開高健記念会

開高健記念会ニュース

このNEWSページでは、開高健記念会の活動の現況を中心に、開高健関連のさまざまな情報もお知らせしていきます。

雑誌「pen」(2014年11月15日号)が「昭和に生きた小説家 開高健」を特集

没後25年の今年、雑誌の開高健特集が続きました。季刊誌「kotoba」に続き、雑誌「pen」が「昭和を壮絶に生きた小説家。」として「開高健を知っているか?」という大特集を組みました。

・代表作『夏の闇』は、いかにして生まれたのか。──小説家

・「トリス」を日本に浸透させた、天才的な話法。 ──コピーライター

・小説が書けなくなると、ルポで才能を磨いた。──ルポライター

・開高健は、天才的「言葉のマジシャン」だった。他

写真や情報も満載。( 第一特集「愛すべきは、ウイスキー」)。

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カテゴリ:メディア 2014-11-16

来館者のノートから(9-10月編)

開高健記念館はことし開館 12年目に入りました。訪れた方々が書きつづってきたノートから、その月々の言葉をふりかえります。(お名前はイニシャルで、難読文字は●で表記させて頂きました)

*  *

◆1960年代のベトナム戦記あたりから開高健という活字がメモリーされました。戦後高度経済成長とダブリます。それからズーッと忘れていたのですが、テレビ画面で再会しました。ひろい読みをして開高健のエッセンスを味わう。アウトドアの生活はつりやキャンプ、海水浴など、この40年くらい無縁です。最近ドストエフスキーをかじりまして、開高健との共通項を思いますと、ドストエフスキーも開高健も九死に一生を得ている。ドストエフスキー59歳没。開高健58歳没。ドストエフスキー、ルーレットで何回も大敗してやっとギャンブルと縁を切る。開高健、終生オーパ! 何かを書くのは難しいです。(2014.8 愛知県 M)

◆”失われた20年”と呼ばれる時代を私たちは駆け足ですごしてきました。最近になって、ひょっとしたらこれは私たちの戦争体験ではないかという思 いが私の中で大きく育っています。大兄が生きていらっしゃったら笑うでしょうか。笑って、何と言って背中を押してくれますか。(2014.9 K・A)

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◆釣りに加えて、本を知ったことで、一生幸せに暮らせます。(2014.9 I・M)

◆たぶん 自分の中の危機に 気が付いたのでしょう 10年振りに再訪しました。ビデオの 開高さんを拝見して 正面から自分の中の危機に 向かってみようと 思いました。とりあえず 帰ったら 船に乗って釣りに行きます。(2014.9 B・Y)

◆「人間らしく やりたいナ……」 まだ、わかりません。開高さん また、来ます。(2014.9 K)

◆1年前に来館して以来2度目です。開高健に出会って人生が変わったと思います。OPA!にあこがれて昨年アマゾン川を下りました。またおじゃまします。(2014.10 A・A)

◆父の誕生日に来ました。ここにくると、なぜだかさみしくなります。先生、女がパイプを吸うのってどう思いますか? 先生のお気に入りの葉っぱの香り好きです。あと、もう一歩。もう一歩。(2014.10 A・M)

カテゴリ:来館者のノートから 2014-10-19

来館者のノートから(8-9月編)

開高健記念館はことし開館 12年目に入りました。訪れた方々が書きつづってきたノートから、その月々の言葉をふりかえります。(お名前はイニシャルで、難読文字は●で表記させて頂きました)

*  *

◆開高大兄 サン・ミッシェル界隈であなたとパスティスを酌み交わしたかった。(2014.8 Y・M)

◆1年ぶり2度目の来訪です。9月5日発売予定の集英社『kotoba 秋号』は開高健特集ということで非常に楽しみです。それにあわせて開高健フェアをやってみようと思います。私が書店員になったのは開高健フェアをやるため といっても過言ではありません。夢がかないそうです。(2014.8 東京都 I・T)

