開高健記念会

来館者のノートから

このNEWSページでは、開高健記念会の活動の現況を中心に、開高健関連のさまざまな情報もお知らせしていきます。

記念館の「12月」(2003-2013)

開高健記念館は2013年4月で開館 10周年を迎えました。開館以来、訪れた方々が書きつづってきたノートから、その月の言葉をふりかえります。今回は、「12月」新編。(お名前はイニシャルで、難読文字は●で表記させて頂きました)

2003.12

◆先生のコピーのなかでは「明るい歌声 楽しいベントウ それに一本トリスの瓶」というのが一番好きです。あの頃(昭和29年頃)の先生は、やせておられて、晩年とは違った雰囲気だったのですね。貴重な文学的財産を公開に踏み切った茅ヶ崎市のご好意に感謝いたします。末永く、維持させて下さい。(Y・T)

◆作品は読んだ事はなかったのですが、テレビで大きな魚をつって川にもどしたり、モンゴルの草原で、お茶目なかっこうで小動物(名前は忘れました)を観察した所を拝見して、楽しい方だなと思っていました。人生を色々な面で味わいつくした人と、記念館を拝見して思いました。これからの私の生き方の参考にしたいと思います。(大宮 F・Y)

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◆昨日、実践女子大学の「向田文庫」を見学してきました。なんとそこには「オーパ!」の本もありました。何か運命的なものを感じてしまいました。次の年賀状はKaikoさんの言葉を書き並べました。他の人にも心にひびく言葉になればと思っています。

2004.12

◆人生に迷った時、必ず開高さんの本なりビデオなり、とにかく開高さんの物に接します。そして元気をもらい、また一歩、進む事が出来ます。これからも……。まだ、開高さんは私の内で生きてます。(O・Y)

2005.12

◆来たくて来たくて、やっとです。あの時もう、きっと病にあったのでしょうか。おつかれだったのに、パーティで大変だったことでしょう。でも私たちには一生の楽しい思い出だったのです。今でも開高さんの顔は忘れません。ありがとう。又お会いしたくなったら来る事にしましょう。(館山 オーパ村 K)

2006.12

◆本日初めて訪れました。随分と行動的で多趣味な作家さんだったのだと驚きました。また、生原稿も拝見することができ感謝致します。

◆岩手から来ました。青春時代に読んでいた本の作家に会いに来ました。言葉にならないほど感激しています。

2007.12

◆先生の本を読まなかったら、私の人生はずいぶんつまらないものになっていたと思います。先生亡き今も、先生の存在は大きくなる一方です。時々おじゃまして、先生が当時思いをはせた世界について、私も共有させていただきたいと思います。(B・Y)

2008.12

◆今日は夫と参りました。今度はぜひ娘と一緒に来たいと願いつつおります。もともと娘が学生時代からの大ファンであった。母親のわたしは、そのおかげで本日の感激を体験し、嬉しく思っております。どうも有り難うございました。(M・A)

◆文豪の息づかいが感じられた。次は釣道具の展示の際に何とかして来ようと思う。(D・H)

2009.12

◆熊本を発ち、23時間、やっと開高様に逢える事が出来ました。ナゼか涙が、やっぱり心が高鳴り、コブシに汗が……。多大なる影響、ありがとうございました。いつまでも、いつまでも私の中に住み続ける。(熊本 K・J)

◆ルアー作りがんばります!!(I・T)

2010.12

◆最近再び闇シリーズを含め御作を読ませていただいて77歳の年齢でも十分に感じ、思うことが出来ることを喜んで居ります。素晴らしい内容の記念館の存在に感謝致しますが、奥様、お嬢様が共にいらっしゃらないこと、本当に残念に思います。天国でお三人で現世で持てなかったゆっくりした時を持たれていると考えればよいのでしょうか。(横浜 N・S)

2011.12

◆久し振りに開高記念館に来ました。“悠々として急げ”大変素敵な言葉ですね。また、来年も出来るだけ来るようにします。皆さんどうぞ良い年をお迎えください。(N・●)

2012.12

◆「オーパ!」展最終日に──。私が大学一年の頃、開高さんはベトナム従軍のルポを「週刊朝日」に連載されていました。東京・神保町の古本屋で求めた「声の狩人」「過去と未来の国」の二冊の岩波新書に接して以来、開高さんの文章のエネルギーに魅せられています。高校教師となって疲労感を感じつつあった時、若手カメラマンの力強い写真と鮮烈なまでに躍動感あふれる開高さんの文章は大いなるはげましと私には感じとれました。あくなき好奇心と行動力で駆けぬけた作家として心に残ります。(名古屋市 S・K)

◆私が読んだことのある文章で、開高さんのような書き方のものは初めてでした。読んでいてハッとさせられるところがあります。ここへ来て、開高さんの文章をもっと知りたいと、また、開高さん自身のことをもっと知りたいと、感じました。(横浜市 N・M 中1)

2013.12

◆再び訪問することが出来ました。一年間頑張れるのは記念館が待っているからなのです。ありがとうございます。ロマネコンティを読んで、成熟した果実の様な美しく磨き込まれた文章にとりつかれる様な年齢となりました。また来年も来れる様に頑張ります。(伊勢志摩 O)

◆何年も前から訪れたかったこの記念館、やっと来ることが出来ました。開高さんの本やビデオを見る回数が増えるとますます開高さんを知りたくなります。釣りも出来ない私が、釣りをしたくなりましたよ! 本を紹介してくださったお友達に感謝です。開高健記念館前の石に刻まれている文字『入ってきて人生と叫び、出ていって死と叫ぶ』、心に響きました。また来たいです。(T)

カテゴリ:来館者のノートから 2014-01-14

記念館の「11月」(2004-2013)

開高健記念館は2013年4月で開館 10周年を迎えました。開館以来、訪れた方々が書きつづってきたノートから、その月の言葉をふりかえります。今回は、「11月」新編。(お名前はイニシャルで、難読文字は●で表記させて頂きました)

2003.11

◆開館のことを知って伺いたいと思っていましたが、今日、ふっと思いついて、東海道線に乗っていました。「オーパ!」展をやっていて本当にラッキー。開高さんのあのお声がきこえてくるようでした。お庭がとてもステキでした。ツワブキの黄色が目にしみます。「哲学者の小径」をゆっくり歩きながら、また来たいと思っています。(西東京 K・M)

◆本当に、駆け抜けたような人生だったのに、いつも、全身をぶつけて、読者を楽しませ、感じさせてありがとうございます。運営してくれるスタッフにも深甚の感謝を。それにしても無料とは!(横浜 J・S)

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◆私もはるばる大阪からやって来ました。ひたすら嬉しいです。私が開高さんを知ったのは実は訃報、さらに、手に取って読んだのは大学生の時でした。なんてもったいない! 実は大学の先輩だったと知って、これまたミーハーな私は叫んだものでした。(人は何にでも“縁”を感じますよね。)最近嬉しかったこと:10年前わからなかった“夏の闇”。ちょっとわかる(感じる?)ことができました。私も成長したと思いたい……。最近悲しいこと:今を感じた開高さんの文が読めないこと。ほんとに残念でなりません。
また、開高さんの言葉にうもれてみたくなりました。今、“風に訊け ザ・ラスト”文庫版、持ってますよ! ああ、私も『悠々として急げ』。(A・M)

