橋家跡地には、国木田独歩、城山三郎、小津安二郎ら茅ヶ崎ゆかりの文化人の「人と業績」を顕彰、発信する「ゆかりの人物館」を整備し、開高健記念館との相乗効果を狙う構想が練られています。入会ご希望の方は、本HP上の「入会のご案内」をご覧ください。また開高健記念館(茅ヶ崎)でも受け付けております。

平成25年5月吉日

一般財団法人開高健記念会
代表理事 永山 義高

kaiinshou.jpg 一般財団法人開高健記念会会員証

装丁家・三村淳氏と株式会社・中村活字が、

一字一字鉛棒を組み、一枚一枚、

出雲の手漉き和紙に刷り上げています

(金色は正会員、サポート会員は銀色)

2013-05-04
« 前ページへ次ページへ »