◆恥ずかしながら、「誕生日が12月30日で同じ」、「旅や食べ物のエッセイが面白そうだ」という理由だけでほんの数年前からエッセイやルポを中心 に読ませて頂きました。食べ物もさることながら、やはりベトナムにおける戦場ルポ、それを基にした『輝ける闇』がとても印象に残っています。6月に出張で ホーチミンに初めて行きましたが、泊まられていたマジェスティック・ホテルにも行き、階上のバーで同僚と酒を飲みました。今回来て良かったです。ゆっくり と見せていただきます。(2014.8 S・S)

small_tokei.jpg 芥川賞記念のロンジン

◆この屋根の下で、透明な壁の向こうの書斎で、あの開高健が存在して居たとは俄かには信じられません。僕の中での開高健が大きすぎるがゆえ、そう感 じられるんだと思います。しかし、確実に開高健はこの空間に存在し続けて居り、その存在が僕に何かを感じさせました。開高健の軌跡は今も続いています。そ の軌跡をたどり、そこから自分の道を進むのが今の自分が夢見る生き方です。(2014.8 神戸市出身銀座在住 O・K)

◆8年振りの再訪。前回来た時は、妻が我が人生に入って来た直後で、今回は、この世を卒業した後、初めての訪問。いつも変らず、大きな心で訪問者を迎えてくれる記念館。維持管理に努めて下さるみなさま、ありがとうございます。これからも開高大兄の残したフレーズと共に人生を歩んでいきます。(2014.8  K)

◆ベトナムへ行きました。サイゴン川を眺めながらマティニをすすると涙が出ました。文豪と出会えて幸せな人生を送れています。これからも追いかけ続けます。(2014.8 K・Y)

◆”失われた20年”と呼ばれる時代を私たちは駆け足ですごしてきました。最近になって、ひょっとしたらこれは私たちの戦争体験ではないかという思いが私の中で大きく育っています。大兄が生きていらっしゃったら笑うでしょうか。笑って、何と言って背中を押してくれますか。(2014.9 K・A)

◆釣りに加えて、本を知ったことで、一生幸せに暮らせます。(2014.9 I・M)

◆たぶん 自分の中の危機に 気が付いたのでしょう 10年振りに再訪しました。ビデオの 開高さんを拝見して 正面から自分の中の危機に 向かってみようと 思いました。とりあえず 帰ったら 船に乗って釣りに行きます。(2014.9 B・Y)

◆「人間らしく やりたいナ……」 まだ、わかりません。開高さん また、来ます。(2014.9 K)

カテゴリ:来館者のノートから 2014-10-04

【重要】 開高健記念会が「公益財団法人 開高健記念会」になりました

ごあいさつ

「開高健記念会」は平成14年NPO法人として発足、一般財団との並走時期(平成23年~)を経て、平成26年8月1日、内閣府から認定を受け「公 益財団法人開高健記念会」として新たに出発いたしました。開高健の文業を広く後世に伝えるべく、茅ヶ崎の「開高健記念館」(旧・開高健仕事場を市に寄贈・ 移管し、当会がその運営を受託)を中心に、館内での種々の企画展、外部施設での展観のプロデュース、各種講演会の開催、資料集の発行などの活動を展開して まいりましたが、公益財団化を機に、東京都杉並区井草の旧・開高邸に「開高健記念文庫」を開設いたします。

本会はこのふたつの公開施設を拠点に、より多くの方々に開高健とその文学に触れ、日本文学に親しんでいただくことを基本理念に、通称は今までどおり「開高健記念会」として活動してまいります。今後ともよろしくご支援のほどお願いいたします。

  1. 記念館・記念文庫の運営と企画展の開催、館外展への協力
  2. 開高健の人と文学に関する各種講演会・セミナーの開催
  3. 開高文学に関する資料集、小冊子などの発行
  4. 各種広報ツールの充実
  5. 「開高健とボージョレ・ヌーボーの会」など懇親会の開催
  6. HPなどを通じての広報活動
  7. 生原稿・手紙・写真等資料の整理・分類・公開
  8. 著作権管理(開高健、牧羊子、開高道子の著作権の総合的管理)