◆もう20年も経つでしょうか。小生も53歳になりました。あなたの“夏の闇”“輝ける闇”の表紙裏に極太の黒マジックでサインしていただきました。大柄な小生にも負けない幅の広い両肩を、今も忘れません。あの時書いて頂いた言葉を胸に歩んでいきます。これからもずっとあの鋭い二つの眼の光を思い出すことでしょう。(T・K)

◆今日は健さんに物理的には最も近づいた日。しかし、25年間ずっと敬愛しつづけた毎日も、とても充実していました。高校生だった頃からの小遣いは単行本やら雑誌やら、古書店から新刊本店までずいぶんと……ひょっとしてグラス一杯くらいは私が提供したのではないでしょうか。『日本三文オペラ』『青い月曜日』そして闇三部作、また、かずかずのルポルタージュ。世界の文豪に肩を並べられた人なのに。主人のいない家に座り、うれしくもあり、さみしくもありです。(香川県観音寺 N・M)

2004.11

◆昔、氏が通っていたスイミングスクールに通っていました。スクールで文庫本を読んでいた紳士はひょっとして。記念館が想像以上に良い環境なのにおどろきました。あの文章はこの静けさの中、明るさの中で生まれたのだなあ、と。

◆20年程前にプレイボーイ誌の「風に訊け」の連載以来、紀行文、闇シリーズへと読みすすみ、今や氏の晩年に近い年齢をなりました。本日は富山からの出張の機会があったので立ち寄らせていただきました。この出張でも列車の中で読むために「もっと広く」を持ってきています。(U)

2005.11

◆昭和29年頃大阪市住吉区山之内町(ここでは杉本町と書いてあるけど)に住んでいた時の開高健とは想像もつかない大きな人物になられておどろいている。妻が長女を、牧羊子さんの妹さんが道子さんをおんぶして杉本町の市場に買物に行っていた事を思い出しました。(大阪 O・K)

◆キングサーモンが開高を表し、鯛が谷崎を表すようです。二人の共通点は多いと思います。(T・F)

2006.11

◆子育てと仕事から解放された貴重な2日間をどう使うか……パッとひらめいたのがここへ来ることでした。「オーパ」を読み、その後ブラジルで5年過ごし、オーパに出てきた魚達と出会えました。日本に帰ってきて、目標を失いつつある自分に足りないのは何だろうと悩み続けてきました。開高健は自分と同じ年齢の時何をやられていたのか、今日知ることができました。決して開高さんのように凄い人生を送れるわけではないでしょうが、自分なりに悠々と急ごうと思いました。

◆念願だった開高健大兄の記念館に来ることが出来ました。どれもこれも見ているだけで体が震えて言葉になりません。意識は稲妻、舌は蝸牛であります。今、テラスでお茶をいただいていますが、ひょっこり大兄が顔を出してくれるような、とても素敵な記念館です。題名は決った、「悠々として急げ」。そんな気分で色々書きたいのですが……大兄に笑われそうなのでこれ以上は書けません。また来ます。バイヤコンディオス。(U・H、S)

2007.11

◆文学が恋しくなる晩秋の一日。開高健(カイコーケン)に逢いたくなってやって来ました。「ずばり東京」の文庫本を携えてきましたが、今、貴方に勝るとも劣らない文章書きは一人もいない……そんな哀しさを抱えています。カイコーケン様。合掌。(A)

◆みよしゆうか おさかながすきです。

2008.11

◆僕のアイドルです! ずっとずっと来たかった。これからも、いつまでも、僕の心の中で、一番のアイドルです。(岐阜 M・T 38歳)

◆ようやく来ました。亡くなられてから20年経ちますが、まだ信じがたく、大兄は何処か釣旅行に出掛けられている様に思えます。釣り、食物、旅、人生、全てにおける師匠です。大きなパネルの大兄の笑顔に会いに又来ます。(C・A)

2009.11

◆80年代にヨーロッパで先生にお会いしてから早や20年以上ごぶさたしてしまいました。今日は久しぶりに先生のお顔(写真)を拝見させていただき感無量です。今は音楽の仕事をさせていただいておりますが、いつも先生のお言葉を心に、精進させていただいております。(K・N)

◆その頃も旅をしていた。「夏の闇」の最初の一声。これ以来、とりこになりました。何十年前でしたか……。(山形 T・S)

2010.11

◆初期の作品の開高さんの大ファンでした。素敵で少々ニヒルな感じがとても素晴らしく、本が出ると直ぐ買い読みました。その後開高さんは身体がだんだん大きく成られ、作品もやたらと“オーパ!”でなんだか凄く面白く成り、楽しい気持ちにさせて呉れるような作家に成られました。ベトナム戦争にゆかれてから……暫く又前に戻られたかのような気がしますが……●前より楽しく元気いっぱい?の作品を書かれ、御自身の体調の変化もお解りになられたのかと思える程、異常に明るい文章に読者として少々……不安に成りました。ご存命なら●●今より明るい世の中にして下さるような気がする素晴らしき方! 開高健さん、有難うございます。(東京 K・T)

2011.11

◆私の父もモノ書きでした。酒好きで、美食家で、釣りとなると仕事を休む……。同じ時代に生き、開高氏より少し早く天国に行きました。お宅の中を拝見すると父と同じ匂いがし、昭和に帰った気がします。

◆開高さんは大学の先ぱいで、大阪・天王寺界わいはよく知っています。私もつりが好きで、開高さんのつりシリーズはつり人の感覚を文字に定着させた金字塔です。つりはヒトの原始的な行為で、アドレナリンが噴出するのですが、それを芸術と呼べることばにしました。小説の文章も圧倒的で、「筆舌につくしがたい、ことばを失うetc.」は負けだと言ったことをまさに高いレベルで実践しました。またこれは私の座右の銘としています。(●・●)

2012.11

◆大震災を受けた仙台市からくる。理由は、知り合いに、「最近太って開高健みたい」と言われて、そういえば若い頃は良く本を読んでいたと、ふと思い出したから。彼と同様に釣りも好きだし、興味の方向も似ていて、ライターやアウトドアの品々を集めて喜んでいるところも同じかな。彼の世界は彼だけのもの、だろうけど、共感するところも多いにあり。ではでは。「悠々として急ぎます」(仙台市 T・K)

◆島地勝彦さんの「乗り移り人生相談」の中で開高さんのお話が出て来ることがあり、どんな方なんだろうと思っていた時に、テレビでの特集を見る事が出来ました。魚を格闘する開高さん、お酒を飲みながら魚の話をする開高さん。その独特な雰囲気に引き込まれてしまいました。「パニック」を読み終えたばかりの若輩ですが、これから珠玉の作品を読み進めようと思います。(静岡県 O・M)

◆妻が開高健賞を授かった縁で訪問しました。当時の雰囲気が濃密に残る書斎、初冬の温かな陽光がふりそそぐ哲学者の小径など、健氏の生前の姿が目に浮かぶようで、とても印象深い一日になりました。私も、小径をひっそりと抜けて書斎で氏とと楽しいお酒が飲みたかった。未読の著作がたくさんあることが、なんだか楽しみになりました。(横浜市 W・T)

2013.11

◆こうして記念館として開放していただけることに感謝。私が若い頃(中学生から)最も影響を受けた小説家です。私のDNAにはしっかりとその言葉、生きざまが流れていることを思いおこさせます。親切にしていただきありがとうございました。(T)

◆「男が夢中になれるものは遊びと危機だけだ。」深い言葉です。女が夢中になれるものは何でしょう? 楽しめました。ありがとうございました。(K)

◆本当に本当にやっと来れました! 卒論で開高氏の『輝ける闇』を研究したいと思い、今ここにいます。1968年に興味を持ち結果として開高氏にたどりつきました。今まで、ヴェトナム戦争のことを何も知らなかった私が初めてしっかりヴェトナム戦争について考える機会を与えてくださったのが開高氏の作品で本当によかったと思います。いい卒論がかけるように頑張ります!(I)

カテゴリ:来館者のノートから 2013-12-15

記念館の「10月」(2003-2013)

開高健記念館は2013年4月で開館 10周年を迎えました。開館以来、訪れた方々が書きつづってきたノートから、その月の言葉をふりかえります。今回は、「10月」新編。(お名前はイニシャルで、難読文字は●で表記させて頂きました)

2003.10

◆足跡を訪ねようとしました。ただ、アマゾン、アラスカ、モンゴルは遠すぎますナ。

◆釣りの紀行文を書く方はたくさんいらっしゃる。しかし、私は開高健の釣魚エッセイを読んで以来、他の釣魚エッセイが読めなくなってしまった。初めて読んだのが20歳頃、今現在46歳。すると26年間、「私の釣魚大全」「フィッシュ・オン」「オーパ」「オーパ、オーパ」「もっと遠く・広く」のみをくりかえし読んでいることになってしまっている。(茅ヶ崎 釣り人 Y・K)

◆Festina lente 10年ぶりにこの言葉に再会しました。どなたがいつこの言葉を口にしたのか、ずーっと喉につかえ、胸につかえていたのですが、今日ここでやっとそのつかえがとれました。良き、記念すべき一日でした。私も遅ればせながら、その実行にチャレンジしていきたいと思う。(H)

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◆とても興味深い物がたくさんありました。開高健さんのいろんなことがわかりました。これを学校に戻ったらまとめて、発表したいと思います。ここには初めて来たし、開高健という名前もどんな人なのかも全々分かりませんでしたが、ここに来ていろいろなことを学びとても楽しかったです。(中学校1年 T、N、M)

◆大阪に生まれ、藤沢に住んでいます。裸の王様以来のファンで、釣りのファンでもあります。昼寝をしながら、突然思いついてやって来ました。色々と感じるものが多く、心地よい一日となりました。きっとまた来ます。(Y・T)

2004.10

◆小学生の頃、父の本棚に並んでいた「オーパ!」を見て以来、開高さんの小説と御本人のトリコになりました。30歳にしてついに御自宅に伺うことができ、感動です。写真集やエッセイに登場したモノたちを生で見ることができるとは……。今は栃木に住んでいるので、ちと遠いですが、是非また来たいです。(Y・M)

◆開高先生が入院なさっていた頃、夫が同じ病院でしたのでよくエレベーターの中でご一緒したことや、おじょう様がリュックを背によくお見舞いにいらした時など、お会いしたことを今なつかしく思い出しています。そう、茅ヶ崎の駅だったか、横浜の駅だったか忘れましたが、一度お声をかけた時のあの笑顔が忘れられません。初秋のお宅、記念館でしましの時を、過ごさせていただいています。(N・K)

◆昔、父の本を読んだ折、開高さんのお料理についてのコメント「ちゅうちゅうちゃん(ネズミ)がスープに浮かんでいる」に衝撃を受け、ファンになりました。年をとってきてみて、開高さんの深い苦しみ、悲しみというものを少しは理解できるようになってきたように思います。数年前、鎌倉旅行の折、思いがけず開高さんのお墓に参ることができ、又、本日この記念館に足をはこぶことができて大変感慨深いものを感じます。一度でいいからお話ししたかったです。本日は、本当にありがとうございました。(高槻 A・T)

◆誕生日のプレゼントに妻が連れてきてくれました。何よりのプレゼントでした。(M・T)

2005.10

◆小学生の頃、ぼろぼろになるまで「オーパ!」ながめてました。久しぶりに、とことん釣りにのめり込みたいなぁ。静かなこの記念館の中には、まだ30そこそこの私には受け止めきれないメッセージがつまっているような気がしました。もう少し年をとった時、また来てみたい。今日ここに来たことで、自分自身を見つめる良い機会となりました。(北海道 T・S)

◆先生の出身地、大阪から来ました。先生は今でも私の心の師匠です。一生、先生の著書を愛読して行きたいと思います。最後はジュピターでも流してもらおうかと妻に相談します。数々の感動、ありがとうございました。(O・T)
結婚25周年記念に来館でき、良かったです。(O・M)

2006.10

◆台風の影響のはげしい嵐の中を思い切って来ました。開高健先生の言葉に感動した人もいっしょです。開高健といえばウイスキー、と一人思っていました。ワインのコレクションにはおどろき……自分もワイン(赤)にもきょうみがあります。書斎は一番感動し、先生のすがたがみえました。

◆大学時代に恩師から勧められて以来、ずっと開高先生のファンです。留学を経験しましたが、異国で日本語が恋しい時、かならずそばには開高先生の著書がありました。帰国してようやく先生のお宅に来ることができました。また遊びに来ます!(S)

2007.10
◆学生時代、ベトナム戦争でした。その激しさをあらためて思い出しました。戦争と日本を深く考えられた先人として心にきざまねばと思います。平和な世の中がきずけますように……。(T・K)

◆全てにおいて現場主義が重要だということを改めて認識しました。(S・I)

2008.10

◆ようやくここに来ることが出来ました。改めて、様々なことを思い出します。私も知らぬ間に40代半ば……。あなたのように年輪を重ねていきたいと思うこの頃です。(T・T)

◆夏の闇を書いた貴兄と同じ齢にとなりました。(E・K)

2009.10

◆今まであまり開高さんのことを知りませんでした。今度、開高さんの本を読んでみたい……!と思いました。(K・A)

海をサイクリングして、ぶらりと立ち寄りました。ゆうゆうとして急げ。漂えど沈まず。開高健さんの好きな言葉です。書斎で、今でもふっと執筆されているような、自然な館ですね。(茅ヶ崎 リタイヤして)