*著作権、協力クレジット等の表記は今までどおり「開高健記念会」でお願いいたします。

*ご入会をご希望の方は本HPトップページの「入会のご案内」をご覧ください。

 

開高健記念会事務局

〒167-0021 東京都杉並区井草4-8-14
Tel: 03-5303-8621, Fax: 03-6915-0721
E-mail: info@kaiko.jp

2014-09-12

季刊誌「kotoba」2014年秋号「開高健 その豊饒なる文章世界」が発売されました

没後25年にあたる今年、久々に開高健の文学に正面から向き合った特集号が出来ました。(「集英社クオータリー「kotoba」第17号)

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日本文学研究家のドナルド・キーン氏、開高健ノンフィクション賞・大宅壮一ノンフィクション賞受賞の角幡唯介氏、「テルマエ・ロマエ」の漫画家ヤマザキマリ氏をはじめ、作家、評論家、ジャーナリストなど各界の23人が「開高健をいま読む意味」を語っています。本年度の「開高健ノンフィクション賞」発表号でもあります。

詳細は集英社HPでご覧ください:

http://shinsho.shueisha.co.jp/kotoba/

カテゴリ:メディア 2014-09-06

来館者のノートから(7-8月編)

開高健記念館はことし開館 12年目に入りました。訪れた方々が書きつづってきたノートから、その月々の言葉をふりかえります。(お名前はイニシャルで、難読文字は●で表記させて頂きました)

*  *

◆貴方の本を初めて読んだのは何年前でしょうか。“フィッシュ・オン”こんな本があるのかといっきに読みました。それから貴方の本を求めて、私の貴方への旅は今も続いています。今日ここに来て、貴方と一緒にいるような気がします。(2014.7 F・A)

◆開高さんが平成元年になくなられた。私は平成元年に結婚して26年。記念館でアーカイブスの映像を見て51歳の開高さんを見る。実に私自身が51歳で思いが重なる。今、生きていてほしい一番の方!どんな言葉をこの時代にあてはめるだろう。悠々として急げ! この言葉通りに生きているか、いつも心に問うています。(2014.7 名古屋市 H・S)

◆20年前にかじり読んだノンフィクションの傑作「ずばり東京」企画展。何だかとても良かった。山口瞳さんとのコラボ企画展など、サントリー宣伝部時代のものなど見てみたいものです。カイコーケン宅にまた来たい。(2014.8 S・K)

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◆開高大兄 サン・ミッシェル界隈であなたとパスティスを酌み交わしたかった。(2014.8 Y・M)

◆1年ぶり2度目の来訪です。9月5日発売予定の集英社『kotoba 秋号』は開高健特集ということで非常に楽しみです。それにあわせて開高健フェアをやってみようと思います。私が書店員になったのは開高健フェアをやるためといっても過言ではありません。夢がかないそうです。(2014.8 東京都 I・T)

◆恥ずかしながら、「誕生日が12月30日で同じ」、「旅や食べ物のエッセイが面白そうだ」という理由だけでほんの数年前からエッセイやルポを中心に読ませて頂きました。食べ物もさることながら、やはりベトナムにおける戦場ルポ、それを基にした『輝ける闇』がとても印象に残っています。6月に出張でホーチミンに初めて行きましたが、泊まられていたマジェスティック・ホテルにも行き、階上のバーで同僚と酒を飲みました。今回来て良かったです。ゆっくりと見せていただきます。(2014.8 S・S)

◆この屋根の下で、透明な壁の向こうの書斎で、あの開高健が存在して居たとは俄かには信じられません。僕の中での開高健が大きすぎるがゆえ、そう感じられるんだと思います。しかし、確実に開高健はこの空間に存在し続けて居り、その存在が僕に何かを感じさせました。開高健の軌跡は今も続いています。その軌跡をたどり、そこから自分の道を進むのが今の自分が夢見る生き方です。(2014.8 神戸市出身銀座在住 O・K)