2010.10

◆「死にがい」を求めてカルカッタで暮らしていた1983年のある日、街の本屋で日本人旅行者が置いていった夏の闇を買い、そこにある死の描写が私の日々接していた「死を待つ人の家」(マザーテレサが運営していた死にゆく人々への奉仕の場)の人たちの死とそっくりなので、思わず引きずりこまれて読んだ。開高さんとの最初の出会いでした。日本に戻り、次々と開高さんの本、写真集を買いあさりました。釣りとパイプを今でもやっている私にとって、開高さんの世界観+オレと同じ趣味=サイコーの知り合い、という図式で、我心の中にどっかりと存在されてます。やっと夢がかない、今月おじゃましました。(A・M)

◆開高作品は世界がくっきりしているところが好きです。しみるようにほっとします。「夏の闇」は何度も読みたくなる本です。分からないことがたくさんあるのに、ひきこまれます。開高さんの広く深い世界をこれからも楽しみたいです。(I・N)

2011.10

◆福岡からやっと来れました。若過ぎます。天国に行くのは。あなたはベトナムで一度命を失くしたからあとは余りと言うかも知れませんが、もっと言葉を残してほしかったです。
(S・Y)

◆きょう茅ヶ崎に向かう東海道線の車中で梶井基次郎集を読んでおりまして、ふと閃光が走った箇所がありました。彼の短編小説「路上」の大団円の部分です。“帰って鞄を開けて見たら、どこから入ったのか、入りそうにも思えない泥の固りが一つ入っていて、本を汚していた”がそれです。……開高氏の白眉の一篇『玉、砕ける』のエンディングに相通じるものがあります。梶井文学に触発されつつ、それを繁茂させ深化していった開高氏の面目躍如といったところでしょう。(国分寺 K・M)

2012.10

◆初めて参りました。知人の葬儀のためこれから駅に戻って斎場へ。故人の好きな言葉「悠々として急げ」何ともこの言葉に尽きます。(I・K)

◆この記念館に開高さんが住まわれていたのだと思うと、感慨深いものがあります。関西より来館しましたが、また機会あれば、なくとも、必ず立ち寄りたいと思います。(A・N)

◆前から知っていましたが、やっと訪ねる事が出来ました。私が、開高先生の話の中でもっとも好きな話は、海外に住むビンボー学生に処方せんと言って封筒を渡し、部屋へ戻ってから開けるのだよと言って手渡した中身がお金だったという話です。その理由も感動的な事由でした。「男」という言葉が似合う方でした。(岐阜県 M・T)

◆いつか来ようと思っていて、やっと来ました。つらくなると今でも読み返すのが、開高健作品。もう48歳になる私の、いまだにフェイバリット作家でありつづけています。ファンだから、と言われてしまえば、そうなのかもしれませんが、他の作家とはモノが違う、と思わされます。一行でも読めば。今日は元気をもらいました。感無量。また読もう。(三鷹市 N・T)

◆初めて開高先生の本を読んだのは「オーパ!」だったでしょうか。それを入口に「パニック」「裸の王様」……20代からずっと愛読しております。今回、意を決して(?)ここ記念館に来ました。自分の思索を振り帰る良い一日になりました。また、先生の本を愛読します。(開高作品は何度読んでも飽きないです)。ありがとうございました。(S・M)

2013.10

◆『裸の王様』を読んで以来、その文体のきびきびとした表現の在り方に感動しました。後輩に「文章を書くなら、この文体に習うと良い」と勧めた程です。こちらに伺いたいと考えてから十数年がたっているでしょうか。今日やっと訪れることが出来、良かったです。最近、ちょっとしたエッセイを書けと言われ、書きました。読み直すとなんともつまらない文章で落ち込んでいました。文章、いや言葉の磨きが不足と自覚、ここを訪ねたのを契機に精進いたします。「空耳か 風のささやき 開高健」(K)

◆開高さん、こんにちは! 始めて来ました。気まぐれで電車に乗り、Chigasakiでおりて市民球場へ行こうと思っていたのですが、ふと見ると、開高記念館の文字が! あっ!前から来たかったんだ! 何かを?何かは?教えてくれたんですね! ありがとうございます!開高さんのおかげで色々な事を考えましたよ! これからも元気で、楽しみながら苦しみながら生きていきます。(K・M)

◆最も敬愛する作家である開高さんのすまいを初めて訪れ、感激しています。様々な思いがあふれてきます。とくにベトナムは、1973年以来何度か訪問し、サイゴンでマジェスティックホテルの屋上のバーで一杯やりながら開高さんの作品のことを考えていました。小生にとっては開高さんは片思いの人でありましたが、次第に深く、強く引きつけられています。(K・S)

カテゴリ:来館者のノートから 2013-11-09

記念館の「9月」(2003-2013)

開高健記念館は2013年4月で開館 10周年を迎えました。開館以来、訪れた方々が書きつづってきたノートから、その月の言葉をふりかえります。今回は、「9月」新編。(お名前はイニシャルで、難読文字は●で表記させて頂きました)

2003.9

◆読書会で「日本三文オペラ」「フィッシュ・オン」を読みました。現場主義といいますか、ご自分の体験を通して書いておられ、圧倒されました。“主人のいない書斎“では涙が出そうになりました。開放して頂いてありがとうございました。思い切って来てよかったです。ついでに、私も胆石に悩まされて手術するかもしれません。開高さんと同じ悩みがあったなんて、クスッと笑えます。(静岡 M)

◆今でも週に一度は開高さんの作品を読み返し、改めてうならされています。開高さんが旅立たれる直前に三田の済生会病院で開高さんの為に血液を提供した時の事を思い出しました。私の血液が開高さんのお役に立てたかは判りませんが、私にとっては他のどの作家とも違う、特別な存在であり続けていくと思います。又、近いうちに寄らせてもらいます。(Y・T)

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◆もうすぐで北海道に帰ります。こっちを離れる前にここに来られてヨカッタ。さて、戻ったら釣りでもしますか。そして、温かい北海しまえびやカジカのキモ入り味噌汁でも飲みますか。(H・I)

◆昔、勤務していた会社が赤坂でインド料理屋をやっておりました。ある日、今日は「カイコウ」さんという有名な作家の方が見えると同僚のインド人が申すもので、あろ開高さんが、まさかうちの店に見えるなんて……。「オーパ」のアラスカ編を買って店の担当者にお願いしてサインを頂きました。私はお店で開高さんの後姿だけを拝する事ができました。
ある時期に多くの作品を読ませて頂き、特に「夏の闇」は5回読みましたが、何度読んでもどこか気のつかなかった2~3行が、2回め、3回めと表れてきました。本日、ここで生原稿を拝見させて頂き本当に感激です。
オーパのサイン本は何もない平凡な私の人生の最大の宝物です。又、本日、ここにうかがえて本当によかったと思います。(O)

2004.9

◆この記念館が出来た事を新聞で知り、本日やっと来館する時間が出来、開高さんのファンとしてとてもうれしく思います。私と同じリール(アブのアンバサダー7000)を使われていたなんて、とても感激しました。ただ、開高さんがヘビースモーカーだった事はちょっと(とても?)残念で、もし吸っていなければ、今でもお会い出来てルアー釣りの事も教えていただけたのかも……。(A)