(*2013年以前の「来館者のノートから」は記念会トップページ「来館者のメッセージ」でご覧いただけます)

カテゴリ:来館者のノートから 2014-08-25

記念館の「6月」(2004-2014)

開高健記念館はことし開館 12年目に入りました。開館以来、訪れた方々が書きつづってきたノートから、その月の言葉をふりかえります。今回は、「6月」新編。(お名前はイニシャルで、難読文字は●で表記させて頂きました)

2003.6

◆とても素敵なお住まいに感激致しました。生活が見えなかった部分を拝見でき、また人間味を感じました。今回はカメラを持って来なかった事に後悔しております。(O・H、A)

◆「輝ける闇」「オーパ!」「フィッシュ・オン」以前読んで本棚の隅にほこりをかぶっております。家内と自転車で藤沢より何となく今日来たのですが、又、本棚から引っぱり出して読みたくなりました。釣った魚は逃がし、ルアーに徹する、開高健氏の人となりがしのばれ、今日は有意義な一日でした。(藤沢 N・S)

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◆書棚にカーテンをかけてあることは、本を読んで知っていましたが、書棚はりっぱな作りで、カーテンはもっと薄物を想像していたのでした。やっぱり想像が現実に変わる瞬間はなんともいえず楽しいものですね。又来て色々発見したいと思います。(平塚 I)

2004.6

◆なつかしい方に逢えた思いです。書かれたものを何度も反すうし、常に会話をしています。ここに来ると逢えると思うと嬉しいです。(K)

◆来館は2回目です。企画展が楽しみで来ました。先生の作品は日常で忘れがちな生とか楽しさとか価値観等々を気付かせていただける。テラスでのんびりとして、良い一日でした。また訪れたいと思います。ありがとうございました。(広島 S)

◆開高さんの原稿の、生真面目な文字を見て、大変まじめな人と感じました。以前は、野坂昭如ではないが、いい加減な「面白半分な作家」と思っていました。茅ヶ崎でも歩く姿だけを見て、私の勝手な見方でした。責任を感じます。もう少し、本を読み直してみようと思います。(東海岸 H・I 80老人)

2005.6

◆ベトナムのルポを書かれたのは何となく聞いたような気もしていましたが、ここへ来てそれがいかに激烈だったかを知りました。ベトナム戦争が10年以上あったとすれば、イラクの泥ぬまもまだ5年くらいやらないとアメリカは気が済まないのでしょうか?(K)

◆私は“固め読み”の傾向があり、開高健の作品もそうでした。彼の、緻にして精にして、勢であり、熱であり、情であり、貴であり、大であり、知であり、智であり、宙であり、ユーモアであり……、(それに接することは)大変な歓びであり、心おどらせ、感じたものでした。偶々、先日の朝日新聞の夕刊に、ベトナムの連載ものの見出しに、二つの命日をもつ開高とあり、200分の17の話が出ており、本記念館についての記述がありましたので、HPで地図をプリントアウトし、本日訪れた次第です。梅雨の季節にも拘わらず、初夏の爽やかなそよ風と緑の陽差しの中で、開高健に本の世界とは異なった雰囲気の中で触れ合うことができ、本当に良かったです。……(S・Y)

2006.6

◆開高氏の本と出逢って20ウン年、様々なシゲキを受けて20ウン年……静かなる感動を受けました。もっと知りたくなったと同時に、家にある本をもう一度、読み返してもみたくなりました。次は銀山湖で「タイト・ライン!」をめざします。(久喜 名も無き釣人)

◆一番好きな夏の闇の原稿をみて感激しました。(いわき市 Y)

2007.6

◆何も言わない。
何も、言えない。(I・D)

◆父に似ている様な気がしました。(R)

2008.6

◆次は神サマにちょっとエコヒイキしてもらってね、間違いなく男子に生まれて、開高さんを味わいたいモノダ。(N・N)

◆矛盾だらけの今の世の中に開高健氏のような方が存命していたらとつくづく思う。この館は心静かに氏の遺徳を偲ぶことができました。感謝します。(H・H)

2009.6

◆来れて嬉しい。次は銀山湖だ。(S)

◆林水泳教室でご一緒したころのお元気な姿を思い出しています。(M)

2010.6

◆建物が目当てでやって来ましたが、開高先生もとても魅力的な人だと思いました。建物はきれいに保たれていて、先生と共に愛されているのだなと感じました。(C・T)

2011.6

◆それは1982、83年頃の秋のことでした。大阪本町ノテイジンホールで開高さんの講演会(独演会?)の事でした。その時立ったままで、スピーチのテーブルにウイスキーの瓶を立て、時々美味そうに飲まれながら、豪快に又ユーモラスに、様々な話題にふれての実に楽しい講演でした。会の終了時に「オーパ!」の新刊を記念にくじに当り頂いたものでした。それが、大学の先輩でもあった開高さんとの最初で最後の巡り会いとなりました。以前から茅ヶ崎に記念館があるとは聞いていましたが、当方75歳のSentimental  Journeyの一箇所として訪問がやっとかないました。Danke Schoen Kaiko Ken.(大阪豊中 O)

2012.6

◆生前からのファンで「開口閉口」などエッセイをよくよんでおりました。それらが書かれた場所を見せていただき、今回の旅の良い記念になりました。(T・A)

◆カッコつけないことのカッコよさ!(K・Y)

◆ギャラリートークに参加させていただきました。すぐかたわらで共に時間を過ごされた方からのお話は本当に貴重でした。ご著書もすばらしかったですが、実際に生の声で語られる思い出は格別でした。7月からのオーパ!展を楽しみにしております。(A・K)

◆小さいころにも来ました。書さいには、いろいろな生き物がいておもしろかったです。でも、タランチュラはこわかったです。ねこのはくせいは飼っていたねこのはくせいですか? かわいかったです。(よう)

2013.6

◆『漂えど沈まず』名言を思いださせてくれてありがとうございます。開高先生の「丸文字」を見て元気がでました。もう少し充電してから帰ります。(S・H)

◆ドナルド・キーンさんにお会いし、開高さんのうちには魚の写真がいっぱい飾ってあってね、ホントに釣り好きなんだったよという話を聞き、茅ヶ崎に住みながら、そういえば訪れたことがなかったなと思ってやってきました。静かで落ち着ける場所でした。また来ます。(●)

2014.6

◆「サインバイノウ はじめまして、開高さん!!」岩手の山の中から来ました。20代前半にあなたをテレビ(オーパ!)で見て以来、私の中のスーパースターでした。私は活字がめっぽう苦手で、本などは一冊も完読したことのない人間です。でもあなたの文章、言葉は私にどこまでもしみこんで来ました。文学的なことはひとつもわかりませんが、ただただ気持よく、本を読むということが出来たただ一人です。今日は本当に私の夢がかないました。一度来たから、又来ます。「悠々として且急げ」これをこれからもめざします。今でも天国で、モンブラン片手にパイプを楽しんでいらっしゃるんだろうね~。おいしい物の話もしましょう。(S・T 48歳)

◆20歳代後半、試行錯誤の真最中に開高さんのルポルタージュや小説のおかげで人生に光が見えてきた。沢山の気付きや学び、勇気を頂いた。何とか自分らしい人生が歩めるようになった今、あらためて感謝です。(大阪府豊中市 K・H)

カテゴリ:来館者のノートから 2014-07-16

記念館の「5月」(2004-2014)

開高健記念館はことし開館 12年目に入りました。開館以来、訪れた方々が書きつづってきたノートから、その月の言葉をふりかえります。今回は、「5月」新編。(お名前はイニシャルで、難読文字は●で表記させて頂きました)