◆山梨から来ました。山梨にもたくさんの川と湖があり、魚も豊富です。開高さんに少しでも近づけるよう釣り道と人生の歩みに磨きをかけていきたいと思います。また来ますね。(S・T)

2005.9

◆選挙に投票してから横須賀から自転車に乗ってやって来ました。開高さんの本を読んだのは、水産高校漁業科時代に図書館にあった「オーパ!」の大型の写真集がきっかけでした。趣味と実益の両立を実現した開高さんは、「男の星座」のような人だと思います。日本の政治家は、選挙前には靖国神社よりも、この開高健記念館と、同じく茅ヶ崎市内にある大岡越前の墓所に顔を出すべきではないかと選挙の日に改めて実感します。……(S・S)

◆好きな女と一緒にやって来ました。(N・A)

2006.9

◆眼の前に哲学者の小径、片手に麦茶(ワインとはいいません)。開高さんに会ったことはもちろんありませんが、冒険家、ワインのことも書く食通。部屋には野生がいきづいています。そして、ワインのコレクション(これも1つの目的でした)。最後に書斎。仕事場。やはり物を書かれた方だったと思いました。(N・M)

◆いろいろな胸の痛みを抱えながらやって来ました。沢山のことを抱えすぎていた自分に“悠々として急げ”は実現しそうにない格言かもしれませんが……でも心に響く言葉でした。ありがとう、また来ます。家族四人で……!(郡山 K)

◆はじめて来ました。開高さんを改めて好きになりました。女版開高さんを目指します!!(M・M)

2007.9

◆家族を連れて記念館に来た(嫁、子3人 娘8歳、息子6歳、11カ月)。開高健ときいてオーパしか知らない世代で、芥川賞も読んだことがなければベトナム戦記は幼すぎて理解できなかった。釣りの好きな、酒の似合う作家というイメージしかなく、笑顔が父にそっくりということが、また記憶に残っている。今回、ゆっくりみて彼の足跡の一部をみた。本は読むしかない。ただ、男としての生き方には共感するものがある。男として……大切なことだ。(41歳 男)

◆念願であった来館。開高先生の声を生まれて初めて聞きました。あのようなお声をなさっておられるのですな。若いので、聞いたことがないのです。感激。(21歳 O・J)

◆開高さんの『輝ける闇』がきっかけで自分の生き方の方向が決まりました。ここへ来れて、ただただ感激です。このような文学者が日本に存在した事を誇りに思います。(K・I)

◆開高さんは、僕がこうなりたいと思う唯一の人間です。(T・R)

2008.9

◆心の危機を知っている人間は魅力的です。ピアノ線。合掌。(T・M)

◆娘が茅ヶ崎に(下宿)住むようになり、以前から主人が大好きな開高健さんの記念館にぜひ伺いたいと思っておりました。今日初めて来館でき、とても喜んでおります。ほとんどの本は我家にありますが、講演集を今日は購入したいと思います。……(S・S)

◆仕事を一時休業中。金曜日にここに来れたことを幸いとしたい。仕事をしていた時は、とても来れそうにはなかった。もっと書いて欲しかった。もっと読みたかった。もっと同時代を生きて欲しかった。(O・K)

2009.9

◆父の影響で開高さんの作品を読むようになりました。また、詩人の長谷川龍生先生と開高さんが同じ小学校に通っていたというので、現在長谷川先生のもとで詩の勉強をしているわたくしは、開高さんが身近にかんじられます。また来ます。ありがとうございました。

◆開高健様 私はずい分自分勝手な読者で、全作品を読んでいるわけではありません。せいぜい20冊程度。しかし、貴方の生き方にロマンを感じるのです。世界中を旅し、釣りし、飲み……ひるがえって、わが身は……妻子と会社にしばられ46年も過ごしてしまいました……。海の近く、緑多く、鳥のさえずりがきこえる、いい所ですね。自分もいつか、このような、居場所を欲しく思いました。(I・T)

2010.9

◆開高健さんの本に夢中になったのはいつの頃か定かな記憶にはないが、釣り好きの私は、釣りの本から他の本に興味・関心を移していったのは正解かな? 翻弄されつつ心地よい思いに浸ったのが不思議でさえあった。開高さんが吸っていた空気にふれて、今、静かに感動、感激中です!

2011.9

◆何か文字を書こうとペンを持ったが、やめた……。息子に「健」の字をつけさせてもらいました。聖地か……息子がいつもと違う。嬉しい!(フーサ)

◆お名前は知っていましたが、読んだことはなく、たまたま近所に来たので立ちよってみましたが……一言一言の嘘の無さ、味わい深さに感動しました。あと、ユーモアも。危険とユーモアを持ち合わせていらっしゃる開高さんのお人柄に強く興味を持ちました。さっそく本を入手して読むつもりです。来てよかったです!(O・M)

◆前から来たいと思っていた家にやっと来ることができました。開高健の文体にも作品にも、大きな影響を受けた一人です。(N・Y)

◆あなたと出会って、人生が変わりました。漂えど沈まない人生を目指します。(F・M)

2012.9

◆高校時代に開高氏のことを知り、大学に入ってから読書にふけり、昨年、初めて開高氏の小説を読む。そして今年に入り2つの「闇」を読み、感銘を受けた。どんな人なのか、記念館に行きたくなり、とてもユーモアに富んで、人間らしい生き方をし、すごい格好いい人だな、と感じ、憧れが強くなった。自分も、いつか「人生」を楽しむような人間になりたい。そして、あらゆる危機に直面しても、それを乗越えられるような旅をしていきたい。(T・K)

◆開高さんの記念館へ来ることができ、また、ベトナム従軍のヘルメットなど、見ることができて、感激しています! 豪放にみえて繊細な部分が住居からもうかがえます。手放してしまった本を、もう一度あつめて再読したくなりました。(A・Y)

◆“オッパ”取材中にマナウスでお会いしたのが懐かしいです。(N・Y)

◆もう何回来たか分かりませんが、いつ来ても心が落ち着きます。開高先生、また来ます。(●・●)

2013.9

◆北から降りてくる列車は花の匂いがする。今年も来ました。いつもよりちょっと早めに降りて来ました。また年末命日に伺います。(O・K)

◆大兄の書をたづさえて先日、ベトナム・サイゴンに行ってまいりました。日章旗こそ持って行きませんでしたが、心にはいつも“私は日本人の旅行者です。助けてチョーダイ”とベトナム語で焼きつけて街をうろついてきました。無事帰ってきましたのでご挨拶に立ち寄った次第です。きっとまたサイゴンへ行きます。そしてまたココへやってきます。(T・T)

カテゴリ:来館者のノートから 2013-10-30

「多面作家・開高健と茅ヶ崎」講演のお知らせ

茅ヶ崎市の開高健記念館最寄りのコミュニティセンターで講演会が催されます。

【演題 】:「多面作家・開高健と茅ヶ崎」

【講師】 :永山義高・開高健記念会会長

【日時】:2013年11月4日(月・振替休日)午後1時半~3時半

【場所】:茅ヶ崎市海岸地区コミュニティセンター

住所:神奈川県茅ヶ崎市東海岸北5-16-20

電話:0467-82-6618

茅ヶ崎駅南口より平和町経由辻堂行きのバスに乗車、東海岸北五丁目バス停下車すぐ

カテゴリ:イベント 2013-10-27

今月のギャラリートークは10月27日(日)午後1時半~、午後3時~に開かれます

茅ヶ崎の開高健記念館で、記念会のメンバーが館内のご案内をする催し「ギャラリートークの日」。館内に展示された開高健の資料、愛蔵した品々 などをご案内しながら、それぞれの開高健を語ります。

2013年10月は:

【日時】 2013年10月27日(日)午後1時半~、午後3時~(各回30分程度を予定)

【案内人】 冨澤祥郎(開高健記念会理事)

【略歴】1958年生まれ。新潮社出版部勤務。入社早々、開高健の自伝的連載小説『耳の物語』の原稿を受け取りに、毎月茅ヶ崎に通う。

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カテゴリ:イベント 2013-10-22

今月のギャラリートークは9月29日(日)です

茅ヶ崎の開高健記念館で、記念会のメンバーが館内のご案内をする催し「ギャラリートークの日」。館内に展示された開高健の資料、愛蔵した品々 などをご案内しながら、それぞれの開高健を語ります。

2013年9月は:

企画展示「開高健と〈食卓〉」(開催中)を監修した開高健記念会理事が、その企画の周辺を語りながらご案内。

【日時】 2013年9月29日(日)午後1時半~、午後3時~(各回30分程度を予定)

【案内人】 坪松博之

【略歴】1960生まれ。83年サントリー株式会社入社。広報部のPR誌「サントリークォータリー」編集メンバーとして開高健、山口瞳を担当。現在、サントリーホールディング株式会社CSR推進部所属。

カテゴリ:イベント 2013-09-25

記念館の「8月」(2003-2013)

開高健記念館は2013年4月で開館 10周年を迎えました。開館以来、訪れた方々が書きつづってきたノートから、その月の言葉をふりかえります。今回は、「8月」新編。(お名前はイニシャルで、難読文字は●で表記させて頂きました)

2003.8

◆東京に出て来て、独り大兄の文を読みふけり、30年後、つい先日図書館でこの記念館を知りました。今日は全く大兄の本を読んでない配偶者と娘と三人で、のんびりと歩いて来ました。又伺います。

◆卒論に書かせて戴いて25年が経ちました。仕事の都合上、なかなか時間がとれなくて、今日初めてうかがいました。想像していた以上に素晴らしいお宅で感動しました。

◆開高さん、来ました。30数年前にあなたの前でピラルクに餌をやったのはぼくです。また来ます。

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2004.8

◆文章を書いてゆきたいと思い一年たちました。ようやく行動に移し始め、インスパイヤーされるのではと立ち寄ってみました。開高さんも愛したここ茅ヶ崎に生まれ育った事にも改めて感謝しました。

◆香川から自転車でやってきました。想像以上に資料など豊富で大変驚きました。やさしくて豊かなお顔の開高さんがたくさんあって嬉しくなりました。(K)

2005.8

◆沖縄から来ました。来ることができてよかった。色んなことを感じながら見て回りました。これからの人生にとても大きな一日になったと思います。開高さんありがとう。(S・H)

◆ずっと気になっていたのですが、やっと来ることができました。開高さんの一言半句にどれだけ打たれたか。息を飲んで、文章に引き込まれページを繰るのが、おしいくらいだった。今日は、とてもよい一日でした。再会に感謝。(T・K)

◆初めて来ました。私は、「悠々として急げ」という言葉がとても気に入りました。

◆私が高校を卒業した年に芥川賞を受賞され印象に残ったのです。その後芥川賞を必ず読みますが最近のはもう読まなくなりました。早くにご家族共々天国にいかれましたが、皆すばらしい仕事を残され充分に生きなさったと思います。車椅子の野坂さん、同輩の●村さんまだ健在と思いますと、やはり開高健様がお元気でいらっしゃったらと。今の長いイラク戦争をなんと書かれますか──。(ありがとうございました。バスの中でご近所の80~歳のすてきな老紳士に案内されて来ました)(横浜 N・K)

◆来週、アフガニスタンに旅立つ自分にとって、今回の訪問は大きな励みになりました。開高さん、最高っす!(T・S)

2006.8

◆開高さんの文章を読むと、美味しいお酒が体の内側から全身にしみて、広がっていくような気持ちの良さ、その後にくる満足感。これを感じます。それらが生み出されたこの地に来る事が出来て、またとても豊かな気持ちになれました。開高さん、この場所を守っておられる方々、ありがとうございます。(A・M)

◆日本人ですが韓国から来ました。展示を見終わってお庭のイスに座ってぼうっとしている時、すごく幸せな気持ちになりました。また来ます!(Y)

2007.8

◆パリに旅立つ前に訪れることができました。私の心の父にやっと会えたような気がします。ありがとう。男として生きて行きます。(Y・C)

◆この春、氏のベトナムをたどりにホーチミンに行きました。30年以上の歳月が流れ、人も街もだいぶ変わりましたが、人間の濃さは変わらないようにも思えました。勿論、Togaはどこにもいませんでしたが。(K)

◆もう少し早く生まれ、同時代を生きたかった。僕はこの時代でがんばって行きます。(Y)

◆大兄は今どこにいるんでしょうか? 今日、円覚寺に行ってきましたが、まさかそこにとどまっている人じゃないと思いました。やっと同じ空気を吸えた気分です。そうですね、また来てみたいと思います。

◆以前からの希望がやっとかないました。大兄のシャイなところとごうかいなところがとてもすてきでした。書斎をみて思わずアルジをさがしてしまいます。又、来ます。(N)

2008.8

◆たまたま茅ヶ崎市の観光案内をネットで検索していると、この記念館があることをつい数日前に知った。ぼくはサザンオールスターズのファンでもあったため、茅ヶ崎のサザンビーチを訪ねてみたかったのです。しかし、私の大学時代は、音楽はサザンオールスターズ、読書は開高健でした。この2つの両巨頭の導きにより、いろいろな経験をこれまでさせてもらって、幸せだったのかどうかわかりませんが、沈まずに済んでいると思っています。また、これも偶然だと思いますが、もう一人、私の好きな日本人の作家に大江健三郎がいます。私の町の出身である彼と、開高氏との結びつきが非常に興味深くて、楽しませてくれます。ほんとうに“漂えど沈まず”。悩みながらも、したたかに、強い“生き方”を最後の最後までできたらなあと思っています。(M・R)

◆記念館があることを最近まで知りませんでした。今日来てみて、珠玉の生原稿が見れて嬉しかったです。(H・H)

2009.8

◆久しぶりに夏らしい天気です。気のせいかもしれないけれど、終戦記念日はかならず太陽がじりじりと照りつけているように思います。「穏やかになることを学べ」先生が座右の銘にしてらっしゃったコトバをゆうべふいに思いだしました。ありがとうございました。