2003.5

◆先日、銀山湖へ釣行し、「河は眠ら」(「ない」は雪中)の碑を見て参りました。村杉にも泊まり、アルバムも少し見せて頂きました。ここも素敵なところでしね。近くなので、また寄らせて頂きます。5年ぶりの釣りは、岩魚が水面までついて来て、笑って帰って行きました。(鎌倉 K)

◆2度目の訪問です。はじめは開高先生の訃報に接したすぐ後。そして今日。記念館がオープンしたとうかがったものですから、北海道、旭川からかけつけました。帰宅したら、また、全集を読みかえそうと思っています。(旭川 I)

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◆もう会えぬ大兄へ
──悠々として急げ──の表現が好きで、愚息の名前は「悠」としました。漂えど沈まずの心構えでこれからも生きていきます。合掌。(国分寺 K・M)

◆私は一時期新潟の酒場で“開高さん”と呼ばれていました。体型が似ていたのと、メガネとヒゲ、何より釣り、とりわけ渓流釣りの話ばかりしていたからです。大病をして少し元気がなくなりましたが、昔の自分を思い起こして元気がでたような気がします。(T・H)

2004.5

◆まさか、来れるとは思いませんでした!
一生、幸せで居るために、私は釣りをやめません!(M)

◆小学校の時、開高さんの「フィッシュ・オン」を読んで以来のファンです。鹿児島から来るのはツラかったけど、一生の思い出になりました。今度また来たいと思います(M・?)

◆好きだからといって、家に押しかけることはないだろうと、アイドルの追っかけみたいな感じでチュウチョしておりましたが、とうとう来てしまいました。エッセイの中に登場する静物たちが、文字の世界で想像していた魚たちが、直に見れることができ光栄です。ベランダでタバコを喫うと「ここで開高さんもタバコをたしなんでいたのかしらん」と思いつつ、ちょっと自己満足。記念館があってよかった。

2005.5

◆ここの雰囲気が好きで時々ふっと立ち寄ります。絵葉書(字葉書?)が出来ましたネ。字も文も素敵。友人たちに便り出します。(F)

◆そうですか。氏はここで地球の事を、人間の事を、あれやこれや、日々、考えていたのですね。ひどい国になりました──そちらから、どう見えますか。もっと美しく、もっと楽しく、もっともっと素晴らしく──人よ。会えて、うれしいです。(S)

2006.5

◆ずっと念願だったこの記念館に、姉一家と訪れることができて感謝です。20数年前、サントリー社主催のパーティで開高健さんがワインの飲み方を講演され、その時出された「しびん入り」ワインを美味しくも驚きを持って飲ませていただいた日の事を、懐かしく思い出しました。ありがとうございました。(K)

◆北海道に住んでいる頃から憧れ、上京しここ茅ヶ崎海岸南に住むようになってからも常に意識し続けてきましたが、ナカナカここを訪れることができず、ついには今月一杯で転居することになり、「やはり挨拶しなければ」の思いで訪れました。「ありがとうございました。これからもヨロシクお願いいたします」。(G、A、N)

2007.5

◆生きている本人に会い、話を聞く事ができないのが、残念でなりません。現在87冊。記念館を自宅に作るぞ!(S・M)

◆ガンで入院中の夫が外出許可をもらってやってきました。静かなたたずまいにホッとした気分を味わいました。わたしの思い出の一頁になると思います。テラスの涼しい風がとても心地よく、やわらかな日差しに心がなごみました。(横浜 A)

◆兵庫県明石市から来ました。入社以来働き詰めできた五〇代後半の男性です。最近少し余裕が出て、「夏の闇」や「輝ける闇」「珠玉」等を読み、先生のサトルなセンテンスに驚いています。私は京都育ち、先生は大阪育ちで関西人同志の親近感を持っていましたが、茅ヶ崎に住んでおられたとは知りませんでした(私も同じ頃、平塚に住んでいました)。又、機会を見つけて来てみたいと思います。(W・K)

2008.5

◆やっと来る事ができました。30年近く愛読していると、開高さんの言葉が身体にしみ込んでいて、日々の生活の中でふと出てきます。今日は、近くにいる様な感じを息子と味わえました。ありがとう。(N・M、Y)

◆どこに住んでいようが、何をなりわいにしていようが、開高さんを愛読するという一点で、皆、れんめんとつながっている気がするのは、昔の戦友みたいな感じと共通するのでしょーか。(I)

◆何度か自転車にて近くまで来ましたが、たどり付けず、やっと来る事ができました。開高作品は余り熟読しているわけではありませんが、正月特集やNHKの「悠々として急げ」などを見るうちに、昭和晩期の作家、作家の呼吸を感じ、「便利さ」「あわただしい時間」に流される現在において、深呼吸をさせられる想いで興味を抱きました。スタッフの方々もとても親切で、良い時間を与えて頂きました。仕事に追われる日々ですが、また来たいと思いました。(厚木市 K)

2009.5

◆30年前に開高さんのファンになり、20年前に開高さんが亡くなり、始めてこの記念館に来た今年、私は50歳になります。戦いを見ずして、戦いを書くな──開高さんの言葉は今も色あせません。アラスカのキングサーモン、モンゴルのイトウ、こんなにでっかかったんですね。帰宅したら、また、本棚の「オーパ!」を再読しようと思います。(秦野 J&P)

2010.5

◆開高健さんが何回も読んだというサルトルの「嘔吐」を読みたいです。そして「夏の闇」も。パリへは20歳の時に旅行したことはあるけれど、もう1回滞在してみたいです。生きているうちにやりたいことがいっぱいあります。(H・M)

◆大学時代の仲間でぶらりとやってきました。開高健さんに出会えたのも何かの縁ですね。TVやマスコミなどで知っていた位でしたが、これからは本なども読ませて頂こうと思いました。ありがとうございました。(K、I、F)

2011.5

◆幼い頃、父親が開高さんの作品をよく読んでいました。僕は「オーパ!」の表紙が怖かったので本に触るのも嫌だったのを覚えています。時は経って、今やオーパは愛読書となりました。開高さんからはたくさんの力をいただいています。これからも人生のお供とさせてもらいますネ。(M・S)

◆私は、今、9才の小学4年生です。だから開高健さんの事はしりませんでした。さいしょに書斎の部屋に行きました。大きな魚がいたり、大きなくまがいたりしてとてもビックリしました。そして展示室に行きました。トナカイ(カリブ)がいて、ものすごくびっくりしました。ビデオをみて、せんそうの話などをしていて、昔は色々な事があったんだと思いました。また今度もじっくり見させていただきます。(K・N)

2012.5

◆やっと来れました。開高健のいた空間。いつまでもなくならないでほしいです。

◆毎年夏に自転車でオトコ1人で来てますが、今日は妻と息子(2歳)つれてきました。父の本ダナからぬすみよみしてたカイコーさんの本、息子もぬすみよみするのですかねぇ。(N・●)

◆35年近く前、異国で貧しい学生時代に『オーパ』『オーパ、オーパ』を読み、独特の世界に魅せられました。全巻を2セット入手し、そこで出会った魚たちに、ここで初めて会えました。初めて来ましたが、何となく“宿題”──自分が勝手に自分に出したのですが──をやっとすませた気持ちになりました。また、ヒマをみてきます。(K)

◆「身をすててこそ 浮かぶ瀬もあり 谷のドングリ」
この言葉時々思い出す。

◆彼の持っていたビデオシリーズを見て、とても興味を持ちました。過ごされていた空間に実際に来ることができてとてもうれしいです。赤いポンポンのついた帽子なども見たかったです。フィッシングベストyあ衣服やバンダナなども企画展があれば見にきたいです。(M・U)