◆開高健という作家を知ったのはかなり遅く、夢中になった頃、あっという間に逝かれてしまいました。間に合って(出合うのが)良かった、と思っています。釣りの好きな友達が教えてくれました。彼女は“釣り”、わたしは“紀行”“美食”の開高ファンでした。再来年、退職して北海道の田舎に帰ります。その前に行こう、行こうと思いつつ、やっと来ました。帰郷の前にもう一度、来たいと思います。

2010.8

◆今秋、仕事でベトナムへ行って来ます。(A・H)

◆今日、終戦記念日。開高さんのベトナム戦争の記事と何かダブルようです。横浜の県立文学館に引きずられて訪問しました。(K)

◆「人間くさい」作家。僕、作品大好きです。同じく開高さんを尊敬し、今は海外を旅している友人にもきょうの喜びを伝えたいと思います。(N)

2011.8
◆ようやく聖地に来れました。禍福はあざなえる縄のごとし。(岩手県 陸前高田市 S・T)

◆あの、せまい所で、たくさんの努力をしていたのだろう。たくさんの努力をして、たくさんの本を書いていった開高健さん……ものすごい努力家だったんだろうな……。(岩手県 中学一年生)

◆念願の開高健記念館に来ることが出来ました。もっともっと長生きしてたくさんの本を書いてほしかったです。私達に生き方を見せてほしかったです。(大津市 N・M)

2012.8

◆週プレの読者の時に『風に訊け』で開高文豪を知り、それ以来30年弱の期間を読者として著書を再読、三読しておりましたが、ここへ来るのは初めてのことです。今まで見た事のない品々があり、とても楽しめました。いつか、また訪れたいと思います。(O・H)

◆2度目です。すばらしい記念館ですね。「悠々として急げ」今、この言葉が大好きです。残り少ない日々を、そのように生きて行きたい!!です。(K・K)

◆開高さんの本に出会い、旅、酒そして男とは何かを教えて頂いたと思います。私が好きな言葉「漂えど、沈まず」をモットーに今以上に飛躍したいです。(O・Y)

2013.8

◆大兄がこの世を去る2ヵ月前にこの世にやって来た者です。大学時代、大兄の作品に触れ、今は東京のとある書店で働いています。生前死後を問わず、大多数の作家が忘れ去られていくなかで、毎年のように大兄に関する書籍が発売されます。大きな存在であることを実感します。大兄の全集が電子版ではなく書籍として発売されることを願って、それまでに大きな本棚を置ける家に住めるよう明日から働きます。(I)

◆開高先生の本を読んでいた夫も59歳で他界、まだ残された先生の本を読みつくしていません。今回中二の姪が夫の本棚から「小説家のメニュー」を見つけて、読みはじめたのを機会に、夫が来たくてこれなかった、このお宅に伺ってみることにしました。またゆっくりひとりで来てみたいと思いました。それまでに読まなければと思っています。(藤沢 S・K)

◆風に訊けはほんとうに、すこしずつ読むべきものでした。人生は円だということをいわれて時はすぎ、球であることになっているようです。原子力、コンピューター社会になってからの文化のレベルダウンを、いま、おこしている。心の危機を止めることができるのか、今、問われているような気がします。……(A)

カテゴリ:来館者のノートから 2013-09-25

ギャラリートークの日、8月は25日(日)午後1時半~、3時~の2回です

茅ヶ崎の開高健記念館で、記念会のメンバーが館内のご案内をする催し「ギャラリートークの日」。館内に展示された開高健の資料、愛蔵した品々 などをご案内しながら、それぞれの開高健を語ります。

2013年8月は:

【日時】 2013年8月25日(日)午後1時30分からと、午後3時からの2回(各回30分程度を予定)

【案内人】 菊池治男(開高健記念会理事)

【略歴】 1949年東京生まれ。元集英社編集者。「PLAYBOY日本版」在籍時に『オーパ!』アマゾン編の取材に同行。以降、モンゴル編に至るシリーズや『生物としての静物』などの担当編集を務める。著書に『開高健とオーパ!を歩く』(河出書房新社)

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常見忠氏特製ルアー「バイト」(命名・開高健)。開高健記念館にて頒布中

カテゴリ:イベント 2013-08-21

記念館の「7月」(2003-2013)

開高健記念館は2013年4月で開館 10周年を迎えました。開館以来、訪れた方々が書きつづってきたノートから、その月の言葉をふりかえります。今回は、「7月」新編。(お名前はイニシャルで、難読文字は●で表記させて頂きました)

2003.7

◆オープンから何ヶ月が過ぎたのでしょうか。ようやくやってきました。文豪が原稿を書きながら見たであろう景色と、身の回りの物たちを身に。作家であると同時にかなりブッキッシュであった文豪の書庫もできれば見てみたかったのですが、未公開とのこと。せめて目録にまとめていただければと切に思います。アゲハが哲学者の小径をよこぎってとんでいきました。(相模原 Y)

◆開高文学のファンにもかかわらず、当館の存在を知ったのがつい先日(しかも新宿ゴールデン街のケッタイな飲み屋にて)。自分の年齢と、その時代の氏の活躍をみると、あらためて反省することしきりですが、いい刺激にもさせて頂きました。次回はぜひ酒飲みの仲間も連れて来ようと思います。(H)

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ベトナムで見つけたという、魔よけの文句の彫られた特製Zippo(記念館にて販売中)

◆初めての出会いは高校の現代文の教科書でした。25歳まで茅ヶ崎在住でしたが、今日は久しぶりに帰ってきました。また読み直してみようと思います。(品川 M)

2004.7

◆入り口に来た時、涙がでた! 自宅に入れるなんて感動! ジッポーもABUの数々も本物でした。また来ます!(A・I)

◆若い時の開高さんはスマートでなかなかハンサムやったんやな。時と共においしい物やお酒に目がなかったんかな。ちょっと太り気味やネー、でも安心した。雑誌PAPASのErnest Hemingway も太ってるから。アウトドアした割には二人共、肉付きええなあ。身体使わんと頭使ったからか? ──天国の開高さんとの会話──(大阪 S・E)

◆几帳面な原稿の字に結構驚かされました。一字一魂という開高氏の文筆家としての迫力を感じました。また、書斎の卓に並べられている書物は、そのほとんどがベトナムを扱ったもののようで、ベトナム戦争への強い思い入れというものを感じました。それにしても、静かな環境が羨ましく思えました。(S・K)

2005.7

◆岩手の地方誌と朝日新聞の記事につられて、やって参りました。ベ平連の頃20代で、厚くなっていた頃を思い出しながら、ゆっくりと開高氏の世界にひたらせていただきました。当時、遠い遠い存在のお方でしたが、今日、身近かに感じさせていただき幸せ一杯です。先の短い人生ですが、その残された歩みに、何か一つ自分の「在り方」に指針をいただいた気が致します。雨も止み、一層さわやかな気持で帰路に至りそうです。(盛岡 60台・女)