2013.5

◆今日は、長い間会えなかった先輩に会えたような気持です。「ベトナム戦記」を読み、その生々しさをもって、20年前サイゴンに行ってきたのも、ついこの間のようです。(H)

◆雑誌の特集で見て開高さんを知って、家の近くだったので、記念館を訪れましたが、生きるヒントを頂いたように感じました。また来たいと思いました。大いに遊んだ後に。(●)

◆1989年……誰もが「ちょっと待てよ……」と思い始めた頃。ある意味、その後を予感してお亡くなりになったのかな……。(●)

◆S47年か48年に青梅市の本屋で見つけた「フィッシュ・オン」。それを読んでからアナタのトリコになりました。新入社員だった私ももう停年です。今59才です。この年令ですね。同じ年令で亡くなられたのか……。(N)

◆来た!見た! そして……。30年来のユメがかない、会いに来ました。まだまだ私の心の中には居つづけます。また、来ます。(M)

2014.5

◆社会人となり、10数年が経ち、仕事も家庭も順調、でも何かが足りていない想いを持ち続けていたあの日、オーパに出会いました。先生を中心に回っていく人々の世界。日常の境がなくなったその先に新しい世界が現れる驚き。何度も読み返しているうちに、私にも世界が、自身の中が、異なるものが感じられるようになりました。先生の素敵なイメージが生まれたこの場所へ、また是非伺いたいと思います。(S・K 36歳)

◆宮城県の沿岸部よりきました。リンゴとイチゴの町、山元町は私の故郷……。しかし津波で4割が流され……。それでもリンゴの木を植えるという言葉が大好きで、ここへ来ました。来て、良かった。(S・S)

◆大学の時、初めて友人からサントリーの広告をつくった人が開高健と聞いた記憶があります。つりが好きで、酒が好きで、人が好きで、でもどこかテレビで見る彼は“変った人”という感じをうけていたのですが、友人の話ではとても細かく文体を考えているとのこと。この記念館の午後の一時をここち良く過ごせる所の様に思えました。又、友人と来ますよ、健さん!(N・N)

カテゴリ:来館者のノートから 2014-06-20

ブラジル紀行の名著「オーパ!」が相次いで電子書籍になりました

サッカーW杯ブラジル大会のタイミングもあってか、開高健がブラジル・アマゾンの奥深く巨魚・怪魚・名魚を追ったノンフィクションの名作『オーパ!』が2社から電子書籍化されました。

●小学館からは「開高健電子全集14 オーパ!/オーパ、オーパ!!」 。オーパ!(アマゾン編)だけでなく、アラスカからカナダ、コスタリカ、スリランカ、モンゴルまで、「オーパ!」シリーズの文章を1冊でまとめて読める。

●集英社からは「電子特別版 オーパ!」。 収録はアマゾン編のみだが、オリジナルの単行本や文庫にあったカメラマン高橋曻の写真と開高健による秀逸な写真キャプションを多数収録し、原作品の魅力に迫る造り。

ともに電子書籍としては同じ値段(1,080円)なのが悩ましいところ。

sho_densi.jpg 集英社版「電子特別版 オーパ!」の一場面

カテゴリ:メディア 2014-05-25

単行本『壽屋コピーライター 開高健』が刊行されました

開高健の評伝に新しいページを加えた本。

新資料をもとにあぶりだされる「文学青年 開高健」はビビッドで、とかく悪妻めいたイメージのある牧羊子夫人への純情にも触れられている。初期のコピーライターとしての活動だけでなく、その後の、佐治敬三はじめサントリー(壽屋)とそこに集結した多くの才能たちとの切磋琢磨が、開高文学のすみずみにまで通う葉脈をつくりあげていく様がダイナミックに描かれている。

著者は開高健記念会理事。

 th_cover.jpg  (坪松博之・著 たる出版 1800円+税)

カテゴリ:メディア 2014-05-21
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