◆平塚の七夕に合せて、茅ヶ崎に立ちよりました。昭和40年代はじめ、鵠沼海岸で子育てをしていました。1970年前後には東京で学生、21世紀になって、再び鵠沼の庭の草刈仕事のついでです。時代は巡っても、イラクではまだ戦争中です。キングサーモンのステーキがあの頃レストランで御ちそうでした。釣は鮎釣がいいですネ。開高健のTV釣番組は頑張っているなーが感想です。屋根裏小屋書庫を整理していると週刊アンポがでてきました。今日は梅雨の晴れ間で、日本はみかけは平和です。

◆「筆舌に尽くし難いと書く人があるが、それは物書きとして失格だと、僕は思う」開高健のこの言葉、自分への励ましであり、警句です。開高さん、ありがとう。(川口 新聞記者39)

2006.7

◆梅雨の合間を狙って、杉並区よりやっとバイクで走って参りました。「トリスを飲んでハワイへ行こう」以来、気になっておりましたが、「オーパ!」にてさらに大ファンの一人となりました。太く短く生きられた方ですが、その生き様は深く共感いたしております。きっと天に上っても、「天の川」でフィッシュオンされていることでしょう!(71歳冷や水ライダー K・H)

2007.7

◆念願かなってようやく来れました。言葉の魔術師。凝縮された言葉には感銘を受けます。少し近付けたような気がします。(H)

◆ついに訪れることができました。30数年前の学生時代から読み始め、何かの折にそのフツフツとしたエネルギーに触れて、動く力と深く思いを入れるプロセスを悟らせてもらいました。展示してあるパネルの写真や文章、どこか記憶の一隅に断片的にあるものの、それが一つに溶け合ったこの家の空間にいると、どこか氏の感性が共通体験したかのように伝わってきました。今後とも、食べ物だけでなく、様々な領域での「新しい天体」を見付けていく一つの契機として今日の訪れを……。(O・A)

2008.7

◆長年夢見ていたこの記念館にやっと来ることができた。暑いなか、迷子にもなったが、到着と同時に疲労が霧散した。他の年長のファンの方々に比すれば私などまだまだ青二才であろうが、今後、二十年、三十年と過ぎてゆけば、私もまた年長の方々のように深みを増すことができるだろう。今はただ、開高健という偉大な人物を心に、橋の下を流れる水を眺めていくことしかできないが……。(大学3年 K)

◆生きていて、迷う時、開高さんならどう生きるか?と思うことが時々ある。少しの違いを感じとり、意識して、悠々と急げ。ここへ来れて、開高さんが日々、何に向かっているか、また興味が増したように思える。

2009.7

◆かいたそのまんまですごかった(注:直筆原稿類のこと)。(T・Y 小二 8歳)

◆へびが長くてびっくりしました。あと『トナカイ』も大きくて、はくりょくがあってよかったです。『タランチュラ』が生きてて、死んでいたのをかざっていたということがびっくりでした。ほかにも魚とかが、『タランチュラ』と同じ様になってかざられているので本当にびっくりです。「本物をこの目で見た」と友だちに自まんできそうです! お酒もいっぱいあってびっくり! (小学三年生 9歳)

◆開高さん、こんにちは。またふらふらとお宅を訪問させていただきました。毎日暑くて困ります。ちがさきの駅からお宅にやってくるまでが本当に本当に大変で、アイスを食べながら、なんとか暑さをしのぎつつやってくることができました。ここにくるといつも開高さんの香りがします。においではなくて香りです。どんな香りだといわれてもなかなかせつめいすることはできないのですが、時代と一所けんめいに生きた開高さんの香りがそこかしこから漂ってくるようで、この場所にくるたびに、作家というものはとてもおおしく、そしてこどくなものだなあと感じさせられます。次はいつ来られるかわかりませんけれど、ふと開高さんの香りを感じたくなったときにまた来させていただきますので、そのときはあたたかく迎え入れてくださいね。(A・T)

2010.7

◆大兄の作品は薄暗い人生の灯火であります。これはあまり大袈裟でもありませんよ。(T・O)

2011.7

◆久し振りに開高さんを訪れました。昨年「夏の闇」を読み、開高さんのことが心の中にひっかかっていました。とても静かなところです。洗濯された気分です。また是非訪れたいと思います。(M・T)

◆残りの人生で行ってみたいところ、アラスカ。なぜ? たぐると、開高さんが出てきた。きのうの午前中のことだった。きょう、藤沢へ来る仕事があって、ぜひ帰りに記念館によりたいと思ってました。きょう来ないと、もう来れない気がしたから。(M)

2012.7

◆本を読まなかった父にオーパ!を薦めたら読んでくれたことを思い出しました。父は昨年亡くなりました。父と共有できたオーパ!の世界は、いつでも帰りたくなる、かけがえのない世界です。来てよかったです。(S・K)

◆書斎のハンティングされたアマゾンの魚たち、アラスカのクマの毛皮……仮面+ネコ~~!! うまくいえないのですが“わかるなぁー!!”というカンジです。クモだけ違和感を抱いたのですが、クモが大キライだった氏のために贈答されたものだったのですね。笑いました。「食卓と寝台」の直筆原稿に触れられたこと、来て本当によかったです!(●・●)

◆ずっと来てみたかったのですが、ようやく実現しました。この場所で、世界の広がりに挑まれていたんですね。(I・K)

◆太く短く人生を生きた人だと感じました。うらやましい人生とも思いますが、まだまだ色々の事の可能性を残されたのではないでしょうか。物事の本質を追究してやまなかった偉大な人でもあった様な感じを受けました。(T・●)

◆亡くなった夫に、いつか一緒に行きましょうとさそわれつつもかなうことがなかった地に、ようやく来ることができました。どん底に沈みきっていた私の暗闇に光を灯したのが開高さんの「輝ける闇」との出会いでした。最初は釣りでしか知らなかったのですが、開高さんのやわらかでせん細な部分に強くひきつけられました。書斎の外にあった足カセに皮肉めいたユーモアを感じつつ。(I・A)

2013.7

◆……今も時々、私の生活の中に開高さんの名がでてきて…気になっていて…やっと訪れられました。来て良かったです。「人間らしく」を認められる、大きな器の妻…母になれるかな? 次回は、母と亡父を思いながら来たいナ……と思いました。ご親切なご案内ありがとうございました。(A・Y)

◆私にとって開高さんのイメージは、大きなサケを抱いて写真に写っている人。しばらく忘れてました。何か、フッと思い出して、静岡県磐田市から鈍行でやってきました。ベトナムルポ? イメージわかない。やはり美食?のイメージ。もう少し深くさぐってみたい人かなと思いました。今度来るときには、もっと、さぐってもう一度きてみます。(60代 女性)

◆「今日のうれいは、今日にて足れり」TVで拝見してお伺いした言葉が残っています。魚がなかなか釣れない時の言葉だったように記憶しています。ありがとうございました。(I)

カテゴリ:来館者のノートから 2013-08-13
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